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【短編小説】黒崎透 年越しの夜、島野瑤子が店を切り盛りする(2/2)


大晦日の夜は、除夜の鐘がTVから聞こえてくると、口々にハッピーニューイヤーと叫び、その後、割と早くみんな店を出て行く。
 
気がつけば、店には野中だけが残っており、土産と言って、野中が持参したヴィンテージ物の赤ワインを島野と二人で飲んでいた。
 
ワインは三本も持ってきていて、既に二本は空いていた。
島野は高いワインをガブガブ飲み、野中はそれを窘める事なく品よく飲んでいた。
そして、今は三本目がもう半分なくなっており、酒豪と言われる島野も流石に酔っ払い、いつものペースを崩されがちな野中も、だいぶ酔いが回っていた。
 
「野中さんと二人で差しで飲むのって、初めてですよね?野中さんはいつも梅野さんと一緒に来ますもんね」
「ああ、そうだね。今日も本当は彼女と来る予定だったんだが、あの人も黒さんと同じインフルエンザにかかったらしくってね」
「あら、そうだったんですね。インフルじゃあ来れないですねえ。でも、チャンスだから訊いちゃおうかなあ?」
「訊くって、何をだい?」
「あのう、野中さんって、いつもビシッとビジネススーツを着て、靴もピカピカで、やり手のビジネスエグゼクティブって感じじゃないですか」
「そうかい?まあ、着てるものは仕事上、しょうがないねえ。あまりみすぼらしい格好はできないからね」
「お仕事って?」
「不動産投資だね」
「それって、怪しい方?それともまともな方?」
「島野君、君はやっぱり面白い子だねえ。僕がもし、怪しい場合、自分で言うかね?まともだよ。真面目に仕事してるよ」
「そりゃそうでしょうね。野中さんって、社長なの?」
「一応ね」
「会社、大きいの?」
「まあまあかな…」
「社員は何人ぐらいいるんですか?」
「うちは東京しかないからね。それでも100人ぐらいはいるかな…」
「大きんじゃん…」
「まあ普通だよ」
 
赤ワインはとうとう三本目も空いてしまった。
 
二人は、焼酎のロックに切り替えた。
黒霧島なら、まだたくさんストックがあるからだ。
 
「いい機会だから、もっと訊いていい?」
「何だい?」
「野中さん、いつも梅野さんとここに来るじゃない。あれって、何でですか?付き合ってるんですか?」
「いや、いや、そんな…僕はもう72歳だよ。そんな、付き合ってる訳ないじゃないか…」
「じゃあ、何でなんですか?」
「僕はね、月に二回、彼女のお店に行って、運勢を見てもらってるんだ。その帰りにね、彼女と一緒に食事して、それから、彼女が馴染みにしてるこの店に寄って…それだけだよ」
「でも…言っちゃいけない事かもしれないけど…梅野さんね、この界隈じゃあ、スゴイ評判が悪いの知ってます?あのおばさんはペテン師だとか、イカサマ占師だとかって、怒ってる人、結構いて…そんな人に、野中さんみたいなちゃんとした人が、あまり関わらない方がいいんじゃないかって思ってて…」
「ああ、そんな事か…梅野さんが、色々と言われてるのは僕も知ってるよ。でもね、僕にとって、彼女は恩人なんだ。僕にとって、というか…」
「何ですか?」
「その前にお代わりを作ってくれ。今度はお湯割りがいいな」
「お湯割り?私もそうしよう。濃さはどうします?」
「濃いめで」
「梅干しとか入れます?」
「あれば入れたいな」
「ありますよ」
 
島野は、水屋からお湯割り用の湯飲みを出し、冷蔵庫から梅干しの壺を出してきた。
そして、焼酎を湯飲みに注ぎ、ポットから湯をちょっと注ぎ、梅干しを入れた。
これは、殆ど割ってない。生の焼酎に近い…
 
