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【連載小説】六浦敏郎 ラーメン屋の店主になる ③
ガチャン!
一階から物音がした。
私たちは一階のシャッターの前に戻った。愛美がシャッターを叩きながら、「諒太君、いるの?マナ先生なんだけど…」と大声で言った。
すぐにシャッターが開き、中から坊主頭の頬っぺたを真っ赤にした可愛らしい小さな男の子が出てきた。
愛美は男の子を抱き締めて、「諒太君!いるんじゃない、安心した!」と、諒太君の頬っぺたをゴシゴシこすりながら言った。
「いるさあ、僕の家だぜ、マナ先生。何で来たの?」
「何でって、先生、お店を手伝ってくれる人を連れてきたのよ。このおじさん、先生のお父さんなんだけどね。」
「六浦敏郎と言います。」
何とも、間抜けな言い方だなと思いながらも、私は普通に挨拶した。私はこのような子供への挨拶の仕方を知らない。自分の娘だって、諒太君の年の頃では触れ合った事もなかった。
「おじさん、マナ先生のお父さん?うちの店をやってくれるの?」
「ああ、お母さんが退院するまで、おじさんが手伝おうと思ってね、来たんだよ。いいかな?」
「うん、すごく嬉しいよ。でも、おじさん、ラーメン作れるの?」
「おじさんはね、若い頃、何年も中華料理屋で厨房の仕事をやってたんだ。だから、多分大丈夫だと思うよ。店に入ってもいいかな?」
「いいよ。」
私たちは店に入った。ものすごい蒸し暑さだった。9月とは言え、今日は真夏日の予報だ。厨房では火を使ってるようではなかったが、体感では室温は40℃近くに感じた。
「諒太君、エアコンは?」愛美が訊いた。
「仕込み中は、エアコンはつけないんだ。お母さんが電気代が勿体ないって言うからさ」
「それはダメだよ、諒太君。エアコンをつけよう。それと換気扇も回さないと…愛美、シャッターを全開にして、引き戸を開けておいてくれないか?僕は窓と裏のドアを開けてくるから。」
「分かった。」
私はエアコンと換気扇のスィッチを見つけ、強でつけた。
そして、厨房の窓をいったん全部開け、最後に裏口のドアを開けた。
熱気は出て行かなかった。エアコンはまだ効いてこないし、換気扇が熱気を外に出している風にも感じない。
「大丈夫、諒太君!」
客席の方へ戻ってきた愛美が叫んだ。
「どうした、愛美?」
「諒太君が倒れた!多分、熱中症だと思う。」そう言いながら、愛美は床に倒れた諒太君を抱き起し、椅子席に横たわらせた。
「じゃあ、兎に角冷やさないと…愛美は119に電話してくれ。僕は氷で冷やす。」
私は野菜の保存庫でビニール袋をいくつか見つけたので、それに氷を詰めた。氷袋は3つできた。愛美は救急車を呼ぶために電話をかけた。私は諒太君の頭と両方の脇の下に氷袋を置き、彼の呼吸、動悸などを確かめた。心臓は弱っているようではないし、脈も落ちてはいない。ただ、呼吸は少し苦しそうだ。早く、早く、救急車よ来てくれ…そう祈るしか、私たちに次の手はなかった。
幸い、10分もかからずに救急車が来た。ここは幹線道路のロードサイドなのが功を奏したのだろう。救急隊員が諒太君の様子を調べ、その場で点滴を打ち、ストレッチャーに載せて、救急車に運んでくれた。運転席にいる救急隊員が最寄の病院へ受け入れの確認の電話をしていた。
愛美が諒太君の側にいる隊員に「この子のお母さんも過労で、すぐそこにある都立救急病院に入院してます。できればそこで受け入れてもらいたいのですが…」
救急隊員は、すぐに都立救急病院へ問い合わせをし、そこに運んでもらえる事になった。
愛美が付き添う事にした。
私は店に残った。
まず、諒太君がここで何をしていたのかを確かめた。
どうやら、彼は出汁をとろうとしていた事が分かった。
寸胴に一杯水が張ってあった。ちょっと入れ過ぎだ。
多分、コンロにどうやって火をつけるのかが分からなかったんだろう。
水はまだ水のままだった。
取り敢えず、私は寸胴の水を横の寸胴に、片手鍋を使って分けていった。
さあ、この後どうするか?
