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能力を発揮するのは幸せなの?(ギフテッド)

こんにちは~ St.Mです。エイブリズムという概念を紹介された以下の記事を読んで鳥肌が立ちました。「能力があること」「能力を発揮すること」=善とみなし、その逆を悪とみなす考え方ですね。必ずしも間違っている訳ではない考え方であるため、その考え方を意識から排除するのが難しいです。「無意識に」障害者などの能力がないものを下に見てしまう感覚ですね。今回は「能力を発揮するのはギフテッドにとって幸せなのか?」について書きたいと思います。猫男様は作業療法士として働きながら、多様な表現方法でご自身のASDという特性も含めた「障害」について発信されていて、その勉強量に僕はいつも圧倒されています。

「才能が伸びたとしても」

持って生まれた才能を伸ばす
それ自体はいいことのように思えます

でもそれはあくまで外野の感想であり
当事者がそれを求めているとは限りません

本人はその時点で興味があることに
のめり込んでいるだけですから

仮に勉強を継続したとしても どこかで
これ以上勉強しても意味がない
という段階に達します

机の上での勉強と
学んだことを社会に還元するのは
全く違った能力が必要になります

ギフテッド1人が声高に叫んでいても
その人が能力を鼻にかけた傲慢な人であったり
普通の人に理解不能な理論であったりすると
誰も動いてはくれないのです

「才能を伸ばす」以前に

ギフテッドは孤独にさいなまれます

例えば

学校や職場でルールが設けられていたとして
多くの人は「ルール」だからと受け入れます

そして「ルールを守らないもの」を攻撃します

何のためにルールがあるのかを考えずに
ルールを守ることをそのものを目的化するのです

ギフテッドが目的にするのは「最善の追求」であり
そのためにはルールや常識を破る行動をします
(ルールや常識を守るのが最善なら守ります)

さて

ギフテッドの才能を幼少期から伸ばすことは
「既存の価値観との闘い」や
「自分の存在意義の崩壊(積極的分離)」が
それだけ早期に来る可能性が高まります

これは地獄の苦しみを伴い
自殺する人も多く出ます

孤独になり自己肯定感を失います

この時に人格攻撃せずに
話を聞いてもらえたり
討論してもらえるだけで
だいぶ救われます

ギフテッドの支援は

ギフテッドではない人たちが
多様な価値観を否定しないようになること
の方が重要なのです

エイブリズムとギフテッド

猫男様の記事を読んでいて
はっとさせられました

能力を発揮することを
目的化していないだろうか?

「能力を生かす=善」と
盲目的に信じていないか?

それは能力がない者を
否定することに繋がっていないか?

という疑問が湧き 自省しました

その上で僕が一番に願うのは
「人から受け入れられたい」です

最善の追求をプログラムされていて
みんなの幸せの最大化を目指しているのに

既存のルールや常識を
覆すやり方をしてしまうので

他者からの批判にさらされまくります

自分らしく最善を追求ありたい

その時に排斥されることのない
世の中になってほしい

それが僕らの願いです

ギフテッドに教育を施して
自分たちに都合のいい能力を
仕込もうとするのではなく

また

能力を伸ばす・発揮することは
ギフテッドにとって幸せだろうと
盲信しないでほしいですね

最後に

ギフテッドの才能を伸ばすことが
いい結果になる訳ではありません

「既存の価値観との闘い」や
「自分の存在意義の崩壊(積極的分離)」が
より早く来て苦しみが増す可能性が高いです

非ギフテッドの人に言いたいのは

自分たちに都合よくギフテッドを変える

ではなくて

ギフテッドを受け入れられるよう
自分たちを変えていく

必要があることを理解してほしいです

今回はここまで
お付き合いくださり
ありがとうございました
ではまた!

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St.M
お金はご自身やご家族のためにお使いください、と思っていたのですが、お世話になっているnoteにも還元したい気持ちが出てきました。サポートいただいたお金は他のクリエーターの応援に使わせていただきますね。