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年賀状仕舞い。
一昨年、両親が年賀状仕舞いをした。
というか、母親からの依頼で、息子である自分が
年賀状仕舞い用のハガキ選び、ネット注文、住所印刷等々をしたので
むしろやったのは自分だと言ってもいい。
でも、年賀状仕舞いを手伝って
『良いな…年賀状仕舞い』
としみじみ思ってしまった。
だから自分もとうとう、年賀状をやめることにした
そして去年、自分が出した年賀状は
『年賀状は今年まで!来年からは年賀状やめるよ~』
という内容を、とても丁寧な言葉に言い替えたものを出した
『年賀状 兼 年賀状仕舞いお知らせ』だ。
そして迎えた今年の年末年始
ついに年賀状を出さなくなり…
すっごい楽になった。
我が家は夫婦2人で30枚も出していなかったけど
毎年12月に入ったぐらいから
『今年は何を書いたら良いのか…』
と軽く憂鬱になっていた。
子供がいればこんなに年賀状に苦労しないと思うが
我が家には子供がいない
むしろ年賀状って、子供の成長記録お知らせ状と言っても良いぐらいのモノになっているから、子供がいないと本当に書くことが無い。
2年前は、会社員を辞めて個人事業主として移動スーパーを始めた
という自分の中での一大トピックがあったから苦労しなかったけど
一大トピックなんて人生にそうそうあるもんじゃないから
もう次の年には『なんて書いたら良いか…』となってしまう。
だからといって、一大トピックを作るために毎年毎年転職していたら
そもそもの年賀状を買うのにも苦労するような経済状況に陥ってしまう。
年賀状写真は、子供代わりに我が家の猫ちゃんを載せるのは良いとしても
子猫⇒成猫ならまだ大きくなって変化があるが
成猫になってしまったら、見た目は毎年ほとんど変わらない。
というか良い感じの写真が無くて、何枚かは今年中ではなく
前年に撮った写真を使用したこともある
でも誰も気付かないだろう、5才と7才と8才の猫が入り混じっていても。
そんな感じで
毎年毎年
同じような猫の写真と
『元気でいますか?今年は会いたいですね』
という当たり障りが無いにもほどがある文章に落ち着いてしまう
そして実際に会うことにはならない。
でもまた『今年こそは会いたいですね』なんてことをしれっと書く
どうせウソだろう!
と、書いてて自分でも思うようになってしまう。
そんな年賀状、もらっても嬉しくないだろう
自分も、親戚や友人とはいえ
ほとんど、もしくは一度も会ったことも無い子供の成長にあまり興味も無い
でも年賀状って、そんなもん、と言われればそうかもしれないけど。
そもそも自分は親戚付き合いも全くしていない
だからこそ、年賀状ぐらいは…
と思って、毎年なんとか年末の末の末になって書いてきたけど
年賀状を続けたことで、親戚達と何かが繋がっていた感じもしない
年賀状を辞めることで、なにかまずいことあるかなぁ…
と、できる限りリアルに考えてみたけど、特に何も無かった。
今後、少ないながらも発生するであろう
慶弔行事に際しては、多少気まずいこともあるかもしれないが
そんなのたった1日とかそこらのことで
毎年迫りくる年賀状の面倒さが無くなるほうが
自分の心身にとってずっとメリットが大きかった。
世の中には
親戚や友人に年賀状を出すのが楽しくて
来た年賀状を見るのも楽しみな人もいれば
そうじゃない人もいる
だったら、それぞれ楽しんだら良いじゃない、自分の人生だもの
…あれ、居酒屋のトイレに飾ってあるやつみたいになってしまったな。