日本を原ねて 心の健康 ストレス解消【西行】
31 西行(真言僧)(1118~1190)
「仏教の真髄」を語る。中村元著 麗沢大学出版会
平安後期の歌僧、俗名は佐藤義清(のりきよ)、鳥羽上皇に北面の武士として仕えた、のち23才で出家、全国を漂泊、その生活体験に基づく述懐歌は、わかりやすくて、秀歌が多い。特に山桜に執心し、桜の歌人として著名。
西行は、「年たけてまた越ゆべしと思いきや
命なりけり小夜の中山」と詠みました。
名古屋から東海道を東へ進むと静岡県の掛川の東に小夜の中山があります。ここは険阻な山道で、古来歌枕として有名なところです。
西行法師は、前にも小夜の中山を越えたことがあるのでしょう。旅の難所を自分は、また越えることになった。
「ああ、自分は生きていたのだ、ありがたいことだ、歩いているこの自分、ああ、ここに生きている自分がある」…
この歌には命というものの自覚や命のいとしさに対する感激というものが表現されていると同時に、「目に見えない大きな力に包まれ、育まれて、私はここに生きているのだ」という喜びまでも、そこに込められているような気がするのです。 10・11ページ
交響する花鳥と人間の声 毎日新聞 2002年4月10日 夕刊
「歌をつくることは、花月に対して動感することだ」といったのは、あの吉野で花を受けていた西行である。動感という言葉がずしりと重い。
人間が主観的美意識で花や月を見るのではなく、また花月を人間の単なる美的享受の対象とするのではなく、花月が「人間と同じ一つの命を分け合った親しい友」となることが西行のいう<動感>の意味なのだ。
抒情文芸の研究 朝下忠著
平賀元義の世界 良寛 西行 芭蕉
第十一章 餘論特輯(よろんとくしゅう)
一 西行と東北
東の方へ修業し侍(はべ)りけるに、富士の山をよめる。
風に靡く富士の煙の空にきえて
行へも知らぬ我が思ひかな
この歌は「年たけてまた越ゆべしと思ひきや
いのちなりけり小夜の中山」
の歌と共に、文治二年、二度目の奥州への旅の途中、東海道で詠まれた歌であります。…西行が、自分の最も好きな歌を十首選んだものとして伝えられている「自賛の歌」の中に入っているものであります。…
富士を詠んだ歌は自然と自己が一つにとけ合い、客観と主観が立ちのぼる煙の行方に一つ消えて、雄大荘厳の美しさの中にあはれの情調が心細い旅愁にまつわって流れており、平明ではありますが余情の深い歌であります。
232・233ページ
西行は合一、無為自然をあらわし、生活感情をあらわしている。