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【連載小説】夜は暗い ⑫


二日経った。
私のスマホに必要な連絡は、どこからも入らなかった。
島野瑤子からも連絡がないのはありがたかった。
彼女と飲まずに済んだせいで、私は私のペースで好きな酒を飲む事が出来た。
ハッキリ言って、あの時は本当にキツかった。
この年で酒で吐くと、その後はどうも胃腸の調子が悪くなる。
だから、昨日はヤクルト割りばかり飲んだ。
普段なら甘ったるくて、沢山は飲めないものだが、昨夜は胃の調子を整えてくれるような気がして、美味く感じられ、ずっと飲んでられた。

しかし、今晩は流石に苦い酒が飲みたくなってる。
窓を開けて外を見た。いつもの新宿の夜が広がっていた。
コーヒーを飲もうと私が起き上がると、スマホが鳴った。
岩田からの電話だ。

「何か分かったのか?」
「おう、早いねえ。もう起きてたか。鯨ベーコンが食いてえなと思ってな」
「ウチの近くか?」
「ああ」
「30分くれ」
「いいだろう。先に行って、ハリハリ鍋でも頼んどくよ」
「先に行って、しゃべれなくなるまで飲んじゃダメだぞ」
「心配するな。お前が着くまで、ビールで我慢しててやるよ」
「頼むよ」

前に言ったが、岩田は甘いもの好きで、早食いで、大食いなのだが、更に大酒飲みだ。
ヤツは気持ち悪い事に、キンツバをアテに大吟醸が飲める。
それも何杯もだ。
私はさっき考えた苦い酒を飲みたいという欲求をいったん引っ込める事にした。
そして、コーヒーを淹れるために湯を沸かしに行った。


ウチのビルの近くにある居酒屋に着くと、岩田は奥の座敷にどっかりと腰を下ろしており、手酌で瓶ビールを自分のコップに注いでるところだった。

「遅いぜ!待ちくたびれて、ビール一本目を空けっちまった。」
「いや、約束した30分で俺は来たぜ。あんたはただビールが飲みたかっただけじゃないのか?それでその瓶は何本目なんだ?」
「これかあ、これはまだ二本目だ。嘘じゃねえ。まだ一本しか飲んでねえ。まあ、お前も飲めよ」
「ああ」

岩田は私の前のコップにもビールを注いでくれた。そして、勝手に自分だけ乾杯の仕草をして、コップのビールを一気に飲んだ。

「いやあ、やっぱ暑い時はビールが美味めえな」
「違うな。ビールはいつだって美味い」
「ああ、何だそうか…気づかなかったよ。確かにいつでもビールは美味い。でも、この後は鍋だからな。俺は熱燗に切り替える。お前はどうする?」
「何だ、本当に鍋を食う気なのか?この暑いのに…」
「暑いったって、もう9月だぜ。秋だ」
「もうとうの昔に日本には秋がなくなったんだよ。長い夏が終われば、すぐに冬だ」
「冬?ならいいじゃねえか。冬はお鍋の季節ですってな。おい、女将、鍋を出してくれ」
「はいはい」
「鯨ベーコンは?俺はそっちが食いたい」
「ああ、忘れてた。女将、先に鯨ベーコンと奴も二人前ずつくれないか?それと、熱燗一合と瓶ビールをもう一本」
「分かりました」

