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【創作大賞2024応募作オールカテゴリ部門】松山行きのバスに乗る。#2 親子になる。


朝の松山駅前は、そんなに絵になる背景もなく、私の法事の時間も迫っていたため、愛美とは、もう一度、駅前で会う約束をした。法要と昼の会食を済ませて、タクシーを飛ばせば、15時にはこの駅前に戻ってこられる。
 
愛美はもう、おじいさんのところに行く必要はなくなったのだが、他に行くところもないので、おじいさんのやっている老舗の和菓子屋を訪ねると言った。
私は、手ぶらの愛美に、バッグを買うようにと言って、1万円札を2枚渡した。
 
「じゃあ、3時に。」
「分かった、じゃあね。」
 
そう言って、私はタクシーに乗った。
 
法事は恙なく終わった。会食の時、私は体調が悪いと言って、酒を飲まなかった。コップ一杯のビールですら、飲まなかった。酒が入り、親族がガヤガヤしてきた。なかなか締められそうにない雰囲気が漂う。
私は、長男で、喪主の親父はもう、80と高齢のため、私がしっかりとしないといけない。
親父が少しの酒で酔っ払い、テーブルに突っ伏して寝てしまっているのをいい事に、無理やり会食の席を終わらせた。
 
親父は弟夫婦が面倒を見ている。弟には仕事の用があると、予め言ってある。
だから、私は店を出て、タクシーを拾い、駅前に向かった。
 
駅では、愛美が待っていた。
愛美は小さなポシェットをたすき掛けにしていた。
 
「何だ、それは?」
「だって、お父さんがカバンを買えって言ったじゃない。」
「そんなんじゃ、お金が入らないよ。困ったなあ、まあいい、どっかで大きめのカバンを買おう。」
「それで、これからどうするの?」愛美が訊いた。
それで気がついた。私はもう、急いで東京に戻る必要がない事を。
朝の電話以来、私に連絡をしてくる者はいない。メールも来ない。急ぐ必要はない。
「愛美は、明日、何か用事があるの?」
「明日は日曜日じゃない。何もないわ。」
「じゃあ、僕と一緒に、道後温泉にでも泊るか?ゆっくりしたいし。」
「いいよ。でも、私、着替えも何も持って来てない。」
「それは、このデパートで揃えればいいよ。じゃあ、いいかい?」
「いいわ。」
 
私は持っていた今日の夕方便の羽田行きのチケットを明日に変更するために、ネットを開き、自分のチケットの変更とともに愛美のチケットを新しく予約した。
 
「よし、飛行機のチケットは取った。次は、温泉宿の予約だ。」
「それは、私が検索する。可愛いところがいいもん。」愛美がスマホで検索を始めた。
 
宿も予約できた。
 
「じゃあ、服とカバンを買いに行こう。僕も、服を買わないといけない。」
「何でもいい?」
「高いのは、勘弁してくれ。今回の旅で、もういくら使ったか、分からないほどなんだよ。」
「分かったわ。」
 
私たちは駅ビルのデパートに入っていった。
 
 
デパートの中では、二手に分かれる事にした。
婦人服と紳士服では階が違うからだ。
私は、愛美に「使い過ぎない事、出来れば2万円以内で、全部買う事。」と釘を刺し、また2万円を渡した。
愛美は、「これ、服だけね。カバンは別ね。」と、逆に釘を刺してきた。
「ああ、いいよ。カバンは別だ。じゃあ、30分後にエレベーターホールで。」
そう言って、別れた。
 
私は、普段のビジネススーツを着ていた。
今日は法事があるのだが、喪服を着て動くと、色々と面倒臭いため、ミッドナイトブルーの無地のスーツを着てきた。白いシャツに黒いタイを締めれば、法事の席でも違和感はないからだ。
しかし、今日これからはタイを締める必要もない。それに、急に買う事になった服だ。あまり、金もかけたくないし、みっともなくなければ、正直、なんでもいい。売り場を見ていても、あまりピンと来ない。スーツとゴルフウェアなら、何でも選べるのだが、カジュアルウェアとなると、殆ど自分では買った事がない。
休日はいつも、ゴルフウェアで済ませてるからだ。
 
