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【連載小説|長編】黒崎透⑨「朝食」
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10階に上がってくると、中野がいる部屋のドアは開いており、手前のモニター室のドアも開いていた。中には中野がモニターの前に座っていて、足をデスクを投げ出してコーヒーを飲んでいた。
「そのコーヒー、どうした?」
「隣りに行ったら、キッチンがあったから自分で淹れた」
「自分で淹れられるんだ?」
「ああ、これぐらいならな。料理はからっきしだけどな。このコーヒー、苦みが強いな」
「味が好みではないと?まあ、よかったよ。お前がマグを持ってるの見て、一瞬俺は、お前が下のカフェに買いに行ったんじゃないかと思って、ちょっとビビったよ。お前、カフェでの出来事は見てたのか?」
「ああ、声も全部聞いたよ。お前、あんなんでいいのか?」
「あんなんでって、どんなんだ?」
「あれでお前、日本中のマスコミを敵にまわしたぞ」
「そんな大袈裟な…こっちは安物の雑居ビルのオーナーだぜ。普段なら奴等は見向きもしない。きっとすぐに忘れ去られるさ」
「そうかな?奴等、しつこいぜ。それに執念深い」
「執念深い?メンツを潰しちゃったからな…それはそうかもな。まあいいよ、なるようになるさ」
「何だそれ?なあ、黒崎」
「何だよ」
「ありがとう…」
「よせよ」
「何でだよ」
「お前には似合わねえよ」
「ああ、そうか…」
階段を上ってくる靴音がした。
「黒さん…」
「ああ、中川君、こっちだ。隣のドア」
「朝食スペシャルを持ってきました。あ、」
「どうした?」
「いや…その…マジでいるんだって、思って…」
「中野がか?」
「ええ…」
「そりゃいるさ。じゃなけりゃ、朝っぱらからあんなに手の込んだ大立ち回りをしねえよ。中野、紹介するよ。このビルの一階にあるオビワン・カフェの店主の中川君だ。彼が、俺たちの朝食を作ってくれたんだ」
「フルーツが載ったパンケーキとヨーグルトとコンソメスープか…いいね、腹が減ってたんだ。ありがたくいただくよ。中川君、ありがとう」
「お礼なんて、いいですよ。これって、単なる出前ですから。お代は黒崎さんからもらってますんで」
「そりゃそうだよな。黒崎、ごちです」
「大したごちでもないけどな。お粗末様」
「お粗末だなんて、心外だなあ…」中川君が口をとんがらせて言った。
「そうだよ、黒崎。失礼だよ」
「言葉のあやだよ。中川君、そんなの察してくれてもいいじゃないか」
「分かってますよ、そんな事。コーヒーはポットに入れて、後でお代わりを届けますから」
「何から何まですまんね。助かるよ。中野は俺のコーヒーが口に合わないと言ってるんで、きっと君のコーヒーだけを飲むと思うから」
「きっと、そうなるな。中川君、これからも宜しく」
「分かりました。中野さん、後でサインしてもらってもいいですか?色紙を用意しますんで」
「勿論さ。何枚でも書くよ」
「中野のサインなんて、どうするんだよ?」
「店に飾るに決まってるでしょう」
「そんなん、今はやめてくれよ。ここに中野がいますって宣言してるも同然になっちまうから」
「分かってますよ。ほとぼりが冷めてから飾ります。じゃあ僕は店に戻ります。後でコーヒーはケイコが届けに来ますから、食器はその時に返して下さい」
そう言って、中川君は部屋を出て行った。
私と中野は隣の部屋に朝食のトレイを持って行き、会議用のテーブルとパイプ椅子を出し、差し向かいで座った。
中野が、コーヒーを飲んだ。
「俺はこっちの方が好きだなあ」
「俺のとこの粉も中川君セレクトだぜ」
「ブレンドが違うんじゃねえか?こっちの方がスムースだ」
「まあいいよ。お前は中川君の方だけ飲んでろよ。俺のコーヒーは飲むな!」
「そう言うな。俺はコーヒー中毒なんだ。彼のコーヒーがここにない時は、お前のコーヒーも飲ませろよ」
「なんだそりゃ…まあいいや。朝メシを食ったら、俺はすぐに出かけるから」
「どこへ行くんだ?」
「ユニクロだよ。お前の服を買いに行くんだ。お前、LLでいいよな」
「ユニクロなんて着たことねえから分かんねえけど、多分大丈夫だ」
「じゃあ下着から普段着まで、3、4日分かってくる」
「分かった。頼むよ。金は?俺はクレジットカードしかねえ…」
「お前のカードは使いたくねえな。領収書を取っておくから、後から精算してくれ」
「分かった」
「黒崎、恩に着るよ」
「いいよ」
私たちは朝食を食べた。