だんべe2が終わりました
埼玉県秩父市でスマブラSPのオフ大会を開いている主催者のグルコースと申します。
令和6年2月3日(土)に「だんべe2」を行いまして、最終的には18名の参加者の方々に来ていただきました。
何かと他人のイベントには協力したり参加したりしていたので久しぶりな感じはあまりしませんが、自分が主催するイベントは約2か月ぶりでした。
これが久しぶりなのかどうかは、うーんどっちなんでしょう。
こんなこと2ヵ月に1回もしていれば十分な気もしますが、個人的にはもう少し頻度を上げられたらいいなという想いもあります。
なんとか今回のイベントは終わりました。終わりましたので、今回の終わりましたという記事も終わりにできたらと思い、書いていこうと思います。
久しぶりのドキドキ感
冒頭でも書いた通り、スマガヤ(新Fly High!!)だったりこしスマFESだったり運営の立場では何かとスマオフやってたのですが、今回自分が主催のイベントをするにあたって、なんと言うのでしょうか、緊張感というか、ワクワクとドキドキが一緒になったような不思議な感じになりました。
ここ何回かのスマオフイベントに参加する時はそんな感じがしていなかったように思うのですが、今回何となくそんな気持ちを感じながら開催前から開催中まで生きていました。
これは一体何なのか、開催前にそんなことを考えている暇はありませんでしたからそれはそれで一旦置いといて主催作業に精を出していた訳です。
終わってみてそうした気持ちは無くなりましたが、あれは一体何だったのだろうと考えてみました。
私の人生に多大な影響を与えている作品「映像研には手を出すな!」のアニメ版のセリフにその感覚を言い表しているセリフがあったので引用しますと
「できあがったものがクソ面白くなかったら責任は全部お前にあるからな!
何故ならあんたは監督なんだ!」
これは女子高生がアニメを作るアニメで、引用したセリフはプロデューサー的立場の子が監督的立場の子に放ったセリフです。
これだろうと思いました。
私はあえて自分のイベントはチームを作らずやっています。誰の助けも借りていないなんて傲慢な事を言うつもりは全くありませんが、責任はほとんど私に集約されるようにやっています。
責任を自分で負う体験が、さっきの緊張感になっていたのではないかと思うわけです。
責任というのは、参加者同士のトラブルがーとか、会場の利用申請云々とか、そういうものもあるにはあるのですが、それもそれ以外も含めて「参加者が楽しめたか、こちらが楽しい体験を提供できたか」という結果に対して責任が発生するなと思っています。
それは客観的に測れるものではないです。また、同じことをしたからといって全員の体験を保証できるわけではないのは当然です。
主催をするというのは、そういう責任を負う立場に身を投げるとんでもない行為だったのだと、改めて考えさせられました。
他の人が主催している事を手伝うという事ではどうにもこの感覚は感じられないです。想像しようと思ってもなかなか想像できるものではありません。
誰かが主催してくれることを手伝うのも楽しいのですが、それだけに慣れてしまうと、この得体の知れない緊張感に対して対応できない人間になってしまう。どんどんつまらない人間になってしまう。と、身の引き締まる思いでした。
楽しいけど、楽しいだけじゃだめ
だんべe2はとても楽しく終えられたイベントだったと個人的には思っています。
しかしそれは一概に良い事だったと言えないなと、一日経ってみて、寝て起きてみて思うのです。
私自身が楽しかったと感じることは、楽しくなかったと感じる事よりは良いでしょうが、私が楽しいかは二の次三の次。一番は参加者が楽しかったかどうかです。
今回私が感じた「楽しかった」という感情の構成要素には「楽だった」という要素が以前より多分に含まれていただろうと思うのです。
その「楽だった」をさらに掘り下げていくと「気を配らなくて済んだ」という要素が多くを占めていたと思います。
これは、あまりよくない。
今回の参加者は私が関わっているイベントの常連ばっかりだったので、参加者の多くが初参加、初対面なイベントより気を配らなくてよかったのは事実です。
でもそれは、一つ前に書いた「責任を負う」という姿勢じゃないでしょう。
使えるものは使うべきなので、設営に慣れている常連がいたらその人に協力を仰ぐのは良い事だし、別の大会の主催者などが参加しているなら別の参加者への指示出しをお願いするのも良い事です。
それを私が楽するために使ってはいけないのです。イベントをより良いものにするという目的のために使わなくてはならなかった。
今回は頼りになる参加者が多かったことで、私が上手く動けなくても参加者のあの人たちがどうにかしてくれるだろう。という気の緩みがあったのは、どうしようもない事実だと、自分で思います。見えていたかどうかは分かりませんが、私の内心には確実にそれがありました。
コミュニティがある程度醸成されてきて色々動きやすくなりましたが、それを頼るばっかりになってはいけない。まず私がちゃんとしなくては…
ちゃんとしなくては…!!!
三猿の生き方
見ざる・言わざる・聞かざる
日光で有名な三猿。
だんべe2の打ち上げで釜塚ABふらいから「発言に気を付けた方が良い。過激すぎる時があって危ない。」ざっくり言うとそんな内容を話されました。
私はnoteだと、落ち着いて書いているつもりでかなりスレスレな事を書いていたようです。
口は禍の元とも言います。大体の事は言わない方が災難に合わないのは確かです。
災いの元になりそうなことを見たり聞いたりすると言いたくなっちゃいますから、見るもの聞くものから気を付けているのが上手な生き方なんでしょうね。
日光の三猿は上記のとおりですが、秩父神社にも三猿があります。それはなんと「よく見て・よく聞いて・よく話す」お元気三猿。
逆張りオタクみたいなのが江戸時代にもいたのでしょうか。
とはいえ、このお元気三猿的生き方も悪くないです。
"よく"という部分がポイントでしょうね。
何となく、惰性で見たり聞いたり話したりするくらいならやらない方がマシでしょう。でも秩父の三猿の様に、元気に見聞きして話すなら、それはいい結果を運んできてくれるのだろうと思います。
沢山の物を見ても聞いても、それをちゃんと自分の目と耳と頭で受け止める。それをちゃんと判断して話す。それは強い生き方だなぁと思います。
対して、見ざる聞かざる言わざるは上手な生き方だなぁと思います。
どっちが良いとか悪いとかではないですが、どっちになりたいかと言われると、どっちでしょうね。
私は秩父人なのでお元気三猿を目指して生きていきたいなと思います。
でも元気でいるのって大変ですよね。元気を維持するのってとても大変なのです。元気でいるのって苦労がいる。
苦労してお元気になりたいものです。
今回はここまで
次回は3月16日(土)
自分のために書くものなのでネガティブな事ばっかり書いてしまった気がしますが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
人間、楽しようと思うとどうしようもなくダメになっていきますね~…逃れられない。
ある程度ストレスをかけながらバランスを取りながら生きていかないと。グルコース、動きます。
10時間以上イベントを体験していたはずなのにあっという間に時間が過ぎてしまったような感覚でした。
撤収作業に入ろうとした時、まだ終わりにしたくないなぁと思っていました。とても幸せな事だったなと思います。
今後も良いイベント作りできるようにちょっと考えながらひたすら手と身体を動かしていきたいので、よろしくお願いいたします。
またどこかで。