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二本松(霞ヶ城)を訪れて・・・。
去年の10月の事です。
旅行で磐梯熱海に行く途中、二本松にたまたま寄りました。
この地は二本松城(霞ヶ城)という観光スポットがあります。
「二本松少年隊の悲劇」としてご存じの方も多いでしょう。
二本松城(霞ヶ城)は大手門の正面階段をのぼる途中で少年たちの銅像が建てられています。
丁度、菊の展示の催しものがあったので、行ったのですが、紫 式部をテーマにした様々な菊人形の展示がされて、実に圧巻でした。
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本日は菊の話題ではなく、「二本松少年隊の悲劇」について書いていこうと思います。
時代は幕末期、欧米列強が江戸幕府に対し開国を逼った頃でした。まさに、時代の転換期に日本国内で内戦が勃発したのでした。いわゆる、戊辰戦争です。対立構造は以下の通りです。
旧幕府軍(江戸幕府有志部隊+奥羽越列藩同盟、フランス帝国軍事顧問団)VS新政府軍(薩摩、長州、土佐、イギリスグラバー商会)
このような構図です。
日本国内においては長い間、戦争が無かった事もあり、比較的、武器弾薬の保有数が少なかったようです。東北地方は特に平和だった事もあり、殆ど武器も旧式で常備軍満足に備えていませんでした。
戦いはグラバー商会から大量に買い付けた最新鋭の武器を持った新政府軍の方が優勢に戦っていたわけですが、新政府軍が二本松藩と交戦状態となった時、12歳~17歳で構成された少年兵の部隊が動員され、隊長の木村 銃太郎(22)以下多くの少年兵が戦死しました。
戦いはおよそ30分程で決したのですが、会津白虎隊に勝るとも劣らない悲劇的な出来事でした。
この戦いは二本松藩の降伏で幕を閉じたわけです。
以下は両軍の損害
二本松藩
戦死者 337人 重傷者 不明
新政府軍
戦死者 17名 重傷者 不明
新政府軍の圧倒的、優勢で戦いは終わったのでした。
最後にこの悲劇に際し新政府軍の薩摩藩士が戦死した少年兵に送った弔いの歌を
紹介します。
「君がため二心なき武士(もののふ)の 命は捨てよ名は残るらん」
いつの時代も戦争が起こり、新たな悲劇が生まれるわけですが、
今この平和な日本に生まれた我々は他国に比べ、実に恵まれているなとつくづく感じます。
この日本における平和も多くの犠牲を払った上で築かれたものだと考えると、先人達に感謝しなければならないと思います。
皆様はどう思われますでしょうか?
是非ご意見をお聞かせください。
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