見出し画像

安藤昌益ー自然真営道」を読む まとめ 1

読了後のⅠ

 ここまで、稿本『自然真営道』第二十五「真道哲論巻」の「私法盗乱ノ世ニ在リナガラ、自然活真ノ世ニ契フ論」を、記述にそって見てきた。そしてここでの安藤の主眼は、題名にあるように統治システムが稼働する私法の世にありながら、人が人を統治するこのシステムを無効化するためのもう一つの法の樹立であると読み取れた。
 安藤にとって、人間がこしらえた人間社会のための法則は自然の法則から大きく乖離し、個人的な欲を介入させる欠陥をもつものだ。これがひいては社会に汚濁を招き寄せ、戦乱から盗乱、悪業で賑わう世にしてしまった。このシステムがこのまま稼働し続ければ、世の中はますます迷い、混乱に陥っていく。私欲が盛んなばかりで無能な統治者、統括者にこの世を委ね任せておく訳にはいかない。
 そもそもまっとうな人は統括者や権力者になりたがらない。同じ人として人の上に立つことにためらいを覚えるからだ。それは人の感受性としてまっとうなものだ。そうである以上、トップリーダーにそういうまっとうな人を期待することはできない。であれば、現行のシステムや制度的なものをそのままに、その本質となる共同幻想の部分で統括者側の恣意性を骨抜きにする、全く異なる規則、運営を目論む以外にない。
 こう考えるには前段があり、安藤はそこで人間社会と人間社会以外の自然界とに共通する「直耕」概念を発明、発見している。つまり、自然界における生成活動と、人間社会における生活再生産行動を結びつけ、具体的には人の主要な食糧である穀物の耕作こそがそれに適う活動であると考えた。
 安藤にとって、人間が為すべき最も大事で基本的なことは食べることであり、このことを最も効率的に達成するものとしての穀物の生産、そのための耕作行為を必須と見なした。活動するために食べ、また食べるために活動するという同時進行性は誰にとっても不可避のことに違いない。これにはその他の一次産業への従事、また衣食の衣に該当する生産行為も含まれている。つまり衣食住に関する基本的行為だけが自然界とつながる唯一無二のもので、それ以外はあってもなくてもさしたる重要性はないと考えられた。あるいはどうでもよいことだった。そう思えるほどに耕作行為は最重要のことと位置づけられた。そうした中でも食に関わる耕作こそが人間の生成活動の象徴的な行いであり、これはすべての者が主体的に行わねばならない活動である。このことに上下、貴賤の別はない。では、そうしたらいいではないか、というのが安藤の根本的な考え方だ。
 つまり、ほとんどの時間、あるいは生活の一切をそれに費やしていたであろう先史の時代にこそ、人間本来の生活、社会が営まれていたと考え、とりわけそうした中に広く浸透していたに違いない人間相互間の親愛性、平等性を取り戻す改革案を講じた。
 人社会は、初期には血族を大事にし、一族で助け合い支え合って生活した。婚姻の際に、近親相姦の禁忌(タブー)が一般化すると、親族は氏族へ、さらに部族へと集団は拡大した。血縁による自然発生的な広がりはここまでで、もちろんここには集団的な生活の決まり事も存在した。だが、薄まるとはいえそこにはまだ血縁関係があり、決まり事を破った場合に科す制裁にも一族の代表者たちの合議、また配慮などが介在したに違いない。つまりその段階までの共同体の社会システムには血が通っていた。
 もちろんここまでの共同体の段階のすべてにおいて桃源郷のような理想社会生活が営まれていたかといえば、そうではないだろう。なぜかといえば、人間の個は、家族内にあってもそれを超える集団内部にあっても常に親和的、共感的にいられるわけではないからだ。そういう個の集まりとしての集団に、波風ひとつ立たない状態などあり得るはずがない。ただ、そういう波風が起こる状態も含めて、それが自然発生的と見なされるならばそれは是認される以外にない。自然界に嵐や洪水、地震、雷、火山の爆発から干ばつなどが起こるように、人間の社会や個人にも異変は常に生じるものだと言っていい。そしてそれは社会も個人もある程度は黙って受け入れなければならない事柄なのだ。理想社会の内実といってもおそらくはそういうものだ。
 有史の時代に入り、地縁共同体や統一部族共同体が形成されるようになると、人間の社会も個人も自然界の掟だけではなく、より強度の人為的な掟にも支配されるようになった。安藤昌益はこれを嫌った。賦役、貢納、租税などのようなものに加え、刑罰なども一般化した。支配と被支配の関係、境界が明確化し、永続的になった。他人の耕作物をほしいままにする者と、他人の分の耕作を強制的に強いられる側と、二分された。豪奢な生活と喰うだけがやっとの生活とに二分された。
