【連載小説】夜は暗い ⑱
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ケータ君だったというのは想定内だが、こうなってしまうと、私たちにできる事はない。事件になってしまうと、もう私たちだけで解決できないからだ。
そうであるならば、警察署で長い事情聴取を受けるのは得策ではない。
それを防ぐためには、警察や救急車が来る前のこの15分が勝負だ。
ケータ君はすっかり観念したかのように動かないので、島野に来てもらって、寄り添ってもらっている。
傷を負った方はどうやら傷は浅くて命に別状はなさそうだ。今は水から引き上げて、コンクリートの地面に横たえている。彼女はショックから覚めたようだが、今度は寒気がするようで、両腕を組み、身体をさすっている。
私は岩田に電話して現状を説明し、助けを求めた。
一気に岩田に話すと、岩田は一言「分かった」とだけ言った。
こういう時の岩田の「分かった」ほど、心強いものはない。
警察が来た。
少し遅れて、救急車が到着し、緑色の女性を運んでいった。
すぐに現場検証が行われ、私も島野も事情を聞かれた。
警察が来る前に、私と島野は申し合わせをしていた。
寝過ごして箱根湯本まで来てしまい、都心に向けて帰る電車がなくなってしまったので、駅前でレンタカーを借りて帰ろうと思ったのだが、折角なので芦ノ湖でも見て帰ろうとドライブしていた二人連れ、それが私たちだ。
車で周遊道路を走っていると、新宿で見覚えがあるゴスロリのコスチューム姿を見つけた。もし知ってる彼女なら、一緒に乗せて帰ろうと誘う事を思いたち、彼女に近づこうと車を止めて見に行ったら、この事件に遭遇する事になった。
そして、そのゴスロリの少女だと思った人間が、三、四日前に出会ったケータ君だと知って驚いた、というシナリオだ。
如何にも安い筋書きだが、この通りに話すと、現場の警察官は私の説明を親身に聞いてくれた。
現場検証は予想以上に時間がかかった。
事件が起きたのは早朝だったが、鑑識の作業が全部終わった頃には、遊覧船の乗り場に午前の遊覧を楽しみにやってきた観光客の車やバスで、向こうに見える駐車場は一杯になっていた。
ここでの調べが全部終わると、残念ながら、やはり私たちは警察署へ行き、もう一度同じ話をしなくてはならなくなった。
但し普通ならば、パトカーの後部座席に乗せられて署に向かうところなんだが、幸いにも私たちは自分たちのレンタカーで向かえる事のはありがたかった。ちょっとでも自由が味わえるのは良い事だ。
車に乗る前に、私たちは二人ともアルコールチェックは受けた。
私の呼気からはアルコールは検出されなかった。
マジで全部出し切ったみたいだ。
島野からは勿論アルコールが出る訳がなかった。
車の中で、私たちはシナリオを再確認した。
十分に口裏合わせが出来た頃、私たちは警察署に着いた。
時計を見ると、丁度お昼ごはんの時間になろうとしていた。
署内に入ると、私と島野は別々の部屋に入れられた。
誰かがかつ丼を届けに来てくれるのではと、甘い期待をしたのだが、そんな事は起きなかった。
部屋では随分長い間、一人で待たされた。
時計がなくスマホも預けなくてはならなかったので、正確な時間は分からないのだが、30分以上は待ったと思う。
私の部屋には、若い刑事が二人で入ってきて、ここまでの経緯の説明を求められた。
私は先ほど申し合わせた内容の通りに説明した。
一通り説明し終えると、二人の刑事は部屋を出て行った。
今度は1時間以上待たされた。
空腹は限界を迎えつつあった。
やっと、別の刑事が一人で入ってきた。
彼は私と同年代のようだが、若干剥げかかっていた。
「黒崎透さん」
「はい」
「あなたも元は警視庁の刑事をやっておったようですな」
「ええ…」 何故知ってるんだ?
「私、奥平と言います。以前、別の事件で合同捜査本部が設置された折、岩田さんには大変お世話になりました。あなたも岩田さんとは知古の中と聞いておりますが…」 ああ、そういう事か…
「知古の中?そんなんじゃないですよ。ただ、僕は岩田に酒やメシをたかられてるだけで…」
「そうですか?私は仲が良いのだと思っておりましたが…まあいいです。私たちは小田原のビジネスホテルの一件も捜査中です。その件についても岩田さんから色々訊かれております。私からは差しさわりのない程度に岩田さんへ情報を渡しました。まあその内容は黒崎さんも聞いておられると思ってますがね。こちらは出せるものは出しました。もし、そちらで掴んでいる事があるなら、私たちにも共有をお願いします」
「共有と言っても、ただ、私たちは新宿から小田原までロマンスカーに乗っただけで、まさか、乗り過ごすなんて思ってなかったという間抜け二人ですよ」
「小田原へは何の用で?」
「気が向いて、昔行った事がある小田原おでんを食べに行こうと二人で相談して…彼女は飲んでなかったんだけど、私は結構飲んでましてね…お恥ずかしい事だが、車内のトイレで全部吐いてしまいまして…その後、具合が悪いもんですから、彼女が持ってた頭痛薬を飲みまして、それで私は寝てしまったんです。それで困った事に彼女も一緒に寝てしまってて… 彼女もここのところずっと忙しかったようで、つい、うっかりと… それだけです」
「そうですか、それは災難でしたねえ…ところで、君塚圭太君とはどういう関係ですか?既に聞いておりますが、念のため再確認させて下さい」
「彼は三日前、いや四日前になるのか…僕の店に初めて来て…お姉さんに薬を売ってた売人を探してるとかで…未成年だし、危ないので、「探してやる」と口約束だけをして安心させて、偶然私の店に客として来ていた島野君に家まで送ってもらった。それだけです。勿論、売人なんか探しておりません。私はあの街の萬相談役を趣味でやっておりますが、未成年は扱わないんです。厄介なので…」
「厄介ね…それはそうですな。しかし、それにしても申し合わせは完璧ですなあ。いいでしょう。これであなたたち二人は解放です。お帰り下さい」
「いいんですか?」
「ええ、結構です。但し、そっちで分かった事が出てくれば、岩田さんを通じてこちらに伝えて下さい。こちらが分かった事があれば、それは岩田さんに障りないところだけはお伝えするようにしますので。約束できますか?」
「分かりました」
「では…」
私が一階のロビーに降りると、島野が待っていた。
時間は午後5時を過ぎており、外へ出ると、辺りはもう、忘れていた秋を思い出させるような夕暮れ時になろうとしていた。
散々策を凝らしたが、やはりまるっと半日以上はかかってしまった。
それでも、これで済んだのなら、まだ早い方だと思う事にした。
私たちは黄色いスイフトに乗り、レンタカー屋に車を返しに行った。
時間超過をしており、超過分は私が払った。
そして、ロマンスカーに乗り、二人で弁当を食い、飲みながら新宿へ帰った。
酒代も弁当代もつまみの蒲鉾や干物の代金ですらも、全部私持ちだった。
当然、特急料金も私が払った。
島野は、それで当たり前だと言った。
それを聞いて、何となく私は同意してしまった。
だから全部支払った。
二人で思い切り食い、嗜む程度に飲んだ。
もう気持ち悪くなるのはごめんだ。そんな気分だった。
そして、ほろ酔い加減で新宿に着いた。