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「安藤昌益ー自然真営道」を読む ❿
「良演哲論巻」の部(10)
安藤昌益の言う「自然活真ノ世」は、自然原始の社会の意味合いも含むだろうがそればかりではなく、自然発生的な社会、つまり血縁の名残をとどめた家族から親族・氏族・部族までに拡大した共同体社会の総体を指すと考えてよいと思う。これにももちろん、例えば長老会議といったような政治機能があり、それには統率権も存在した。
これに対する「私法ノ世」は、血縁関係を振り切り、いくつかの部族を統合するまでに拡大した共同体を基盤とする社会を指すと思える。この共同体社会では、政治機能、統率機能が格段に発達し、強力になり、王権のように社会の総体から独立した組織形成がなされるまでに至る。つまり初期部族連合国家と呼んで差し支えない条件が充たされた共同体社会だ。
ここで、国家というものは社会の中の政治性(政治機能)が独立し、強化され、組織化され、共同体社会全体を統率し、支配するに至った段階でそう呼ばれるものと考えておく。
すると社会と国家との関係は、社会生活それ自体と社会に内在する政治性の関係のことで、これが未分離の状態から分離し、分化していく過程を経て、やがて社会と国家の概念に行き着いたものと考えてよいと思われる。つまり、日常生活を専らにする社会と、日常生活から政治的な事柄だけがすっぽり抜け出て専門化していった国家と、機能的には二分できる。ただ、現在でもこの国家と社会の区別は曖昧で、総合して社会と呼んだり国家と呼んだりしている。ここではとりあえず、国家と社会の違い、国家とは社会の政治性の高度化した形態を本質としたものと捉えておく。
そこで、安藤の言う「私法ノ世」とは、共同体に内在した政治性が独立した権限を持つようになった段階の社会を指し、「自然活真ノ世」はそれ以前の社会と区分できる。
安藤の記述では、「私法ノ世」とは中国に聖人が出現して以来の世で、彼らは私法を立て王朝、すなわち国家を成立せしめた。これを諸悪の根源と見なし、「自然活真ノ世」に戻すべきと主張したのは、国家的政治機能や組織を消滅させよと言っていることと同じである。なぜならば安藤には、国家は社会を支配下におくもので、あくまでも一部のものたちの意志や考え、つまり私欲でもって社会を私物化するものと考えられたからだ。
これを武力や宗教的権威などで行えば聖人たちの二の舞なので、安藤はそうは言わない。社会構造、法制度などはそのままで、これを「自然活真ノ世」に組み替える方法について言及しようとする。
△失リヲ以テ失リヲ止ムル法有リ。失リノ上下二別ヲ以テ、上下二別ニ非ザル法有リ。似タル所ヲ以テ之レヲ立ツルニ、暫ク転定ヲ仮リテ之レヲ謂フ則ハ、転定ニ二別無ク、男女ニ二別無ケレドモ、私法ヲ為シテ、転、高ク貴ク、定、卑ク賎シク、男、高ク貴ク、女、卑ク賎ク、高卑・貴賎ニシテ一体ナリ。之レニ法リテ上下ノ法ヲ立ツル則ハ、今ノ世ニシテ自然活真ノ世ニ似テ違ハズ。
上下あるいは高卑・貴賎の仕組み、構造はそのままに、言ってみればこれを骨抜きにしてしまう方法があると安藤は言っている。
