【連載小説】夜は暗い ㉔
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私と島野は一階に着いた。
「キモいね」と島野がつぶやくように言った。
「何が?」
「全部」
「全部かあ… まだ、全部じゃないぜ」
「えー、まだあるの?」
「まだまだあるな。これからどうするんだ?」
「黒さんは?」
「僕は奥平さんをここで待つ。彼に頼んでもう一度ケータ君に会いたいんだ」
「会って、どうするの?」
「確認したい事がある」
「それって?」
「色々だ。ちょっと早いが、昼飯でも食うか?」
「やめとく。私は、このまま帰るわ。午後からの予定に間に合いそうだから。ホントは今日、ここに来てる場合じゃなかったのよ。」
「分かった」
島野は病院を出て行った。
私はロビーで奥平を待った。
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本気でタバコが吸いたくて仕方がなくなってきた頃、奥平が一階に下りてきた。
そう言えば、私の電子タバコの器具は、さっき正治に壊されてしまった。
この後、シャツを買うだけではなく、器具も買う事を忘れないようにと考えていた時に、不意に奥平は現れた。
急ぎ足で玄関を出ようとする奥平に、私は後ろから声をかけた。
「奥平さん」
「ああ、黒崎さん、先程はありがとうございました。お陰様で有紗ちゃんの事件は解決できそうです」
「まあそうでしょうね。私、奥平さんを待ってたんですが、宜しいでしょうか?」
「ええ、少しなら。今から君塚の逮捕状を取る手続きをしなくてはなりませんので」
「お忙しいところ、大変恐縮ですが、私、もう一度ケータ君と話したいのですが、ご手配願えませんか?」
「ああ、そんな事ですか。お安い御用です。私は署に同行できませんが、ウチの海老沢という若い刑事に対応させます。この後、海老沢に電話しておきます。すぐに署へ行かれますか?」
「いや、それなら午後イチにしてください。シャツも買いたいし、タバコの器具も壊されてしまったものですから、それも買いたいので…」
「分かりました。午後イチですね。では、そのように海老沢に伝えます。しかし、黒崎さん、一つ訊いてもよいですか?」
「何でしょう?」
「あなたのその格好ですよ。上は黒と白の横縞だし、下はストライプは入ってるが、グレーでしょう。色目は合ってるんで、私には何がいけないのか分からない」
「色目じゃないんですよ。横と縦です」
「それがそんなに悪い事なんですか?私なんて、休日はそんな取り合わせで服を着て、普通にパチンコを弾きに行ったりしてますよ」
「まあ、それが気にならないんであれば、それはそれでいいんじゃないでしょうか?私は島野君に着替えを持って来てもらえるように頼んだのが、アダとなっただけです…」
「アダですか…あっ、ああいかん。私、一足先に署へ戻ります。後へ海老沢とやって下さい」
「分かりました」
病院から駅前までタクシーに乗った。
駅前のショッピングモールで、白無地のポロシャツを買い、試着室で着替えさせてもらい、その後タバコの器具を買い、昼食にカツカレーを食べた。更に喫煙室でタバコを二本吸った。一つのビルの中でやりたい事が全部出来たので、満足な気分になった。
一時にはまだ時間があったので、アイスコーヒーをテイクアウトし、飲みながら、ゆっくり歩いて警察署を目指した。
今日のケータ君へのお土産は、何がいいだろう?
途中で、テイクアウト専門のたこ焼き屋を見つけたので、私は2パック買った。
そして、自販機で缶コーラを二本買い、警察署へ入っていった。
受付で海老沢を呼び出すと、すぐに若い刑事が下りてきた。
それはフライドポテトを持って行った刑事だった。
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昨日と同じ部屋に通された。
ケータ君は昨日と同じ位置に座っていた。
私は持っていたビニール袋を掲げ、「お土産」と言った。
「今日は何?」
「たこ焼きだ。アツアツだけど、コーラもある」
「アツアツ?嬉しい。すぐに食べたいんだけど」
「良いんじゃないか。昨日みたいに毒見もなさそうだし…」
ケータ君は私からたこ焼きのパックを受け取り、すぐに蓋を開け、一個口に入れた。
「ハフ…あちい」
「コーラを飲みな」
私はプルトップを開けてやった。
三分ほどで、彼は二パックを完食した。
彼は早食い王者にでもなろうとしているのか?