野中は、湯飲みから焼酎を飲んだ。彼はマドラーで梅干しを潰したりしなかった。
 
「彼女はねえ、僕の亡くなった妻の恩人なんだよ。妻の美沙はね、末期がんだったんだけどね。何とかしようと思って、色んなところにすがったんだが、ちっとも効果がなくて…で、知人から梅野さんを紹介してもらって、彼女に運勢を占ってもらったんだ。そしたら、彼女は「あなたは絶対に大丈夫だから、信じて」って、妻に言ってね。美沙は何故か、その言葉を信じて…でも、結局は亡くなっちゃうんだけど…でもさあ、美沙は梅野さんが来る度に、彼女を見て、目を輝かせて…で、梅野さんが言うんだ、「あなたは大丈夫だ」って。何だかよく分からんのだが、それを聞くと美沙は元気になるんだよな、不思議な事に…で、最期の時も、美沙はあまり苦しまないで、笑顔を浮かべて死んでいったんだよ。その笑顔を見てね、僕は救われた気持ちになった。それから、僕はうちの会社の経営や、僕のバイオリズムなんかを彼女に占ってもらうようになってね。勿論、彼女の占いの結果を僕は信じたりしてないよ。ただ、僕の彼女への感謝の印として、僕は定期的に彼女の店を訪ねてるんだ」
「なるほど…深い訳があったんですね…奥様、お悔やみ申し上げます」
 
野中の焼酎がなくなった。
何も言われてないが、島野は野中の湯飲みを取り、新しいお湯割りを作った。
梅干しはそのままにしておいた。
そして、自分の分の新しいお湯割りも作った。
 
「いや、6年も前の事だからね」
「6年、結構経ってますね」
「まあね、お陰で僕も70代になってしまった」
「それにしてはお若いですよ。若いで思い出した。もう一つ、訊いていいですか?」
「ああ、いいよ。何だい?」
「野中さんが被ってるカツラって、髪色、黒過ぎません?もうちょっと自然な感じのヤツに変えたらどうです?」
「君って人は…人が訊きにくい事をあっさりと訊くねえ。まあいいだろう。これかい、これヘンかなあ?」
 
話ながらも二人はどんどん焼酎のお代わりを作り、飲んだ。
明らかにろれつが回らなくなり始めていた。
 
そう言って、野中はカツラを脱いだ。
頭頂部はつるっ禿げだった。
 
「うわ、何もないんですね。でも、耳の横とかの毛は、グレーじゃないですか。だから、カツラも今の真っ黒のヤツじゃなくって、グレーのヤツがいいと思うんですよ」
「いやあ、それは無理だなあ。このカツラは美沙が選んでくれたんだ。だから、これは捨てられない」
「捨てろなんて、言ってませんよお。ただ、色を変えたヤツにしろと言ってるだけ。それはキチンと仕舞っておけばいいじゃないですか…」
「いや、俺は毎日、これを被りたいんだ…おい、流石に酔ったぞ…」
 
野中は潰れた。
カウンターに頭を載せて、眠り出した。
 
島野瑤子も潰れた。彼女はカウンターの中にある丸椅子に座り込んで寝た。
 
野中のカツラは、カウンターに置かれたままだった。


 

起きた。
時計を見ると、3時36分だった。
私は汗だくになっており、熱が引いたのを実感した。
身体が目覚めてくると、トイレに行きたくなり、ベッドを出て用を足した。
次に、喉が渇いたと思ったので、炭酸水を飲もうと思い、下の店へ降りて行った。
 
店は流石に閉めてるだろうと思っていたのだが、まだ、クローズドの看板は出ていなかった。
私は店の中に入った。
カウンターに頭を載せて眠り込んでいる禿げ頭の男を見た。
よく見ると、恐ろしい事に野中さんだった。
私は野中さんが起きないように、そーっとカツラを頭に乗せた。
 
カウンターの中を見た。
 
島野が丸椅子からずり落ちて寝ていた。
 
私は島野を抱え上げ、横にあるオフィスへ連れて行き、相談者が座るカウチに横たわらせた。
それからいったん10階の住居へ戻り、毛布を3枚持って、店に戻った。
1枚は、島野に掛けた。
1枚は、店のフロアに敷いた。
うちの店はカーペット敷きなので、分厚い毛布を敷けば、そんなに硬さは気にならない筈だ。
そこに、野中さんを寝かせた。
頭には細心の注意を払った。
きちんと横たわらせる事が出来たら、彼の上にもう1枚の毛布を掛けた。
 
頭を再確認した。
多分大丈夫だ。
 
私は店のドアを閉め、クローズドの看板を出し、ロックした。
 
終わると、ドッと疲れが出た。
 
また、熱が出そうだ…
 
 

 

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