どうしようか?
ヘンなところで悩む。
しかし、良い解決方法が見つからない。
 
そうだ、下着と、靴下も必要だ。
そう思い、まずは下着コーナーへと向かった。
 
 
結局、服は何も決められないまま、約束の30分が経った。
 
私は、彼女の階のエレベーターホールへと降りていった。
愛美は、大きな紙袋を1つ持って、待っていた。
「あれ、お父さん、買ってないの?」
「ああ、下着と靴下さえ替えれば、明日までこのスーツで大丈夫かなと、思って。」
「ダメダメ、そんなんじゃ、もてないよ。だから中年のおじさんは嫌われるんだよ。」
「でもねえ、正直、何を買えばいいのかが、よく分からないんだよ。」
「そうなの?じゃあ、私が選んであげるよ。さあ、行こう。」
 
愛美はそう言って、丁度来た上りのエレベーターへと私を引っ張って行った。
 
紳士服売り場へ来た。
 
「えっと、さっき、店員さんに聞いたら、明日もこっちは肌寒らしいのね。だから、お父さんのシャツと、パンツと、カーディガンみたいなヤツと、出来れば、軽いウィンドブレーカー的なヤツを買おう。」
「そんなに?」
「それぐらい着てよ。横にいる私がカッコ悪い気持ちになっちゃうから。」
「分かった。じゃあ、見立ててくれ。お願いするよ。」
 
ここから私の忍耐の時間が始まった。
何度も、何度も試着させられたからだ。
しかし、愛美が納得しないと終われない。
 
忍耐は続く。


 
ラルフローレン、トミーヒルフィガーぐらいは知ってる。
それらの店を見てからは、私が知らない店を巡り、愛美が着てみろと、言う度に、私は着せ替え人形のように試着室に入った。
 
4軒目の店で、全身コーディネートされた服に着替える時、私は気づいた。
これは、私たち親子が、失った15年の空白を埋めるための作業なのだと。
 
愛美は、必要以上にはしゃぎ、私に「何を着せても似合わない。」と、茶化した。
私が「そんな事ない。ゴルフウェアなら似合うよ。」と言うと、「今日はゴルフウェアは禁止!ゴルフしに行くんじゃないんだから。」と宣言されてしまった。
 
いよいよ、高級なカジュアルショップは、回り尽くしたかと思う頃、愛美が、「アウトドアブランドへ行こう。」と言った。そして、私たちは、アウトドアスポーツブランドのショップに入った。
 
そこで、愛美は、ニットのインディゴブルーのシャツと、クリームイエローのコットンセーターを選んだ。パンツは、淡いブルーグレーのチノクロス。全部着てみろと言う。私はまた、試着室に入った。
 
全部着てみると、色合いもよく、着ている私も気分が良かった。
外へ出ると、愛美が「似合う、似合う。」と喜んでくれた。
私の姿を見て、嬉しそうな愛美を見て、私も嬉しくなった。
そして、それらを全部買う事にした。
 
私が試着室で服を着ている間、愛美も自分の物を捜していたようだ。
さっき、自分のはもう、買っていたはずなのに。
 
愛美が、「ちょっと、私も着てみる。」と言って、試着室に入った。
 
出てくると、少々驚いた。
愛美は、オフホワイトのシャツに、サーモンピンクのコットンセーター、アイボリーグリーンのストレッチクロスのパンツで、出てきたからだ。
 
色違いのお揃い。
 
「お父さん、私にも、これ買って。」と言った。
 
私は渋々頷いた。
 
「じゃあ、ウィンドブレーカーとスニーカーを買おう。」
「まだ、買うのか?」
「夜はまだ、寒いよ。だし、この組み合わせにそのコートを羽織っちゃあ、台無しだもん。私もこのピンクのジャケットは、合わないから嫌だし。」
「そうか。じゃあ、買おう!いいや、買っちゃおう!」
「イエーイ!」
 
