【連載小説】六浦敏郎 ラーメン屋の店主になる ⑧
長ネギと生姜を入れて、既に炊いてあった鶏ガラをもう3時間炊く事にした。
鶏ガラを5時間も炊いてしまう事になるが、一度使った鶏ガラを無駄にする事は出来ないので、炊く作業の勉強のためにそうした。
味噌だ。
これはどういう風に仕入れてるのかが全く分からないので、私は愛美にTV電話をかけた。
川田屋の奥さんに聞くためだ。
愛美はすぐに出た。
「こっちからも電話しようと思ってたとこなの。」
「何だ、どうした?」
「ばああー」諒太君の顔が画面一杯に映った。
「うおー、諒太君、元気になったみたいじゃないか…もう熱引いたのかい?」
「うん!」
「こーら、諒太!いたずらしないの。後で、話させてあげるから」
画面が愛美の顔に戻った。
「諒太君、熱中症じゃなかったわ。」
「何だったんだ?」
「かあちゃん病」
「ああ、寂しかったのか?」
「そう、診断は熱中症だったんだけどね。ここの病室に来て、お母さんの顔を見たら、顔が明るくなって、お母さんの横で特別に寝かせてもらったら、すぐに寝て、起きたらこの通りなの。良かったわ」
「そうか、それは良かったな。で、お母さんは今?」
「病室にいる。私たち、自販機にお母さんのためのお茶を買いに来てて、病室に戻ってるところなの。もうすぐ着くわ。ちょっと、待ってて…さあ、着いた。紗季代さん、ウチのお父さんから電話なの。代わってもいい?」
「あっ、あの、初めまして、諒太の母親の川田紗季代と申します。今日は諒太を助けていただき、ありがとうございました」
「私は六浦敏郎です。諒太君を助けたのは偶然ですから、お気になさらずに…で、奥さん、一つ質問がありますが、お答えいただけますか?」
「ええ、何でしょうか?」
「味噌の事です。このお店は味噌ラーメン専門店ですよね?でも、何処を見ても味噌の仕入れの記録だけは見つからないのです。これはどういう事でしょうか?」
「ああ、そんな事ですか。それは簡単です。うちは味噌は一切仕入れておりません。亡くなった主人の実家が信州安曇野で、川田屋甚九郎商店、通称川九という江戸時代から続く味噌店で、そこから定期的に味噌が送られてくるのです。」
「味噌が、ただで送られてくるのですか?」
「ええ、そうです。」
「味噌は二種類ありますよね。白い方は見たところ京都の白味噌のように思うのですが、これも信州で作っておられると?」
「そうです。川九は今、主人の双子のお兄さんである栄一郎さんが当主でして、栄一郎さんがウチの店のために特別に作ってくれてるのです。」
「そうですか…では、味噌を頼むために電話をしたいのですが、番号を教えてもらえますか?」
「ああ、じゃあ、私から一度栄一郎さんに電話します。そして、栄一郎さんから店へ電話してもらうようにします」
「分かりました。じゃあ電話を待ちます。」
「紗季ちゃーん、諒太、調子はどうだ?冷えたスイカ持ってきたぜえ」と言いながら、菅原が病室に入ってきた。
「スイカ?ムッチャ食いたい!」諒太が食いつく声が聞こえた。
「雅ちゃん!今、大事な話してるの、邪魔しないで!」と紗季代が菅原を窘めた。
「誰と話してるんだよ?」
「お店にいる六浦さんとよ」
「六浦さん、さっき、店にネギと生姜を届けに行った時に会ったよ。あっ、そうそう、六浦さん、ここから帰ったら、メンマも届けに行きますんで…」
「分かりました。お願いします」
「お父さん、もういい?こっちはごちゃごちゃしてきたから、いったん切るね。私、菅原さんと一緒に出て、そっちまで送ってもらうから」愛美がスマホを取り返し、私に向かってそう言った。
「ああ、じゃあ、もう一度だけ奥さんに、奥さん、電話待ってますので、栄一郎さんにできるだけ早めに電話して下さい」
「分かりました。この後すぐに電話します」
「スイカ、切ってよ!」諒太は待ちきれない様子だ。
「ああ、ここ、炊事場あったよな?」
「まず、ナースステーションへ行って、断らなきゃ」と紗季代がまた菅原を窘めた。
「ああ、そうだな。」菅原は恐縮がちに言った。
「じゃあ、お父さん、またね」愛美が映った。
「ああ、後でね」電話を切った。
何だか、ドッと疲れた…
「こんちは」
引き戸が開いた。
今度は誰?
「さっき話した小松屋だよ。入るよ」
腰が曲がり、杖をついた老人がヘルメットを被って来た。
手には大きな袋を二つ持っていた。
「どうしました?」
「あんた、昼飯まだだろう?」
「ええ、まあ…」
「俺がチャーハン作ってやろうと思ってな。材料持ってきたんだよ」
「チャーハン?」
「小松屋と言えば、チャーハンなんだ」
「そうですか…」
「ちょっと、厨房借りるぜ」
「ええ、どうぞ」
老人は一つの袋を調理台へ置き、もう一つの袋を持って客席に戻ってきた。
その袋には小松屋と書いた白い調理服と前掛けと白い調理帽が入っていた。
老人は着替えを済ますと、私に向かって「小松屋の大将、小松貞二でございます。以後、お見知りおきを」と芝居がかった調子で言った。
「六浦敏郎です。宜しくお願いします」と、私は答えた。
「じゃあ早速、チャーハンを作らせていただきますんで、そっちでテレビでも見て、お待ち下さい。」
「いや、調理してる様子を見せてもらう訳にはいかないでしょうか?」
「そいつは、ご勘弁だ。企業秘密なんでね」
そう言うと、小松のじいさんは厨房へ入っていった。
仕方がないので、私は言われたようにTVをつけた。午後の曖昧な時間、TVは情報ワイドショーをやっていた。
大谷はまたもホームランを打ったようだ。