○上、臣族多カランコトヲ欲スルハ、乱ヲ恐ルル故ナリ。故ニ臣族ノ多カランコトヲ止メテ、只乱無カランコトヲ専ラニスベシ。上ニ美食・美衣・遊慰・侈賁無ク、無益ノ臣族無ク、上ノ領田ヲ決メ、之レヲ耕サシメ、上ノ一族、之レヲ以テ食衣足ルトスベシ。諸侯、之レニ順ジテ国主ノ領田ヲ決メ、之レヲ以テ国主ノ一族、食衣足ンヌベシ。万国凡テ是ノ如クシテ、下、衆人ハ一般直耕スベシ。凡テ諸国ヲ上ノ地ト為シ、下、諸侯ノ地ト為サズ。是レ若シ諸侯、己レガ領田ノ耕道怠ラバ、国主ヲ離スベキ法ト為ス。若シ諸侯ノ内ニ、迷欲シテ乱ヲ起シ上ヲ責メ取ルトモ、決マレル領田ノ外、金銀・美女無シ。故ニ、上ニ立ツコトヲ望ム侯、絶無ナリ。税斂ノ法、立テザル故ニ、下、侯・民ヲ掠メ取ルコト無ク、下、上ニ諂フコト無シ。上下在リテ二別無シ。
江戸時代であれば天皇をいうのか将軍をいうのかよく分からないが、まずは最高統括者の上(かみ)の領田を法として決めることが言われている。これも一族と言うから、まあ血縁、親族、氏族を範囲として衣食が足りる程度の土地および耕作地ということか。またこれに準じて全国の藩主の領田も同様に決めて、自分たちで耕作して自分たちの衣食をまかなうようにするとしている。すべて土地は上(かみ)の管理としながら、その配分は一族にとって足るものとして、下(しも)、衆人も同様ということだ。上、諸侯(国主)、下と、身分や階級はそのままに置きながら、実質的には平等が担保されるように考えられている。
この中に一筆、「是レ若シ諸侯、己レガ領田ノ耕道怠ラバ、国主ヲ離スベキ法ト為ス。」と記されていることも面白い。
いずれにしても、これらは法として定めるように考えられていて、言ってみれば法改正に他ならない。つまり、安藤昌益の、
稿本『自然真営道』第二十五「真道哲論巻」 ○私法盗乱ノ世ニ在リナガラ自然活真ノ世ニ契フ論
の主要な点は、今で言うと改正法案といったような意味合いがあると思う。あるいは憲法改正問題と言ったところになるだろうか。もっと言えば、安藤昌益の記述のすべてはここに集約されると考えてもよいくらいで、何はともあれ原理的考察からはじめ、ここまで一人でやりきっているところはすごいとしか言い様がない。しかも身分的にはただの地方の町医者である。アカデミズムとは真逆の極致がここにはあり、本来は最終に言うべきことだが、この時点で「天晴れ」と呟きたくなる。
さて、このように安藤の改正案は具体的な形で、しかも多岐にわたって記述されている。以下、しばらくこれに付き合ってみる。
○税斂ノ法ヲ立テ不耕貪食スル則ハ、臣等、君威ヲ仮リテ権柄ヲ張リ、下民ヲ貪ル、此ニ始マル。
○故ニ税斂ノ法無ク、上ハ上ノ領田ヲ耕サシメ、若シ耕道ニ怠ル侯・民有ル則ハ、之レヲ制シテ耕サシメ、之レヲ上ノ政事ト為ス。能ク耕サシムレドモ、上一粒取ルコト無ケレバ、侯・民、感伏シテ背ク心無シ。
租税制度の廃止への言及と、最高統括者の責務、そして耕作義務を怠る者への罰則について述べている。
安藤はここでひとつの理想を語っている。当時においても現在社会においても、租税は社会維持に不可欠で、絶対に無くすことはできないものだと考えられているように思える。百人が百人中、租税は無くせないと思い込んでいるに違いない。しかし、安藤からすれば歴史的に見て租税は聖人の出現後のことであり、「自然活真ノ世」には無かったことであるから、本来的には無くなるべきものと考えられている。未来永劫無くならないものかどうかは未来にならなければ分からないことで、どういう未来を招致しようと願うかは現在に関わることである。実際に租税が制度として現実化された折りもそうしたいと願ったものがいたからのことで、自然がこしらえたものでも何でも無い。逆もまたしかりで、それを強く希求するものがなければ何も始まらない。