【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】 最愛 #2
1999年、1900年代の最後の年に芸術系の大学を卒業した僕は、この頃、日本で見る広告の多くを制作している大手の広告制作会社に新卒で入った。
配属された部署は、それこそ今を時めく広告を一手に引き受けているようなキラキラした作品ばかりを手掛けていた。僕は自分が望むような仕事が出来そうである事に興奮した。
会社に入って二年目。ある仕事の社内コンペで出した作品が認められ、僕の作品が実際のある商品のポスターに採用された。それが僕のデビューだ。
それから数年は、順調だった。毎日、新案件が入ってきた。僕がグラフィックデザイナーだったのだが、仕事が認められるにつれ、CMやWEBの動画広告を手掛けるようになり、ついには一つの商品のキャンペーン全体のプランニング、プロデュースまで仕事のフィールドが広がっていった。無茶苦茶忙しかった。寝てる暇なんてなかった。家に帰る暇もなかった。それでも、仕事は楽しいと思っていた。
しかし、仕事があまりに多くなり過ぎた。どの仕事も全部自分の頭だけで創造する事が難しくなった。
創造の流れを堰き止める大きな壁の存在を感じていた。その前に僕はあまりに無力だった。
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2004年のある日、僕は破綻した。感情が壊れた。
オファーを受けた対象について、色んな角度から検証して、コンセプトに合わせたデザインを創りあげる、それが出来なくなった。何とか興味を湧かそうとしたが、どうにもならなかった。何も思いつかないんだ。
心療内科で診察してもらうと、「適応障害」と診断された。
それから、僕は3か月間、休職した。
休職中は、如何なるメディアも見なかったし、聞かなかった。
一人で旅に出た。ただ、好きな音楽をかけて、車を走らせるために。
美ヶ原高原へ行った。
高校の頃に見た古い映画を思い出した。美ヶ原高原が舞台の映画だった。ストーリーは全く覚えてないのだが、映像の美しさにものすごく感動した映画だ。あの感動を表現しなくては… そう思い、僕は夢中で鉛筆を走らせた。デッサンを終えると、大好きなアクリル絵の具で、作品を仕上げたくなった。高原に宿を取り、一週間かけて、壮大なる風景画を描き上げた。
描いてる間は、夢中だった。
これだ! と、思った。
完成した作品をSNSに上げた。
それを見て、涼子が僕に連絡してきた。
僕のSNSに、高原で撮った動画とともに、自分で描いたグラフィックを載せた。
すると、CBというハンドルネームの人からコメントが入っていた。
「きれいな場所なのに、悲しい絵ですね。」
悲しい絵?
僕は、明るい色調を意識して、夏の清々しい高原の風景を表現したつもりだ。
悲しい絵?
何だか無性に腹が立った。
コイツに何が分かる?
色んな人から、「いいね」や、褒め称えるようなコメントがたくさん入った。
だけど、僕の心の中には、CBのコメントだけが刺さっていた。
何度か、やり取りを重ねるうちに、CBとは、Cool Beautyの略だと知った。
自分でBeautyを名乗るなんて、大した度胸だと思った。
本当に大した度胸だった。
「他の作品を見たいから、一度会いたいんだけど」と言ってきた。
会いたい気持ちは、僕も同じだ。
あの作品を見て、悲しいと言った人とはどんな人なのか、興味があった。
週末の午前中に、表参道沿いのカフェのテラス席で、彼女と会った。
「佐伯涼子と申します。」彼女は、いきなり会社の名刺を出してきた。
「大西達哉です。」僕も思わず、名刺を出した。
「あら、ウィングチップのデザイナーなの?」
僕の会社の名前だ。マスコミ業界で知らない人はいない、それほどの会社だ。
「あなたこそ、日本新聞系の雑誌社の編集じゃないですか…」
「何だか、灯台もと暗しみたいな感じね。」
「ホントですね。一つ、訊いてもいいですか?」
「会って、いきなり質問ですか?いいわよ、何?」
「何で、Cool Beautyなんですか?」
「ああ、そんな事。名刺見て。涼子でしょう。涼しい子だから。」
「あっ、ああー、そういう事…」
「何、ガッカリした?ビューティじゃなくて…」
そんな事はない。彼女は、キリッとした美人だ。誰が見ても、勿論、僕が見ても。
彼女は、コロコロと涼しげな声で笑った。
その声を聞いて、それまで彼女に対して抱いていた複雑な感情は一気に溶けた。
僕は彼女に恋をした。