見出し画像

【連載小説】夜は暗い ⑥


私の店に戻ってくると、カウンターは満席で、中にいる英郎君は客からのオーダーに応える事で手一杯のようだった。
彼に見つかると、「手伝ってくれ」と言われるのが目に見えてるので、私はそそくさと自分の部屋に入った。
私は自分も大酒飲みだから、本当は人の事をあれこれと言ってはいけないのだが、タガが外れたような飲み方をする人の応対をするのが苦手で、更に苦手なのは飲んだ勢いだけで会話してくる人だ。
そして今、あのカウンターには男女問わず、そんな人間しかいない。
だからここは、大変だが英郎君に頑張ってもらうより外ない。
 
部屋に入ると、島野瑤子が依頼人の椅子に座り、スマホでゲームをやっていた。
よっぽど夢中になるゲームらしく、彼女は私がいる事に気づいていないようだった。
私は彼女の目線とスマホの画面の間に掌を出した。

「わ!何?」
「僕だよ。早かったな」
「ケータ君のマンション、中野の駅前だったからね。立派なタワマン」
「そうか。で、何か分かったのか?」
「ちょっとだけどね。ねえ、黒さん、私お腹空いたんだけど」
「いいけど、金松園だぜ」
「焼売食べたい」

私たちは部屋を出た。
ドアが開くと、英郎君が私に向けて何か言いたげな眼をしていたが、私はそれを避けて店を出た。

 
 ■
金松園は、ウチのビルの裏口から出た路地にある町中華の店だ。
町中華なので、スタンダードな中華料理は何でもあるのだが、この店に来る客の9割5分までは、拳骨焼売を頼む。私も同じだ。島野瑤子はこの店を私から知ったので、無論焼売しか食べていない筈だ。
 
もう真夜中を過ぎた時間なのに、店はまだ客がいなかった。
この店は3時までやってるので、まだ混雑するまでには時間があるのだろう。
金松園の親父が一人でカウンターに座り、スポーツ新聞を広げていた。
見ると、競艇の予想をしているようだ。
親父は、ずれた眼鏡越しに入ってきた私たちを見た。
 
「いらっしゃい」
と、「別に来なくてもいいのに」という声色で言った。
「そんなんやっててもどうせ当たらねえぜ」
「うるせえ、焼売か?」
「ああ、全種類あるか?」
「あるよ。何にする?」
「今日はエビだな。瑤子ちゃんはどうする?」
「私は豚ニラ」
「何だそれ?」
「常連の片岡のおじいちゃんいるでしょう。おじいちゃんだけが頼む裏メニューらしいのよ。こないだ夕方に来た時に初めて知って。ねえ、大将、私でも頼めるわよね」
「ああ、お嬢ちゃんならいいよ。但し汁は熱いヤツしかないけど、それでいいかい?」
「ええ、冷たいのないんですか?」
「ああ、冷たいのは8月で終わりだ」
「まだ熱帯夜みたいな日が多いのにね。まあいいです。熱いヤツで」
「それで、豚ニラってなんだよ。普通の肉焼売とどう違うんだ?」
「まあそれは来てのお楽しみという事で…」
 
 
先に大ぶりな椀の白飯と中華スープが出てきた。
続いて、私のエビ焼売と肉焼売が出てきた。
見た目は普通の豚挽肉の焼売のようだ。
「これは普通の肉焼売?」
「そう、大きさは普通じゃないけどね」
「それはここの拳骨焼売は全部そうだ」
 
そう、拳骨焼売は、小六男子の拳ぐらいの大きさで、それが三個載ってくる。
こんなもの三個も食べれば、腹一杯になる。
 
「お嬢ちゃん、汁が出来たぜ」
瑤子は、カウンターに出された湯気が立つ汁の椀を持って戻ってきた。
私は椀を覗いた。
見た目は濃い醤油の汁のようだ。中に長めに切られたニラが沢山浮いていた。
 
「醤油のつけ汁?」
「まあ、そんなとこ。ほんのり酸っぱ味もあるけどね」
「ちょっと舐めてもいい?」
「うん」
 
私は使ってない割り箸をつけ汁に浸して、味見した。
まず醤油の味、すぐに甘味、最後にほんのり酢の酸っぱさが来た。
きっと鶏ガラ出汁にポン酢を入れて、そこに少し砂糖を加えてるのか、そんな感じの味だが、それだけでは出せない複雑さを感じた。美味い汁だ。
 
「親父、この汁はポン酢?」
「違えよ。醤油と酢だ」
「後は?」
「後?後は企業秘密だ」
「こんな美味めえ物、何で今まで俺に教えなかったんだ?」
「お嬢ちゃんが言ってたろう。これは片岡のじいさんの裏メニューなんだ。だから、それ以外の人間は食えるヤツを俺が選ぶ」
「俺は選ばれし者ではないという事か…」
「まあそうなるな。これ作るの面倒臭えんだ」
「でも、今日俺も知ってしまったぜ。これからは俺も頼んでいいだろう?」
「まあ10回に1回ぐらいは作ってやるよ」
「そうか…」
 
私たちはそれぞれの焼売定食を食い始めた。
私は肉焼売を一個、瑤子に交換してもらった。
 
これは格別に美味い焼売だった。

 


いいなと思ったら応援しよう!