愛美はゴアテックスのウィンドブレーカーを選んだ。
私のは鈍い金色で、愛美のは、鈍い紺色だ。
 
私たちは、色違いのスニーカーも選んだ。
そして最後に、私と、愛美のリュックサックも買った。これも色違いだ。
 
それらを全部、大きな紙袋に入れてもらい、私たちは意気揚々とデパートを出た。
 
私は、こんなに楽しい買い物は久しぶりだった。
嬉しくてスキップしたくなるほどに。
 
 
私たちは、大きな紙袋を6つも持って、デパートの前からタクシーに乗った。
そして、道後温泉の大きな旅館に着いた。
 
部屋は、和洋室になっており、洋室にはツインベッドがある。
そして、和室に布団を敷いて寝る事も出来る。
更に、部屋の外には、この部屋用の露天風呂までついていた。
 
「広ーい!」愛美は部屋に着くなり、言った。
「そうだねえ。」
「お父さん、外にお風呂があるよ。」
「今時の高級温泉旅館は、どこでもそうだよ。」
「お風呂、入る?」
「折角だから、大きな風呂に入らないか?道後温泉で、一番有名なお風呂。」
「ああ、あそこね。行こう。」
 
私たちは、部屋割りを決めた。
私は和室で寝る事にし、愛美はベッドになった。
それぞれの部屋で浴衣と羽織りに着替えた。
 
愛美は時間がかかっているので、私は外に出て、アイコスを吸った。
 
愛美が出てきた。
 
部屋を出て、道後温泉本館へと向かった。
 
外を歩く時、愛美は自然に腕を組んできた。
私は、満更ではない気分になった。
 
 
私たちは、風呂をゆっくりと楽しみ、歩いて旅館に戻ると、夕食の時間だった。
 
夕食は、旅館の一階の食堂で取る事になっている。
 
私たちは食堂に行った。
 
すぐに食事は始まった。
飲み物はどうするかと聞かれたので、私は「ノンアルビールで。」と答えた。愛美はウーロン茶を取った。
「お父さん、飲まないの?」
「うん。」愛美とゆっくり過ごす時間だ。酔っぱらって忘れるような事があってはならない、そう思った。
 
ノンアルビールと、グラスに入ったウーロン茶が配された。
私たちは、乾杯をした。
 
箸を取り、きれいに盛り付けられた懐石料理を食べ始めた。
食べ始めてすぐに気がついた。
 
「あれ、愛美は左利きだったか?」
「知らない?私、生まれてからずっと左よ。」
私は、左利きだ。右では何もできない。習字だって左で書き、小学校の時は、先生から「アバンギャルドな字を書くね。」と評されたぐらいだ。
 
愛美も左利き…
 
忘れてるんじゃない。きっと、知らなかったのだ。
 
気にしていなかった?そうかもしれない。あの頃は、それぐらい、家の事なんて構ってられなかった。
 
「お母さんから、お父さんも左利きだったから、あなたはお父さんの血を取ったのよって、いつも言われてた。」
「そうか」
 
料理はどれも贅を尽くしたものばかりで、とても美味しかった。
特に鯛の刺身は美味く、愛美は、お代わりするほどだった。
 
愛美は、天麩羅のしし唐を残していた。
 
相変わらずだな。愛美は、ピーマンが嫌いだった。だから、しし唐も食べられないのだろう。
 
「そのしし唐、残すのか?」
「うん」
「くれよ。僕が食べるから。」
 
私は、愛美が残したしし唐を食べた。
 
デザートも食べ終わり、夕食が終わった。
 
部屋に戻る前に、土産物コーナーに寄った。
 
私は、飲んだことがない地酒を見つけたので、5合瓶を一つ買った。
愛美には、一六タルトを買ってあげた。
支払いは、部屋代につけてもらった。
 
そして、私たちは部屋に戻り、寝た。
 
昨夜は殆ど寝ていない。
だから、布団の上に寝そべると、すぐに寝入ってしまった。
 
 

