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【連載小説】夜は暗い ⑧
■
自分の店に戻ると、珍しくもう客はいなかった。
まだ午前1時過ぎであるにも関わらずにだ。
英郎君はカウンターの中で、ヘッドフォンをし、タバコを吸いながら、何かを書いていた。
彼は自分で作詞作曲をするミュージシャンだ。
きっと新しい曲を作ってるのだろう。
彼は私に気づいてないので、私が彼に近づき、彼の目の前で手を振った。
「ああ、おかえりなさい」
「今日は客が引けるのが早いね」
「ど平日ですからね。まあいいんじゃないですか」
「いいさ。君は今仕事中なの?」
「ええ、サビのアレンジを変えたいんで、頭の中で構想してたところです」
「じゃあ今日はもう帰っていいや」
「えっ?いいんっすか?まだ4時間近くありますけど…」
「ああ、今日はもう店を閉めて、僕はこれからここで飲もうと思ってるんでね。食器洗いは済んでるんだろう?」
「ええ、済んでます」
「じゃあもう上がってくれていいや。日当は普通に払うから」
「分かりました。ありがとうございます」
英郎は前掛けを外し、さっさと店を出て行った。
私は一人残った。
まずは表のドアに閉店の札を出し、入口の照明を全部消し、施錠した。
さあもうこれで誰にも邪魔される事はない。
普段ならこんな時間から飲んだりしない。
週三日は、朝5時から飲むが、それ以外の日は、朝のうちにトレーニングをして、午前10時から飲むようにしてたりもする。
今日はまだ真夜中だ。
いつもの私ならこの時間は一番頭の中をスッキリさせておきたい時間だ。
だが、今日は違う。明日はいつもとは違って、午後早めに起きて出かける必要がある。
だから早く飲んで、早く寝たい。
最初に飲む酒は決めてある。
レッドアイだ。
私は大きめのグラスに缶ビールとトマトジュースを注ぎ入れて割った。
ウチの店には生ビールがない。だからビールをオーダーされると必然的に缶ビールが供される。
ウチの店でビールだけを頼む人間はまずいないから、ビールにこだわる必要がないのだ。
出来上がったレッドアイを飲む。
まず一口と思って口に運んだが、そこから先は喉が言う事を聞いてくれない。
一気に飲み干してしまった。
美味い!
今日はレッドアイ・デイではないか?
私は自分の気分が変わるまではずっとレッドアイを飲み続けよう、そう思って、冷蔵庫に缶ビールとトマトジュースを取りに行った。
スマホが鳴った。
島野瑤子からだった。
「どうした?」
「今、お店の前にいるんだけど、閉店の札が出てて、玄関も真っ暗で…黒さんは中にいるの?」
「ああ、いるよ」
「ちょっと飲ませてもらいたいんだけど…」
「開けるよ」
ドアのロックを外すと、島野瑤子が一人で入ってきた。
「君が夜に酒を飲むなんて珍しいじゃないか。本当にどうしたんだ?」
「そっちこそどうなってるの?黒さんだって、こんな時間から飲んでるなんて珍しいじゃない」
「飲んでると言っても、ビールのトマトジュース割りだからな。飲んでるうちに入らんよ」
「でもビールじゃない」
「まあそうだけど…さっき金松園でチンピラ相手に立ち回りそうになっただろう。どうやらあれでアドレナリンが噴き出してしまったみたいで、飲まずにはおれなくなってるみたいなんだ。あんなのは久し振りだからな」
「ああ、そういう事?分かるわあ。私もアドレナリンが出ちゃったみたい」
「だから飲みに来たのか?」
「そう」
「じゃあ俺と同じレッドアイを飲むか?」
「イヤだ」
「何で?」
「私、トマトジュースが嫌いだし、ビールは弱いのよ。もっと強い方がいい」
「で、何を飲みたい?」
「シャンパンある?」
「あるけど、高いぜ」
「そこはオーナーの奢りで」
「キツイねえ…まあいいか。でも一本だけだぞ」
「いいわよ。後は黒さんのとっておきの泡盛の古酒を飲むから」
「いやそれはダメだ。ウィスキーにしてくれ。それならここにあるウィスキーは何でも飲んでいいから…」
「分かった」
私はカウンターの奥に隠してあるワインクーラーからモエエを出してきて栓を開けた。
そして二人で飲み始めた。
私はたまには自分の決めたルールを自分から破ってみるのも悪くないと思っていた。