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【連載小説】夜は暗い ㉒


翌朝8時に、島野は私のいるホテルまで来てくれた。
ドア越しに、彼女から着替えを受け取り、早速着替える事にした。
彼女は一階のカフェで、私の朝食券で朝食バイキングを取って待ってる事になっていた。

まあ、私はコーヒーだけ飲めればそれでいい…

私は彼女が持ってきた紙袋から服を出した。
普通の半袖のポロシャツに、サマーウールのスラックスが入っていた。

しかし、困った事になった。

ポロシャツは白と黒の大きめなボーダーで、薄いグレーのスラックスは、濃いめの線が特徴の白のストライプが入っているのだ。

これは如何にも気持ち悪い取り合わせだ。

これを着た私が街に出ると、前を歩く人は上がぶっといボーダーで、下が割と目立つ白いストライプが入ったスラックスを履いている男と出くわす事になる。これは目がガチャガチャして、きっと気持ち悪いだろう。そして何より、私がこんなの気持ち悪くて着ていられない。今着ててももう肌が痒くなりそうな感じがしている。

しかし、今着れるものはこれしかない。私は昨日の服をもう一度着る人間ではない。

その服を着た後、私はチェックアウトしてからカフェへ行った。
島野は既に食事を終え、コーヒーを飲んでいた。
私は彼女の前に立った。

「うわあ、何それ?趣味悪…」
「よかったよ、君もそう思うんだったら… これって、何の嫌がらせだ?」
「知らないわよ。私は目についたヤツをただ取って、袋に入れてきただけなんだから」
「もう少し選んでくれればいいじゃないか… 約束までもう時間がないから、病院へはこれで行くけど、終わったらシャツを買う事にするよ。今、着てても気持ちが悪いんだ…」
「そう?慣れてくればそんなでもないけどね… まあいいわ、行きましょう」
私たちはホテルを出た。
私もコーヒーを飲むつもりだったが、やめた。
人がたくさんいるところに留まるのが嫌だったからだ。

駅前から君塚が入院している病院までは、タクシーで15分程だと聞いていた。ここは駅の近くなので、やはり15分程度で行けるだろう。なら、約束の時間に余裕で間に合うはずだ。

私たちは通りを流してるタクシーを拾った。
私は手を上げる時、歩いてる人全員が私を見てるような気がして、気まずかった。




渋滞があり、病院へは13分遅れで到着した。
ロビーに制服警官が一人立っていたので、奥平の名前を出すと、彼が病室まで連れてきてくれた。

君塚正治の病室は、最上階にあり、南東の角部屋だった。
部屋の前のネームプレートには何も表示されておらず、別の警官が一人で立っていた。
私たちは、その警官に促されて、病室の中に入っていった。
連れてきてくれた警官は入口付近で留まった。

部屋の中は、まず細く短い廊下があり、右の壁にドアが二つ付いていた。恐らくこの部屋専用の風呂とトイレなのだろう。
ここは特別貴賓室だ。流石、日本有数の新興宗教の息子だ。スケールが違う…

中ドアを開けると、大窓からの眩しい光が目に飛び込んできた。
一瞬にして眩しい太陽光が目に飛び込むと、流石に目の前は白くなり、何も見えなくなる。

眩しい…

目が慣れると、相模湾を見渡す海の景色が見えた。
海の青はまだ夏のような色合いで濃く、今日は風があるのか所々に白波が見えた。

風景に目を奪われていたが、次に部屋全体を見回した。
大窓の手前には大きな応接セットがあり、ベージュのソファの向こう側に、オールバックに髪を撫でしつけた高そうな花紺色のスーツに、水色のネクタイを締めた品の良い中年男性が座っていた。年齢は私と同年代ぐらいだろう… そして、その向かい側にはくたびれた鼠色のスーツをこれでもかと言わんばかりに着崩してる奥平が座っていた。奥平の後ろには若手の刑事が二人立っていた。
水色のネクタイの男はイライラしているようで、組んでいる足の浮かせてる方の右足がブラブラする程貧乏揺すりをしていた。

