【連載小説|長編】黒崎透⑦「作戦開始」
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思いついて、エレベーターを2階で降りた。
表階段の窓から大通りを見ると、向かいのシャッターが閉まっている店の前に、TVカメラが6台もいて、マスコミ関係者が沢山いるのが見えた。ざっと勘定すると30名ぐらい入るだろうか?
これが多いのか少ないのかは見当がつかないが、通りは中々物々しい雰囲気になっている事が見て取れた。
私はスマホを出し、3カ所に電話した。
用件を伝えると、すぐに電話を切り、階段でオビワン・カフェへ行った。
カウンターに中川君が待っていた。
幸いにして、店には私以外の客はいなかった。
中川君は深刻そうな顔をして、私の顔を見ながら話しだした。
「遅かったですね?」
「ああ、ちょっと準備があってね。珍しいね、この時間にお客さんが誰もいないなんて…」
「違いますよ。今は表に準備中の札を出してるんです。そうじゃないと、あそこのマスコミのヤツらが、コーヒー買いに来て、それも一人で5杯とか、10杯とか言われたんで、急きょマシンが故障してと言ってね、閉めたんです」
「そうか…迷惑かけてるね。ホント、悪いと思うよ。いつか穴埋めするから許してくれよ」
「穴埋めなんてそんな…黒さんが悪い訳ではないですから、大丈夫です。で、どうするんです?」
「これからね、応援部隊がやってくるんで、まずはそれ待ちする」
「すぐ来るんすか?でも、ウチ、入口閉めちゃってますよ」
「それは大丈夫だよ。みんなには裏から来てくれって言ってあるから。じゃあ僕は裏口の方へ行くから。何か動きがあったら、Lineで知らせてくれるかい?連中と話し終わったら、すぐに戻ってくるけどね」
「分かりました。ねえ黒さん…」
「何だい?」
「黒さんは、Nさんの味方をするつもりなんですか?」
「ん?それはまだ何とも言えないがね。ただ…」
「ただ?」
「ヤツは、俺は高校の時から知ってるんでね。そんな古い知り合いが困ってるようなんじゃ、助けてやらなくちゃって、思ってるだけなんだよ。週刊誌情報だと、ヤツは女性に迷惑かけてるみたいだから、それは許しちゃいけないとも思ってるけどね。でも、何か腹立つじゃん。一人の人間追っかけて、こんなにたくさんの大の大人が群がらなくてもいいと思わないかい?」
「まあそれはそうですね。でもあの人たちは仕事ですからね。それも今回のネタは金になりそうな匂いがプンプンしてるんでしょうしね…」
「だな。後、TV局側の対応も悪いから、世間的にはどんどん炎上する一方だしな」
「そうですね。ボーボー燃え盛ってますもんね。それでも、黒さんは中野さんを面倒見ると?」
「まあね。判官贔屓という訳ではないがな。昔の知り合いが叩かれまくるのを見て見ぬふりはないだろうってな。まあそういう事だ。迷惑かけるが宜しく頼むよ。俺は裏口へ行ってくる」
「分かりました」
私は横の出口から店を出て、5mほど奥に続く廊下を歩き、左へ折れて裏口のドアに向かった。
ドアのすりガラスに人影が写っている。
「石堂ジムの人たちかい?」
「ええ、正純とヤンとバッファローです」
「三人も、悪いね。今開けるから」
裏口は、昔出入り業者が納品の時に使っていたものだが、今は防犯上の観点から閉め切ったままにしてある。しかも鍵が三つもついており、中々ややこしい。
私は全部の鍵を開けて、三人を中に入れた。
「すまんね、朝早くから来てもらっちゃって。みんなスマホを持ってきてくれたかい?」
「勿論っすよ。石堂さんから手順は聞いてます。表にいるマスコミのヤツらの顔のアップ写真を全員撮るんでしょう?」
「そうだ。この裏階段の踊り場の窓から撮ってくれ。頼んだよ。後5分ぐらいには表のドアを開けるからそれまでに全員だ。それと一人は動画を撮ってくれ」
「了解っす。任せておいてください」
「全員撮れたら、Lineで知らせてくれ」
「分かりました」
三人は階段を上がっていった。