彼が、二缶目のコーラを開けた時、私は話し始めた。
「今日もいくつか訊きたいんだが、話してもいいかな?」
「良いけど、後でアイスクリーム買ってよ」
「ああ、いいよ。後でな。じゃあ早速訊くけど、昨日君は、お腹いっぱいだとピアノが上手くならないので、ママが食べるのを制限してると言ってたよね?」
「うん」
「そう言うのって、ママが直接君や有紗ちゃんに言うのかい?やっちゃダメ!みたいな感じで」
「ううん、ママは言わない。ママが起こった時は、口より先に手が出てくるんだ。漆原さんから言われるんだ。ママがこう言ってましたって感じでね」
「手?殴られるのか?」
「殴ったりはしないよ。ただ、ギューってつねるんだ。マジで痛い」
「つねる?どこを?」
「腕とか、脇腹とか…色々」
「君の身体には色々と痣があるよね。それって、ママからつねられた跡なの?」
「あれ、どうしてそれを知ってるの?」
うわ、ヤバい…
「ここの警官から聞いたんだよ。取り調べの前にチェックしたそうだ」
「ああ、やっぱり見られてたのか…」
ウマい!切り抜けられそうだ…
「全部は違う。脇腹とかの青痣は大体そう。でもね、ママは姉ちゃんに厳しいんだ。姉ちゃんの脇腹は僕よりもひどく痣があるんだよ」
「そうか…じゃあ、君の後の傷とかは誰にやられたんだい?」
「お姉ちゃん」
「そうなのか…」
「ねえ黒崎さん、僕、喉が渇いたし、トイレに行きたくなっちゃったんで、ちょっと休憩していい?」
「分かった。じゃあ、僕は横のコンビニでアイスクリームを買ってくる事にしよう」
ケータ君は警官に付き添われて、トイレに向かった。
私は約束通り、コンビニへ向かった。
アイスは、ソフトクリームとソーダのキャンデーにした。ケータ君に好きな方を選んでもらい、残った方は私が食べる予定だ。
ケータ君は既に椅子に座って、ペットボトルから水を飲んでいた。
私は買ってきたアイスを彼に見せた。彼は二つとも食べると言った。
迂闊だった。そういう事があり得る事は十分に予見できた。
まだまだだな…
私はソーダが食べたかった。
彼はそのソーダから食べ始めた。
「話を続けていいかい?」
「うん、どこからだっけ?」
「君の身体の傷の大半はお姉ちゃんにやられたってとこからだよ。何で、お姉ちゃんは、君にそんな事したんだい?」
「さっき言ったでしょう。ママはピアノのレッスンで、僕よりもずっとお姉ちゃんに厳しかったんだ。お姉ちゃんがミスタッチしたりすると、すぐに脇腹とか、腕とかきつくつねられて…僕もね、つねられるんだけど、お姉ちゃんはその百倍ぐらいつねられてて…それで、レッスンが終わった後で、僕らの部屋に戻ってきた時に、僕に八つ当たりしたんだ。それにね、お姉ちゃんはステーキとかお肉が好きなのに、ある日から漆原さんがお肉やお魚を全然出してくれなくなって…でもね、何かは作ってるんだよ。ステーキとかハンバーグとかをね。でも、僕らには全然出してくれなくなって…きっと、今のパパとかママとか漆原さんだけが食べてたんだよ。僕らはさあ、ママがピアノが上達するまではダメと言ってると言われてさあ…毎日、サラダとか、イモとかこんにゃくとか煮たヤツとかばっかりで… 僕もお姉ちゃんもお小遣いはなくって、必要な物がある時にお母さんからお金をもらう事になってるから、外でこっそり買い食いとかできないし… お肉を食べられるのは、学校の給食だけで… 僕はさあ、中学だから、給食なんだよ。でもね、お姉ちゃんはお弁当で、その弁当も肉が入ってなくて… そんな事でもね、お姉ちゃんが僕に当たり散らすんだ」
「そうか… それは辛かったねえ。でも、君は抵抗しなかったのかい?」
「できないね。だって、何か分かんないけど、鞭とかエアガンとか、お姉ちゃんは武器を持ってて、太刀打ちできないんだよ。だから… 」
「君はやられっぱなしだっという訳か… お姉ちゃんは、その武器をどこで手に入れたんだろう?」
「多分、今のパパの部屋からだと思う。あの部屋、気味が悪いんだ。刀とか、モデルガンとか一杯あって… 」
「そうか、ありがとう。聞きたい事は全部聞いたよ。今日、今のパパが警察に捕まる予定だから、もう少しで君はここから出られると思うよ」
「ええ、それは困るよ。僕はここの方がいい。家には帰りたくないもん」
「そうはいかないと思うが、気味が帰りたくない理由のいくつかは、僕がこれから解決できるように努力してみるよ。まあ、待っててよ」
「分かった」
私は部屋を出て、海老沢に礼を言ってから警察署を出た。
駅まで歩きながら、私は岩田に電話して、二、三、用事を頼んだ。
「今度は焼鳥な」と言い、彼は引き受けた。
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夜になった。
時刻は深夜二時を過ぎたところなので、日付的には翌日になった。
あの後、私は土産物屋で、ロング缶のビールを二本と大吟醸の五合瓶と練り物のつまみを買い、夕方早めのロマンスカーに乗った。
ここのところ、私の生活のリズムが崩れている事を痛感していたので、帰りの特急で全部飲んで、着く頃には酔っ払った。
これで良し…
夜が始まりかかる頃に、私は新宿に着いた。
千鳥足で歩いて部屋に帰った私は、すぐにベッドに倒れ込んだ。
そして、さっき起きたという訳だ。
まだ寝ていたかったのだが、スマホが鳴ったので仕方がない。
ショートメールを着信していた。
発信者は英郎で、「店に島野と岩田が来ている」と言っていた。
ちきしょう
仕方なく私はシャワーを浴びるためにベッドを出た。