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【連載小説】夜は暗い ㉚ (最終話)


二日経った。
私の一日のサイクルは、どんなに狂わされても、割とすぐに元に戻せるのだが、流石に今回は無理で、夜の生活に戻れてなく、かと言って昼間もボーっと過ごす始末だった。

それは仕方がないだろう。この数日間、如何にも多くの経験をした。
「もう冒険は懲り懲りだ」と、言いたくなるほどの経験だ。
一生分のアドレナリンを出し尽くしたのではないだろうか?
だから、疲れているにもかかわらず寝つきが悪いし、寝入ったとしてもイヤな夢ばかりを見た。
起きている時は、まるで身体の中の心棒がすっかり抜けてしまったようで、心だけではなく、身体までグニャグニャになってしまい、気力が出てこなかった。

TVのワイドショーは山本由佳里に対する報道が熱を帯びてきた。
どうやら彼女はあの後、東京近郊の総合病院に入院したようで、病院の敷地の外で建物をバックにしゃべるレポーターの姿が、朝からずっと人を代えて繰り返し映されていた。

夕方になり、状況は変化した。

都内のどこかの会場で、山本由佳里の顧問弁護士という男が記者会見を行った。
男は、荒木五郎という名前で年は40代前半だと見た。柔道で重量級のランキングに入っていそうな体つきをしていて、大きな声でハキハキとしゃべる。
記者はあらゆる方向から質問を投げかけたが、彼はその全てを上手くいなした。

その結果、記者会見を見た半数以上の視聴者は、「山本由佳里は、思いがけない事件に接し、心痛の余り入院を余儀なくされたのだろう」と思った事だろう。

大成功だ。

この記者会見を見た後、私は岩田に電話をかけた。
岩田はすぐに出た。
後ろから聞こえてくるノイズから、彼はどこかの会議室にいる感じがした。
ヤツはきっと、記者会見場の控室にいるんだろう。

「上手くやったな…」
「何だ、藪から棒に…」
「記者会見だよ。あの弁護士、お前、手配しただろう?」
「バカ野郎。紹介しただけだよ」
「だろうな。お前、俺に貸しがあるよな。今晩奢れよ」
「いいだろう。但し、こっちは公務員だぜ。高い店は奢れねえ」
「ちゃんこ、行かねえか?」
「蔵前か?」
「ああ、いつものところだ」
「分かった。8時でいいか?」
「結構だ」



ちゃんこ屋には時間通りに着いた。
私も岩田もこの店の常連と言っても良いぐらいに通っているので、私たちが行くと、奥の個室に通される。
部屋に入ると、岩田はもういて、先附に箸をつけ、ビールを飲んでいた。
鍋はもう煮えており、岩田が面倒を見ていた。

「早いな」と私が言うと、岩田が「お前が遅いんだよ」と返した。
「俺は時間通りだ。お前が早い」
「美味いビールが飲みたくってな。待ってられなかったんだよ。お前もビールでいいか?」
「ああ」そう言いながら、私は自分の席に置いてあった華奢なビールグラスを取り上げ、自分でビールを注いだ。最初の一杯だけはビールを飲む事にした。
「なんだ、酌ぐらいしてやるよ。まあいいわ。乾杯しよう」
「ああ」

私たちはグラスを合わせた。

そして、岩田が「鍋がいい頃だ。まずは食おうぜ。飲むのはその後だ」と言い、私の小皿に取り分け始めた。そう、ヤツは鍋奉行だ。

私たちは思い思いに鍋を食い、岩田は熱燗に変えた。私はウーロン茶を飲んだ。

「何だ、飲まねえのか?」
「体調が悪くってな。それに今は夜だ」
「ああ、そうか。お前は夜は飲まねえんだったな。いつもの暮らしに戻ったのか?」
「やっとな」
「そうか、それは良かった。俺は遠慮なく飲ませてもらうぜ」
「結構だ」


