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【連載小説】六浦敏郎 ラーメン屋の店主になる ⑨
「遅くなりました…」
引き戸が開いた。
「ええ?石井君だったよね?」
「いや、大杉です。大杉琢朗」
「ああ、そうだったねえ。どうしたんだい?」
「えっ?味見しに来たんですよ。久し振りに研究室に行ったら、色々あって、遅くなっちゃいました…」
「いや、今日はラーメンできないよ。明日の昼からってお願いしたはずなんだが…」
「あっ、そうでしたか?困ったなあ、僕、腹ペコなんすが…」
「おう、チャーハン出来たぞ。あれ、こいつは誰だい?」
「朝、会ったばかりのこの店の常連さんですよ。この先にある大学の先生だそうです。」
「えっ、じゃあ東都大かい?あんた、小松屋知ってっか?」
「小松屋って、駅前の中華料理屋さんの?」
「おう」
「そりゃ、知ってますよ。学生時代はすごくお世話になりました。おじさんは小松屋さんなんですか?あー、大将だあ!懐かしい…小松屋さん、どうしちゃったんですか?」
「いや、息子が死んじゃってな。俺も年なんで一人で店を続けられねえんだよ。そうだよなあ、東都大に通ってた子なら、ウチは知ってるよなあ」
「ええ、勿論です。週五で通いましたもん。じゃあ、このチャーハンは小松屋さんのですか?」
「おお、そうだい。でもなあ、具は色々なかったんで、ウチの店から持ってきたチャーシューの切れ端とネギだけだけどな…」
「スゲエな。小松屋のチャーハンだ。僕、超絶特盛の初代チャンピオンなんすよ。」
「ええ、そうかい…そいつはどうも…」
「このチャーハン、僕の分もありますか?」
「ああ、大丈夫だ。食っていいよ。米はまだあるから」
「ありがとうございます。六浦さん、いいですよね。」
「いいけど、超絶特盛って?」
「学生だけがチャレンジできるんですけど、1.5㎏の米を使ったチャーハンを20分以内に一人で完食すると、そのお代が無料になるだけじゃなくって、それから一年間はチャーハンがずっと200円で食べられる企画があったんですよ。それ、金のない学生には人気なんですけど、中々クリアできなくて…20分ってのが絶妙なんだよなあ」
「でも、君はクリアしたんだろう?」
「ええ、必死でしたけどね」
「超絶何とかって、名付けたのは大将なんですか?僕は全く知らないので聞きますが…」
「いや、あれはウチの息子の貞義が名付けたんだ。貞は、あれでも東都大出身でな、プロレス同好会にいたんだよ。ずっと、プロレスオタクで…超絶なんとかって、プロレスっぽいだろう?」
「なるほどね…」
「お父さん、戻ってきたわよ、菅原さんと一緒に。えーっ、チャーハン?今からお昼?私たちの分もある?」
「こんちは、あれ、小松屋の大将じゃねえっすか?どしたんですか?あれえ、これって、大将のチャーハン?俺も食いたいっす。作ってくれないっすか?」
「そんなに食いたいか?」
「それ、食いたいっすよ。この辺の30代、40代の男はみんなこれ絶対に食ってますから、店がずっと閉まっちゃってから、食いたくて夢見たりするぐらいなんすから…」
「分かったよ。でもな、飯がもうねえんだ。」
「飯ならウチの横の総菜屋で買ってきますよ。後は?」
「じゃあ、お前んとこの長ネギを一本と、玉子一ケース、それと相模屋でナルトを二本買ってきてくれ。飯はな、五合分だ。」
「分かりました。すぐに行きます。愛美ちゃん、手伝ってくれるかい?」
「いいわよ。行きましょう。」
二人は出て行った。
「じゃあ、俺らはもう食っちまおうぜ。若いの、お前はその皿を食っていいよ。俺は鍋の残りを皿に盛ってくるから。」
「ありがとうございまーす。さあ、六浦さん、食べましょう」
「ああ、食べよう」そう言って、私は皿に盛られた不思議なチャーハンをまじまじと見た。
前に言ったと思うが、私もチャーハンは得意料理の一つだ。
しかし、このチャーハンは今まで見た事がないものだ。
まず、皿の上の飯はお玉で丸く固められておらず、平盛りだ。
色は白く、玉子は黄色い。あまり火を通してないような色合いだが、ネギの緑が油を吸って鮮やかなのが分かるところを見ると、きちんと炒めてる事が分かる。
何よりも驚いたのが、平盛りの真ん中には少し紅ショウガが乗っており、それには違和感がないのだが、皿の端に割と多めに赤い福神漬けが盛られている。
琢朗は、それをスプーンでまんべんなく混ぜ合わせると、その上からウスターソースをかけた。
「えっ?ソースをかけるのか?」
「そうですよ。それが小松屋のチャーハンです。」
「ああ、ビックリしたかい?俺はな、元々大阪の出身でな。大阪で中華料理屋の見習いやってから、東京に出てきたんだい。今じゃもう、大阪弁なんてしゃべられへんけどな。大阪ではチャーハンにソースをかけて食うヤツが多いんだよ。それを自分の店を持った時に、東京でも広めてみようと思ってな。やったら、東都大の学生にウケてな。あんた、初めてか?」
「ええ」
「じゃあ、最初はそのまんまで食べてみて、後からソースかけてみな。アイツみたいに福神漬けも紅ショウガも混ぜてな」
「分かりました。」
なにもつけないで食べるチャーハンは、塩もコショウも控え目で味がしない感じがした。そこで、私はウスターソースを軽く一周させ、琢朗と同じように全部を混ぜて、一口食べた。
う…美味い…
急に味がした。
ウスターソースのお陰でコショウが際立ったような気がした。
そして、いい味を出すのは紅ショウガと福神漬けだ。しょっぱと、あまを二つでやってのけている。
これは病みつきになる。
私も一心不乱に食べた。
すぐに私の皿も琢朗の皿も空になった。
もっと食べたい…
「ただいま…急いで買ってきたわ」
愛美と菅原が帰ってきた。
このチャーハンがお代わりできる…そう思った。