その右足からストッキングのような夏仕様の黒いソックスが見えた。
残念な事に少しゴムが緩いようで、下がり気味になっていた。

私はあの透けてるビジネスソックスは絶対に履かない。

貧乏揺すりと言い、透けてるソックスと言い、私はこの男を好きになれないだろうなと思った。

「いやあ、黒崎さん、わざわざご足労いただき、ありがとうございます」と、またもそんな事を言う気もない口調で奥平が、私に言った。
「いえ、すいません、ここに来るタクシーが渋滞に捕まってしまって、少々遅刻してしまいました」
「何の、それは気にしませんが… 」
それを聞いて、水色ネクタイは我慢の限界とでも言いたそうな感じで立ち上がり、「気にしないとはどういう事ですか?私どもは、そちらがどうしてもというから、10分だけと約束したんですよ。お忘れですか?」と言った。
「まあまあ、黒崎さんが説明してたでしょう。渋滞なら仕方ないじゃないですか…面会時間の10分は守ります。早速、進めてもいいですか」
「ちょっと待って下さい。まずは看護師を呼ばないとなりません」そう言って、水色ネクタイがナースコールを押した。
「じゃあ、この間に、お互いの紹介をさせて下さい。黒崎さん、こちら弁護士の山本さん。山本さん、こちら、この事件の第一発見者で協力者である黒崎さんです」
「黒崎さん、私もお目にかかりたかったんですよ。今度、ウチの事務所にもお出ましいただければと思ってますので、その折はどうか宜しく」
そう言いながら、水色ネクタイは私に名刺を差し出した。

弁護士・山本修作 と書いてあり、事務所は四谷三丁目にあるようだった。

看護士が来た。奥のドアを開けて中へと入っていった。そこに君塚正治がいるんだと分からせた。

「四谷三丁目ですか…新宿から遠くないですね。私、新宿でバーを経営しております黒崎透と言います。生憎今は名刺を切らしておりますので、必要に応じてそちらを訪ねる際にお渡しできればと思います。そして、横におりますのは、事件が遭った日に私と一緒にいた島野瑤子君です。彼女は大酒飲みでして、ロマンスカーに乗り、小田原でおでんを食って、酒を飲もうと向かったのですが、乗り過ごしましてね…まあ、そんなこんながあり、私たちはレンタカーで芦ノ湖見物に行き、あの事件に遭遇したという訳です」

勿論名刺は持っていたが、私の勘が「渡さない方が良い」と言ってくるので、素直に従った。

「それにしても、奇遇ですよねえ。あなたはその前の日か何かに、初めて今回の犯人である君塚圭太君と出会ってるんでしょう?」
「ええ、彼はお姉さんを新宿で探してると言ってました。私、バーの経営が本業ではあるんですが、元刑事でしてね。経営の傍らであの街の萬相談所みたいなことをやってるんです。その事務所へ圭太君が人づてに私の事を聞いてやってきた訳で…」
「それで、お姉さんの君塚有紗さんは見つかりそうなんですか?」
「いや、私は何もしておりません。圭太君は間違って私の事務所へ来たんですが、私はそもそも未成年の事案には首を突っ込まないようにしているんです」
「ほう、それは何故ですか?」
「大体、厄介な事になるからですよ」
「なるほど、それはそうでしょうなあ」

看護士が出てきて、「面会できます」と言った。

私たちは、そのドアの中へと入っていった。


山本? ヤツは全然山本っぽくない… キザ野キザ夫か、癇癪持ち太郎か…それは冗談だが、もっと読みにくい苗字の名前とかが似合いそうだ。

例えば、光前寺とか…

まあそんな感じだ…


しかし、ありがたい事に、彼を含めて、今ここにいる人間は誰も、私の気持ちの悪いコーディネートを指摘してくる事はなかった。
ひょっとしたら、彼は良いヤツなのかもしれない…
まあそんな事はないんだろうが…

多分全員が、ぶっといボーダーに白いストライプの取り合わせがダメな事ですら分からないのだろう。

刑事は特にそうだし、透けてるソックス野郎はもっとそうなんだろう…


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