十分に食べた後で、岩田は本格的に飲み始めた。
岩田はホッピー割に変え、そして私は炭酸水を飲んだ。

「山本由佳里の警護は大変そうだな」
「まあな。でも、署にいるよりは、色々と話が訊けて、これはこれでいいぜ」
「そうか、何が分かったんだ?」
「あの女、どうやら娘だけじゃなく、息子も嫌いだったようだな」
「そうなのか?あの時は、圭太君には優しそうに見えたが… 」
「あれは、咄嗟に出たポーズみたいなもんだな。まさか、息子の声まで聞こえるなんて思ってなかったんだろうな」
「しかし、有紗ちゃんだけでなく、圭太君も消したかったのか?何故だ?」
「消すまではなかったんだろうが、有紗ちゃんだって、まさか殺されるとは思ってなかったんだろうし… でもな、二人の存在が邪魔になったのは確かだ」
「何で邪魔なんだ?」
「二人ともピアノが下手だからだよ。あの時も言ってただろう。二人の練習を見てると、自分が子供の頃に母親に滅茶苦茶厳しく指導されて、泣きながら練習していた、その時の姿が浮かぶんだそうだ。それが彼女には何よりもきついらしい」
「それで消えてくれとは、いきすぎじゃないのか?」
「あの女はなあ、恐らくだが、「自己中の中の自己中」なんだと思う。その癖、自分の境遇と言えば、生まれてきた二人の子は、揃いも揃ってピアノが下手で、上の娘は「かどわかされたお爺ちゃんとの間の子」で、「下の息子は藤沢雅也の子」だ。どっちも自分が望んでなくて生まれてきた子だし、重ねて最悪なのが、二人に共通するのは、「育てば育つほどに、それぞれの男に似てきた事」だそうだ。彼女はそれが耐えられなかったらしい。せめてピアノが上手ければ、まだ我慢のしようもあったんだろうが、ピアノが下手なのは自分譲りで、性格や雰囲気はそれぞれの父親ゆずりなんじゃなあ」
「でも、藤沢雅也は愛したんじゃないのか?」
「いや、どうも違うようだ。あの時、彼女が言ったように、藤沢は自分に才能がない事を隠すために付き合っただけらしい。当時、彼女はまだ世間をよく知らず、不倫が罪な事である事が分かってなかったようだ。それに、彼女は、「自分は藤沢に騙された」と思ってるような気がする」
「それは不幸中の不幸だなあ。取り付くしまもない」
「そうだな… しかし、そういう事は表沙汰になる事はないんだろう?」
「自分でマスコミに言い出さなけりゃ、そうだろうな」
「今、TVのワイドショーでは彼女は悲劇のヒロインだぜ。言い出す訳がない」
「まあ、そうだな」

「漆原美香子は、どうしてる?」
「あっちは、奥平さんが面倒見てるよ。あの女は酷いもんだよ」
「酷いとは?」
「あの女、山本由佳里の家族全員を破滅させたかったんだ。命を落としてくれれば勿怪の幸いと思ってるほどに」
「だろうな」
「何だお前、それも分かってたのか?」
「ああ、山本由佳里が自分用のデキャンタで自分だけ別の酒を飲んでいる時に気づいた。あの中身はきっと酒じゃない。紅茶とか、そんなとこだ」
「ええ?」
「漆原は正治を薬漬けにしたように、山本由佳里にはアルコール依存症にさせようとしたんだと思う。ところが、山本由佳里は、そもそも漆原をそういう策略を仕掛けてくるのを分かったうえで雇ってるんで、引っ掛かる訳がない。しかし、引っ掛かったフリをしないと漆原に怪しまれてしまう。それで自分用のデキャンタを使うようにしたんだ」
「何で分かった?」
「山本由佳里の息さ。彼女の息はいつも酒臭かった。でもそれは、酒を飲み過ぎてて肝臓が腐ってるような体内から出てくる酒臭さではなく、フレッシュな酒本来の匂いだった。きっと彼女はいつも口に酒を含んでいたんだろう。決して飲まずに吐いてね」
「なるほど…」
「だから、次の家宅捜索の時に、あのデキャンタを調べてみればいい」
「分かった」
「でも、山本由佳里と二人の子供とも抹殺するつもりだったのか?」
「それだけじゃない。正治もだよ」
「えっ?」
「漆原が、最初に泊まりこむようになった時に、彼女は正治に襲われたんだ」
「えっ、本当に穴があれば何でもいいんだな、ヤツは…」
「そういう事だ」