「おい、高い飯食わせるだけの対価はあるんだろうな?」
「ああ、大丈夫だ。まずは飯を食おうぜ。話はそれからだ」

小皿と鍋と酒が届き、岩田が鍋の世話を始めた。私は冷奴をアテにビールを飲んだ。

「一週間ほど前に、小田原で変な事件が遭ったんだ。」
「殺人か?」
「そう」
「どんな事件だ?」
「古いビジネスホテルで若い女性が死んだ。」
「死因は?」
「溺死だ」
「風呂で?」
「そうだ」
「それが君塚有紗だと?」
「分からん。今は身元不明扱いだ。財布や身分証明書の類、それにスマホがなかった。そして行方不明の届け出に該当者もいない」
「服や靴とかは?」
「全部揃ってた。しかし、身元を確認できるものではなかった」
「で、何でそれが君塚有紗かもしれないと思ったんだ?」
「オーバードーズだよ。コデイン系が検出された。お前が探してる子もこの街に薬を買いに来てたんだろう?だからひょっとして、という事だ」
「ああそうだ。彼女は咳止め薬を常用してたようだ。コデインなら当てはまるな。つまり、その被害者は薬の影響で、風呂で溺れたという事か?」
「そうだと思う」
「その部屋に出入りしたものは?防犯カメラの画像とか?」
「ちょっと待て、話の続きは後だ。鍋が煮えたぜ。まず食おう」
「ああ」
会話が途切れた。



久し振りに食べるハリハリ鍋は美味かった。
あっという間に鍋は空になり、酒も随分と空いた。
飲み食いしてる間は、生臭い話はしなかった。
思い出話ばかりしていた。大体がバカ話で、それが余計に酒をすすめさせた。
シメのうどんが届く頃、私も岩田も強かに酔っていた。

うどんが煮えた。
岩田が私の椀に取り分けてくれた。椀を渡しながら、岩田が話し出した。

「そのホテル内にはカメラがない。エレベーターにだけあるんだが、それにはこれといった人物は写ってなかったようだ。犯人は階段を使ったんだと思う」
「フロントで目撃されなかったのか?」
「ビジネスって言ってもな、駅前旅館みてえなもんなんだよ。フロントにはカメラもねえし、人がいねえ事だってあるようなとこなんだ」
「チェックインは女がしたのか?」
「そう、一人だったみたいだ」
「じゃあ犯人に繋がる手掛かりはなしか…」
「そうだ。おまけにまだ自殺の線も捨てられねえしな」
「どうして?」
「チェックインの時に代金を取ってねえんだよ。だから財布がなかったのを気が付かなかったとも言えるんだ。フロントの爺さんの話によると、随分酔っ払ってるように見えたらしい。おまけに終電を逃したので泊まりたいと言って、チェックインしたらしいんだ。どっかの店で飲んでて、財布とスマホを忘れたまま出てしまった可能性もあるからな」
「で、それは探してるのか?」
「ああ、所轄がやってるみたいだが、まだ見つかってねえようだ」
「ホトケの写真は手に入れられる?」
「それは今は無理だ。シマが違うのに、こっちがそんなん要求したら、どういう事だって?聞かれてしまう。分かるだろう?ただな、一つだけ奇妙な事があるらしいんだ」
「それは何だ?」
「遺体なんだが、解剖してる時に見つけたらしいんだ。左の脇腹に広範囲に内出血の跡が見られたらしい」
「内出血?青タンか?」
「まあそんなとこかな?」
「古い傷なのか?」
「いや、古いものもあれば新しいものもあったようで、どうやら日常的に傷つけられてたみたいだ」
「脇腹を日常的に?どうやって傷つけると言うんだ?」
「つねるとか…」
「つねる?日常的に?ネグレクトか?」
「いや分らん。プレイかもしれんしな」
「どうして左側ばかりなんだ?」
「それは分からんな。変態のやる事は想像がつかねえからな」
「まあそうだな。色々教えてくれてありがとう」

うどんを食い終わって、デザートの柚子のシャーベットが来た。

「ハリハリ鍋分ぐれえにはなったか?」
「なったなった」

岩田はシャーベットを一口で食べた。そして、立ち上がり、「じゃあ支払い頼むな」と言い、店を出た。
私はシャーベットをゆっくり食べ、熱いお茶を飲んでから出た。

通りには人が溢れ、いつもの異常に明るい新宿の夜道を歩いて、自分の店へと戻っていった。

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