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【連載小説】六浦敏郎 ラーメン屋の店主になる ⑭

二種類の出汁をとり終わり、ホウレン草とモヤシも茹でたので、私は休憩する事にした。
時計を見ると、もう11時になろうとしていた。
表のシャッターを開け、店の外に置いてある灰皿の前でアイコスを吸った。
今日の一本目。格別美味かった。

店の前の共通の駐車スペースに一台のライトバンが止まっていた。今止まっているのは、菅原の軽トラと、その車だけだった。運転席から男性が降り、私の方へ向かってきた。
私はアイコスを吸うのを止めて、男性が来るのを見ていた。

「あの、六浦さんでしょうか?」
「ええ」
「私、川九の川田栄一郎です」
「えっ栄一郎さんですか?安曇野から?」
「ええ、今朝8時にあっちを出まして、さっきここに着いたところです。シャッターが開くのを待ってました」
「そうでしたか、それはそれは…私は5時から来てたんですが、気が付かなくてすいません。どうぞどうぞ店にお入りください」
「あっ、いや、私も一本吸ってもいいですか?私も止められないもんで…」
「ああ、どうぞ。付き合って、私ももう一本吸いますわ。私もねえ、娘に散々言われてるんですが、タバコが止められなくって…」
栄一郎も電子タバコだった。私ももう一本出してきて、吸い始めた。

「東京はまだ暑いですねえ」
「そう9月はまだ夏のようです。10月になって、急に朝晩が冷えるようになったなあと思っても、昼間はまだ暑くて、11月でやっと秋が感じられたら、すぐに冬が来ます」
「栄次郎も私も暑いのが苦手でね。何せ安曇野なんで…こんな暑いところで栄次郎は頑張ってたんですねえ…私もだいぶ前に東京に住んでた事があるんですが、あの時はこんなにまで暑くはなかったからなあ…」
「そうですか。いや、東京の暑さはここ数年で急に際立ってきてますよ。私はもう40年近く東京に住んでますけど、そう思います。栄次郎さんは堪えたでしょうねぇ…でも頑張って、この店を繁盛させてたんですよ、きっとね。さあ、ここは暑いので中に入りましょう」
「じゃあ私、味噌を持ってきます。先に入って下さい。」

私がアイスコーヒーをグラスに二杯注いでいると、大きな壺を台車に載せて、栄一郎が入ってきた。

「これはどうしましょう?」
「後で、私が置き場所を考えますから、いったんそこに置いて下さい。さあ、アイスコーヒーは如何ですか?」
「これはどうも、助かります。喉が渇いてたものですから」
栄一郎はテーブルにあったコーヒーを立ったままゴクゴクと飲んだ。そして、「ごちそうさまでした。じゃあ、私はこれで」と言った。
「いや、もう帰るんですか?」
「ええ、私の用件は終わりましたから…それに今日は味噌を持ってきたので、店の中に入りましたが、私はこの店に足を踏み入れられる立場ではないので…」
「それは、どういう事なんですか?」
「いえ…」
「じゃあ折角お出でになられたんですから、もう少しいていただけませんか?この後、この味噌を使って、栄次郎さんのラーメンを私が復活させます。それと、もうすぐ、栄次郎さんの奥さんと息子の諒太君が病院から帰ってきます。外泊許可ですけど…会っていきませんか?」
「ええ、紗季代さんと諒太が帰ってくるのですか?」
「そう、もう帰ってくると思います」
「それなら、尚更私はこれで…」
「どうしたんですか?私に話してみませんか?」
「…」
「何かあるのなら、赤の他人の私に吐き出すのも一つの手ですよ」
「いや、簡単な事なんですよ。私は栄次郎や栄次郎の家族に顔向けできるような存在ではないのです」
「どういう事ですか?」
「最初は、ウチの家業を継ぐのは栄次郎の筈だったんです。私は東京の大学へ行き、栄次郎は店を継ぐべく、高校を卒業するとすぐに味噌蔵で働き始めました。私は大学卒業してからも店には戻らず、地元の金融機関に就職しました。しかし、仕事が肌に合わず、私は5年もしないうちに会社を辞め、実家へ帰りました。帰ってもやる事がない私を見て、栄次郎が急に「俺も東京に行ってみたい」と言い出して、親父と喧嘩になって、半ば親子の縁を切ったような状態で出て行ったんですよ。それからちょっとして、親父が亡くなって、私が店を継ぐ事になって、栄次郎は親父の葬式にも出れずで…そういう関係が今も続いてる有様で…私は、あの時栄次郎はブラブラしてる私の事を救おうとしてくれたんだと思ってます。だから、親父との関係を何度も修復しようとしたんですが、どうにもうまくいきませんでした。だから、栄次郎が結婚する時もウチからは式に誰も出席できませんでしたし、息子の諒太が生まれた時もウチからはお祝いしてないんです…」
「それで、栄次郎さんに合わす顔がないと…」
栄一郎はコクリと頷いた。
「バカバカしい…そんな事で、頑張って店を存続させようとしてる紗季代さんや可愛い甥っ子の諒太君をあなたは見捨てるのですか?もういいじゃないですか。潮時ですよ。栄次郎さんは死んでしまったかもしれないが、昔栄次郎さんがあなたにしてくれた恩をあなたは今、紗季代さんと諒太君に向けて返す時なんじゃないですか?」
「ええ、そう思います。思うから、今日ここまで味噌を届けに来たんです…」
そう言いながら、栄一郎は泣き崩れた。
「じゃあ、紗季代さん、諒太君と会っていきなさい。」
「でも、会った時、私は何と言えばいいのかが分からなくて…」
「それは簡単です。ただ、「今までごめんなさい」と言えばいいのです。そして、「これからは俺が力になるから」と言ってあげて下さい」
「それで通じるのでしょうか?」
「通じます。必ず」
「分かりました…」
「もうすぐ、二人が帰ってきます。あなたは洗面所で顔を洗って、タバコでも一本吸ってきたらどうですか?気分が落ち着きますよ」
「ああ、そうですね。じゃあ顔を洗う前にまず一本だけ」
「じゃあ私もお供します。今日はまだこれで三本目なので…」
私たちは外の灰皿へ向かった。

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