スマホのバイブ音で目が覚めた。
 
カーテンの隙間から朝日が入り込んでいる。もう朝だ。
スマホの画面を見た。佐藤常務からだった。
 
「おはようございます。」
「ああ、六浦君、おはよう。朝早くにすまんね。」
時計を見た。6時半だ。日曜日の朝6時半、確かに電話をしてくるには早い。
「いえ、起きてましたので。」咄嗟に嘘をついた。
「いや、昨夜のうちに君のところのユニット長から報告を受けてね、例のミャンマー案件の事。」
「ああ、それは、明日、私から報告に上がろうと思っておりました。」
「それで、君はどうするつもりなんだ?撤退すると部下に言ったと、聞いておるが。」
「ええ、現地の政情から見ても、これ以上の深入りは禁物だと思います。アメリカのクライアントのために、最善を尽くしましたが、もう手に負えないと判断しております。」
「損失は?」
「今の段階で手を引きますと、最大でも10億程度で済むかと思います。しかし、今週の終わりまで引っ張ると、それはもう、予測不能になります。」
「10億か…決して小さい額ではないな。」
「ええ、ですから、その責任は、全部私が取るつもりでおります。」
「君が全部、責任を取るだと?何か、君のところの部下も同じような事を言っておったが。責任は六浦部長にありますとか、言ってな。で、どう責任を取るつもりだ?」
「それは…」
「まさか、退職するつもりじゃあ、ないだろうね。」
「いえ、常務。10億もの損失を会社に与えたのは私です。ですから、職を辞するのが筋かと…」
「バカもん!何で、ミャンマーごときで、君のような優秀な社員を失わなければならんのだ。ミャンマー国軍に取り入っても、どうせ一般市民の利益を搾取するだけだろう。そんなヤクザまがいの連中に、上手く道筋を付けられなかったからと言って、どうして、君が辞める必要がある。あんな連中とビジネスして、搾取させて、市民を泣かせて、それで利益を出す事が、我々の使命か?それは違うぞ、六浦君。私は、君の撤退の判断を支持する。用件はそれだけだ。」
 
私は、圧倒された。圧が強くて、返事はおろか、相槌さえ打てなかった。
 
「ところで、六浦君、今日はまだ、故郷か?」
「えっ?ええ、松山におります。」
「そうか。松山はいいところだよな。じゃあ、今日は朝風呂にでも入って、せいぜいリラックスしてきてくれ。明日はな、秘書の景山君に言って、朝に予定を入れておくから、時間になったら、私の部屋に来てくれ。新しいプロジェクトの相談がある。」
「分かりました。伺います。」
「じゃあ、宜しく。」左藤常務は電話を切った。
 
私は、辞表を出すつもりだった。
 
そして、これからは愛美とともにゆっくり過ごそうと、思っていた矢先だった。
 
 
電話の話し声が大きすぎたのか、愛美が起きてきた。
 
「おはよう。」
「おはよう。起こしちゃったかな?」
「いや、自然と目が覚めたの。」
「大浴場に、朝風呂、行く?」
「そうだね…行こうか。」
 
私と愛美は、大浴場へ行った。
私は露天風呂に浸かりながら、昨日の午後3時から始まった高揚感が消え入っていく事を感じていた。
 
辞めようと思っていたのに。
辞めれば、愛美との新しい生活が待っていたのに。
 
いや、待てよ。愛美には愛美の生活があるはずだ。
僕が知らない15年のうちにサイクルが出来上がった日常が。
そして、そこには僕なんて、立ち入る事ができない可能性だって、あるはず。
 
48にもなって、すっかり浮かれ切っていた。
全く、何ともしまらない男だ、僕は…
 
撤退を支持する?
あれは、本当なのか?
いや、疑いの余地はないよな。
じゃなけりゃ、こんな朝早くに、一介の社員である僕に、常務自ら、電話なんてしてこないはずだよな。
信じて良いよな。信じて。
 
いや、何だな。責任は重いと思っていたが、こんな風に展開するなんて、思いもよらなかったな。
 
新しいプロジェクトだと?
 
期待されているのかな?
 
辞めようと思っていたのにな。
辞めたら、良い事、ありそうだったのにな。
 
色んな考えが頭の中を逡巡する。
 
上せそうになった。
 
風呂から出た。
 
愛美から、フルーツ牛乳を買ってくれとせがまれたので、買った。
私は、コーヒー牛乳を飲んだ。
 
コーヒー牛乳なんて飲むのは、いつぶりだろう?
 