後二つほど仕込みをしているのだが、そのうちの一つはもうそろそろ動きがある筈だ。
「黒さん!」
エントランスの方から大声がした。
私は走って、エントランスへ戻った。
外にはデビッドがいた。仲間と思しき人間を10人ほど連れてきていた。
「デビッド、朝早くからすまんね」
「そうっすよ。俺まだ寝てないんすから。でも、黒さんからの頼みじゃあ断れないっすからね。今みんなでコーヒーとパンケーキを頼めばいいんでしょう?」
「そうだ。そして30分ほどかけて、ゆっくりとコーヒーとパンケーキを味わってくれればいい。勿論、支払いはしなくていいよ。全部俺持ちだ。」
「分かりました」
「じゃあ、俺は中に入って、店を開けさせるから、開いたらすぐにみんなで入ってくれ」
「OKです」
私はカフェに入り、中川君に店を開けるように頼んだ。
そして、私は店のスタッフルームに逃げた。
中川君が準備中の札をオープンへとひっくり返すと、デビッドたちはいっせいに店の中へ入って行った。
それを見て、マスコミの人間たちも動き始めた。
うちのビルは夜になるまで、このオビワン・カフェ以外の店は開いておらず、一階の廊下は薄暗く、エレベーターも基本的には動かしていない。
従って、このビルの情報を取りたい場合は、オビワン・カフェに入り、店の人間と接触するしかない。
それに最近有名なオビワン・カフェの美味いコーヒーも魅力的だ。
TV局は新宿にはなく、彼らもオビワン・カフェの噂は聞いているだろうが、中々コーヒーを買いに来る事はない。しかし、今朝は取材がてら、その噂のコーヒーを飲めるチャンスだ。これを生かさない手はない。
デビッドたちは、狭いオビワン・カフェの店内を満員にした。
そして、全員がコーヒーとパンケーキを頼み、中川君とケイコがその応対に追われた。
程なく、通りの向こうで待機しているマスコミたちの群れの中から、レポーターらしき女性が一人で店の中に入ってきた。
「すみません、もうオープンしてるんですか?」
「さっき、マシーンが直りましたので、開店してます」
10杯分のコーヒーを淹れている中川君はカウンターに戻れず、コーヒーを淹れながら応対した。
「それじゃあ、コーヒーを6杯、テイクアウトでいただきたいのですが…今、店内で、っていう訳にはいかないでしょうしね…」
「そうですね。それに6杯ですと、30分待ってもらわないといけませんが、大丈夫ですか?」
「ええ?30分も?それっておかしくないですか?」
「何がでしょう?」
「だって、それはそうでしょう?私たちはさっき、あなたから機械が故障してすぐにコーヒーは出せませんと言われました。それで私たちはここの前で機械が直るのを待ってました。でさあ、いざ故障が直って、開店ってなったら、いきなり他の大勢のお客が来て、すぐに店内は満席になって…私たちがこの前で待っていたのは見ていたでしょう?」
「ええ、沢山いるなって思ってました」
「沢山?そういう事じゃなくって…私たち、さっきここへコーヒーを買いに来ましたよね。あなた、覚えてますよね?」
「ちょっと失礼ですよね。人を物覚えが悪いように言うなんて…ああ、知ってますよ。あなたはさっきもここへコーヒーを買いに来られたことぐらい」
「だったら、前にいるのは見えてたんだから、お店を開ける時に、私たちに一声あっても良かったんじゃないかしら?どうです?」
「あなた達は並んでましたか?」
「並ぶ?」
「ええ、どうしてもウチでコーヒーをお求めになられたいんなら、店の前で並んでたら良かったんじゃないですか?それにあなた達は、故障が直ったらすぐにコーヒーを買いますだなんて、僕には一言も仰ってなかったですよ。そうですよね?」
「まあそれはそうですけど…それにしても…」
「もう忙しいんで、後にしてもらえますか?今のお客さんを待たせる事になっちゃうから…」
「じゃあコーヒー6個を予約させてもらえます?」
「予約とかやってないんで、並んで下さい」
「ええ?」
Lineが来た。
全員の顔写真が撮れたようだ。
もう時間稼ぎの必要はない。
私はスタッフルームを出た。