 知力、腕力に優れた者が取る言動は、いつの間にか人及び集団を支配することに向けられるようになった。さすがに露骨すぎることにはわずかにためらいがあると見えて、民の身の安全を守るとかよりよい生活の手助けをするとか、つまり収奪することの対価を払う体裁だけはとっている。もちろんこれは不平等条約と言うべきだが、強者が弱者に対して行う行いには常に不平等の関係、その固定化がつきまとう。弱者はこの不平等条約に逆らえない。逆らうことは極端な場合には死に直結するから、「諾」と言うほかにない。
 いったい、「優れている」ということが人の上に立つことだという意味合いはいつ頃になったものか。本当は人の下に、縁の下の力持ちのように存在すべきはずと思えていたが、そうではなくなってしまった。
 安藤が生きた江戸時代には、すでに共同の規範、身分制なども固定化されて存在した。これに違和を唱えるには武装蜂起しか考えられない。実際、明治維新はそうしてなった。安藤は遡ることその百年以上前に、それが歴史上何度も繰り返された反乱、単なる政権交代に過ぎないことを熟知していた。つまり誰が上(かみ)に立つかの争いで、上下二別の法を無くす戦いではないということを。
 安藤が一番に考えていたことは、主として耕作などを中心にふつうの暮らしをしている生活者が、より自然体のふつうの暮らしができるということであった。それにはせっかくの生産物を合法的に収奪する制度や仕組みがあってはならないことであったし、これに抗し反乱を組織して血を流すことも肯定できることではなかった。また、どうせ上下二別ほかの制度や仕組みを残存させる政権交代劇など、何の関心も無かったはずである。
 学問や宗教の類いも同様で、「真・偽」、「善・悪」などという二別の法をもって、結果、人を操ろうとするものであった。研究、修行、修練などと称して自らは耕作を放棄し、その成果を対価に他人の耕作物を手に入れ、これを食すことが罷り通るようになった。ひとつひとつの事例としてみればさしたる収奪のようには見えないが、社会全体としてみれば相当量が不耕者の生活を支えるのに必要となる。その対価は「教え」と称する、実際のところ対価にふさわしいかどうか分からない類いのもので、しかしこれも農民たちの生活を圧迫するまでになる。荘厳華美なる寺院建立の原資のそのまた原資はどこから生まれるかを考えれば、収奪のからくりとシステムのありようが見えてくる。果たして荘厳華美は原資の原資を生み出した真なる生産者たちの生活に資するものになっているか。収奪システムを持続するためだけの大いなる浪費、蕩尽の類いに過ぎない。
 宗教・学問により真や知を得ても、結局のところはそれぞれの「我欲」を開放し、また「我欲」に向かってまっしぐらに突き進むだけである。つまりは更なる上下、優劣を構築し、人社会を振り回していく。人間の行いそして思考は、放っておけば無限に「我欲」の跳梁と化す性質がある。
 安藤の発明による「直耕」概念は、歴史的に発達を遂げた文明、文化、その制度や仕組みをそのままに、内在する弊害を無くすにも有効だという気がする。上であろうが臣下であろうが、あるいは学者、僧侶、商人、職人であろうが、すべてに住居地はもちろんのことその上に耕作地を分配し、いわば食料に関しては自給自足を原則とするという考えである。人によっては半日を耕作に、また半日をそれぞれが専門と考える職業に時間を費やすかもしれない。また別の人は、これを季節によって変え、主に春と秋は耕作や収穫に、その他の季節には目一杯自分の仕事をするというように計画するかもしれない。また例外的に専門職としてどうしてもつきっきりに従事しなければならない場合には、一族がこれを負担するというように考えられている。
 安藤の考えるこの新たなる制度、仕組みが現実化すれば、一つの平等性という形が担保されることになり、安藤が言うように不耕貪食の輩は存在せず、租税のありようなども変わっていくことになる。
 ここで見てきた「契フ論」にせよ、この前の「大序巻」にせよ、あるいは『自然真営道』全体で安藤が提案するものは、この新たなる制度、仕組みである。そしてその必要性、妥当性についての苦心の記述とも言える。
 これを実現するためには、人間の無意識の精神性、つまり本来的な価値から遠ざかろうとする傾向を明らかにし、人々の思考のベクトルを変えることが肝要である。安藤は、自分と同じような考えが何度も何度も世に現れては消えする、その繰り返しが必要であることを知っていたと思う。自分が生きている間に、今ある制度や仕組みを変えられるとも変えなければならないとも考えてはいなかった。そんな簡単に変わるものじゃないことをよく認識できていた。また同時に、ある意味徒労や不毛のようにしか見えかねない自分のこの試みを、もし為さないでしまえば後に続くものを途絶えさせてしまうと考えたに違いない。もちろん実際に後に続く者があるかどうかは分からないことである。しかし、これを自分がしなかったならば、他人もしない、他人にもできない、そういうレールを敷いてしまうことになる、というようなことには自覚的であったように思う。つまりそこで安藤は、この程度の悪戦苦闘はきみにだってできるはずだ、と未来の自分に向かって語りかけているのだ。

いいなと思ったら応援しよう!