 
私たちは、いったん部屋に戻った後、朝食を取りに食堂へ行った。
 
そして、昨夜と同じテーブルに座り、豪華な和食の朝ご飯を食べ始めた。
 
食べながら私は、ずっと気になっていた事をついに口にした。
 
「なあ、愛美。」
「何?」
「君は、これからどうするんだ?」
「どうするって?」
「だって、家は一人だろう?」
「そう。でも、恭子さんが近くにいるから。」
「恭子さんって?」
「お母さんと一緒に、お店をやってくれてた人。」
「そうか。で、そのアキト君の事なんだけど。」
「うん。」
「一体、何があったんだ?300万も払わなきゃならなくなる事なんて、そうは起きないだろう?」
「お母さんが、ちょっと無理しちゃったのよ。」
 
 
珠美は、実業家の夢を捨てていなかった。
元々は、地元のスナックを1軒経営していたが、金を貯め、3軒目までを手に入れるほど、拡大していった。
3軒目を手に入れたのは、つい半年ほど前の事だそうだ。
 
手に入れてから、分かった。
その店は、前のオーナーが暴力団の組長の女房だった事を。
ヤクザが、暴対法のせいで、どんどん衰退していく中で、その組長は、ついに自分の嫁に経営させていた店まで手放さなければならなくなったのだ。
 
珠美は、そんな事を全く知らなかったらしい。
 
新しく店をオープンしてから、元の経営者だった女の嫌がらせが始まった。
自分の組の若いのを店に居付かせて、他の客が来れなくした。
 
その危機を救ってくれたのが、アキト君らしい。
 
「どういう風にして、アキト君は、お母さんを助けてくれたんだい?大体、アキト君は誰なんだい?」
「アキト君は、その組の組員だった人よ。後は、詳しくは知らない。でも、アキト君が助けてくれたおかげで、その店にヤクザは来なくなったの。」
 
「そうか。で、別の質問、いいかな?」
「何?」
「愛美は、お金、あるの?」
「お金はあると思うわ。お母さんが急に事故で死んじゃったから、銀行の貯金とかが下ろせなくて、分かんないけど。後、保険金も入るはずだし。」
「で、今は、お金、持ってるのか?」
「さっき言った、一緒にお店をやってくれてる恭子さんが、生活費をくれてる。お店の売上の報告や仕入れの事なんかも全部、恭子さんがやってくれてる。」
「愛美は、その店で働いてるのか?」
「働いてないわ。だって私、大学生だもん。お母さんの母校よ。お母さんの夢をかなえてあげるの。」
「えっ?じゃあ、法学部なのか?」
「そう。」
「大したもんだな。あの大学じゃあ、凄く偏差値高いじゃん。」
「頑張ったからね。」
 
取り敢えず、訊きたい事の第一弾は訊けた。
 
私たちは朝食を終え、部屋に戻った。
 
 
食堂から戻ると、私たちは着替えをした。
昨日買った、色違いのほぼペアルックのような組み合わせだ。
私は妻でさえ、そんな事をした事がない。
 
一緒に窓ガラスの前に立った。
非常に照れ臭いのだが、照れ隠しに「良く似合ってる」と、自画自賛する。
窓ガラスに映る愛美を見て、身長の高さに気づいた。
 
「愛美は、身長、どれぐらいある?」
「168㎝」
私は173㎝だ。愛美がヒールを履いたら、私より高くなるだろう。
4歳の時は、標準より小さく、心配したのに…
大きくなりやがって…
背が高い娘を見て、何となく誇らしい気分になった。
 
私たちは、チェックアウトした。
昨日行った道後温泉本館前から坊ちゃん列車に乗り、松山駅へ行った。
そして、松山城を目指した。
 
松山城は上りが多少きつかった。
私は、運動不足を思い知らされた。
愛美は、すいすいと天守閣に続く上りを駆けていく。
到底、追いつかない。
ジムに行かないとな…そう思った。ジムの会員ではある。しかしもう、2年は行ってない。
 