私は厨房の中の食材を確認する事にした。
諒太君の事は気になるが、まだ病院に着いてもないだろうし、すぐにどうなるものでもないので、一旦それは忘れて、明日以降に私が店を開くとなった時の事を考えて、この店の味をどうやって再現するかを考える事にした。
水屋の引き出しを開けると、仕入れ帳簿が見つかった。
諒太君のお父さんは几帳面な人だったのだろう。毎日の仕入れ記録をきちんと記入していた。
それを見ると、ここの出汁は鶏ガラと宗田節と鯖節でとっている事が分かった。
店の奥の十斗缶に宗田節と鯖節が入っていた。鶏ガラは冷蔵庫にあった。
ここは味噌ラーメンの専門店だという事は聞いていたので、味噌を探した。
味噌は大きな二つの壺に入っていた。一つは白味噌、もう一つは茶色い味噌だった。舐めてみると、恐らく白味噌は京都の味噌、茶色い味噌は米麹の信州味噌だろうと思った。
次にチャーシューを調べた。この店にはチャーシューを吊り釜がなかったので、多分だが、ここはタレを作り、ブロック肉を煮豚にしてるのだろうと推測した。煮たブロック肉を最後にフライパンかなんかで表面を焼くのではないか?
最後に野菜を見た。ホウレン草、モヤシを入れるようだ。これは両方とも予め茹でておくのだろう。後の付け合わせをメニューに載っている写真を見て確認すると、後はメンマが載っているだけだった。煮卵もナルトもなければ海苔もなかった。
ラーメンは小・中・大というサイズで料金が100円ずつ違い、チャーシュー麺にするかどうかで更に200円増しになるようだ。
ラーメン以外のメニューは餃子だけがあり、餃子は既製品を仕入し、店では焼くだけのようだった。
呑む客用に、メンマと茹でモヤシ、ホウレン草、チャーシューの皿が夜のメニューにあり、それと餃子で吞むための客の対応をしていたようだった。
酒はビールと、ワンカップの日本酒だけが置いてあるようだ。
大体分かった。
ここで問題なのは、やはり出汁の宗田節、鯖節、鳥ガラの割合と、どのように掛け合わせてるのか?という点が一点と、白味噌、信州味噌の割合につきるような気がした。
まあ、心配しても仕方ないので、私はまず出汁を取る事から始める事にした。
さっき水を分けた寸胴に、水の量が均等になるように水を足し、火をつけた。出汁用の寸胴は二つしかなかったので、宗田節、鯖節は一緒に出汁を取っているのだろうと推測した。
どのぐらいの水にどのぐらいの鶏ガラなのか、節なのかは分からなかったが、昔学生自体にアルバイトしてた中華料理屋の時を思い出しながら、目分量でやろうと思った。
湯が沸いた。
鳥ガラは一袋全部入れてみた。
宗田節、鯖節は、それぞれを手掴みで大きく3回取り、湯の中に放り込んだ。
後は時間だが、これは長いブランクがあるので、ちょっと分からない。
なので、私は二つの鍋を掻き回しながら、ずっと表面を見ている事にした。
まあ1時間はかかるだろうな…
汗だくの私は一旦客席の方へ行き、ジョッキになみなみと注いだ水を一気に飲み、テレビをつけ、冷房の吹き出しの下に立った。
着替えを持ってくればよかったなあ…
今着てるゴルフシャツは大雨に降られたようにビショビショになっているし、スラックスの中も汗まみれだ。
まあ、仕方がない。
私はシャツを脱ぎ、椅子の背で干す事にした。
上半身裸だが、店は閉めているので、誰かに見られる心配はない。
スラックスも脱ぎたいが、そこは我慢する事にした。
引き戸が開いた…
「すいません…」
誰だ?