この店は変わっていて、〆は餅が入る。
女将が焼いた餅を網に載せて、入ってきた。
会話が途切れた。


「岩田…お前、嵌めただろう?」
「嵌めた?お前をか?」
「そうだ」
「何でそう思う?」
「お前ら、元々あの親子をマークしてただろう?」
「山本由佳里じゃねえ」
「やっぱり… 教団か?」
岩田は、声を出さずに頷いた。盗聴を恐れてか?
「いつからだ?」
「半年ほど経つかな」
「容疑は?」
「それがグレーなんだ。何人かの元信者が告発しようとしてるんだが、確たる証拠がなくて… 教祖と、その息子たちの性被害だ」
「状況証拠だけじゃあ厳しいな」
「そう、物証がないとな」
「じゃあ今回の山本由佳里の件は、全く別件か?」
「いや、そうとも言えん。警察は、漆原美香子もマークしてたし、山本由佳里も怪しいと睨んでいた。的外れだったけどね」
「漆原や、山本由佳里は、どう怪しいんだ?」
「漆原は正治への手引きだ。薬物関係だな。そして、山本は正治をコントロールしているんじゃないかっていう疑惑だ」
「全て金につながる?」
「そう。俺らは検察と張り合っていて、どうしても俺らの方で正治を挙げたかったんだ」
「なんで?」
「ヤツは幼児を虐待してる。証拠はないが…」
「最低な奴だな…それで、今回、俺を引っ張り出したんだ?」
「そうだ。最初は圭太君が新宿をうろついているのを尾行していた刑事から報告を受けた時だ」
「で、圭太君が売人を探している事を知り、お前らはデビッドに、圭太に俺を紹介するようにと、説き伏せたんだ」
「説き伏せた?バカ言ってもらっちゃ困る。情報提供をしただけだ」
「まあいいわ、それで、俺のところに圭太君が来て、今日に至る訳だ。俺に振ったのは、やはり証拠がないからか?」
「その通りだ。こないだお前が、漆原と山本由佳里の両方とも落とした勝手な思い込みストーリー、あれが俺らにはできねえ」
「だから、俺にやらせたんだ?俺はフリーだからな」
「そう。結果は俺らの思ってる事と違ったがな。今回の事件で、教団は取材を一切受けず、教祖の正道は正治と縁を切ってしまった。俺らは振出しに戻るだが、それでも俺らは正治を握った。ここからだぜ」
「まあいいが、それにしても今回の事で、俺は体力的、精神的に相当なダメージを負ったぜ」
「だから、こうして接待してるんじゃないか」
「これじゃ足りねえな」
「まだ足りないと言うのか?どうすればいい?高い店は無理だぞ」
「俺のビルの裏にな、でっかい焼売を出す店がある」
「金松園だな」
「あそこで焼売をご馳走しろ」
「えっ?あの店なら、お前は行きつけなんじゃないのか?俺は夜しかやってねえから、あんまり行った事ねえんだが…」
「焼売のな、美味い食い方があるんだよ。さあ行くぞ!」
「今からかよ。俺は入んねえよ」
「バカ野郎、大食いビックリ人間の癖に!」

私たちは店を出て、通りでタクシーを拾った。

私の夜はこれからだ。
夜は長い。


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