天守閣の下に着いた。
私はベンチに座り込んだ。すっかりへたってしまった。
 
そんな私を愛美はスマホで撮った。
 
そうだ、写真を撮らねば…
 
忘れていた。
 
つつじをバックに、自撮りで2人を撮っていると、「撮ってあげようか?」と散歩中のおじいさんが言った。「お願いします。」と言い、スマホを渡した。
「ほいじゃあ、撮るけん。二人して、顔が良くないのう。もっと、笑ろうて、ええか、笑うんじゃ。ニカっと。」
そう言われると、中々笑えない。
「お父さん、キビシイ顔しておったら、可愛い娘さんお顔までブスに写ってしまうで。もっと、笑ろうて。」
「えーっ、私、ブス、イヤだ。お父さん、頑張って、笑ってよお。」
一生懸命、笑ってみた。しかし、ダメ出しばかりを食らってしまう。
しまいに、愛美が私の正面に回り込み、私の両頬を指でつねって、引き上げた。
「こう!こうして、口角を上げて。」
「こうかい?」
「そう、それでいいわ。」
やっと、娘のOKが出た。
写真を撮ってもらった。
 
おじいさんは、ずっと待っている最中に、スマホの設定を触ってしまったらしい。
 
バババババババババババっ。
 
連写してしまった。
 
一気に、私と娘の写真は、80枚になった。
 
「何が起きたんやろのう?」おじいさんはとぼけた。
「いや、記念が増えただけです。ありがとうございます。」と、私が言った。
 
愛美が笑い出した。私も堪え切れずに笑った。私たちを見て、おじいさんも笑った。
 
 
私たちは駅前に散歩しながらゆっくりと戻った。駅に着くと丁度昼時になったので、駅の近くにあるハンバーガーショップに入る事にした。愛美が食べたいと言ったからだ。愛美が一緒なら、ハンバーガーショップにも入れる。独身のしがない中年のおじさんには、珍しい体験だ。
 
メニューは、昔食べた事があるものしか知らない。だから、「ビッグマックセットで、ダイエットコーラ、ケチャップをつけてもらって。」と、分かっているものを注文した。
愛美は、今CMでやってるものを食べたいと言い、チキンタツタのセットと、何だかクリームパイを取った。
 
2階のイートインで、食べている時に、愛美が訊いてきた。
「そう言えば、お父さん、仕事、大丈夫なの?」
「ああ、バスに乗っていた時に、やってた仕事はなくなったけど、月曜日からまた、新しいプロジェクトをまかされるみたいだ。」
「あっ、そう。それなら良かった。私ね、心配してたのよ、お父さんの事。会社、辞めちゃうんじゃないかって。」
「ああ、本当は辞めるつもりだったんだがね。でも、どうやら、そういう訳にもいきそうにないかな。まだ、明日、会社に行ってみないと分からんがね。」
「そう。まあ、とにかく良かった。」
 
食べ終わると、私たちは、空港行きのリムジンバスに乗った。
 
空港にはギリギリで着いた。危なかった。まさか、渋滞に合うとは思ってなかった。
 
飛行機に乗ると、愛美はすぐに寝息を立てた。
疲れたのであろう。
私は、彼女の寝顔をずっと見ていた。
 
 
あっさり羽田に着いた。
 
私たちの旅は終わった。
 
リムジンバスの乗り場へ行き、それぞれのチケットを買った。
 
愛美は、青葉台。
私は、調布。
 
愛美のバスは、運よく後5分で発車するらしい。
バスは、乗り場に横付けされている。
 
「じゃあね。」と愛美が言った。
「あの、今度、行ってもいいかな、青葉台の家に。」
「良いわよ。週末に泊りに来て。」
「泊ってもいいのか?」
「当たり前じゃない、お父さんなんだもの。」
「そうか」
「もう行くね。バスが出そうだから。」
「ああ、じゃあまた、メールするよ。」
「うん、待ってるから。」
そう言って、愛美はバスの方へと走って行った。
私は、走る愛美の後ろ姿を見ながら、泣いた。
 
嬉しくて泣いたのか、悲しくて泣いたのかは、分からない。
多分、どっちもだろう。
 
 
 


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