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「安藤昌益ー自然真営道」を読む ⓫

「良演哲論巻」の部(11)

 ここで日本の中世、近世の法制度というものを概観しておきたい。手っ取り早くネットで検索してみたら次のような記事があった。


 日本の江戸時代までの法体系は、近代に継受されたヨーロッパの法とは大きく異なる性質を有しています。ヨーロッパの法は、民法や商法に代表されるような私法、いわゆる「私人」相互間における法が発展したところに大きな特徴があります。それに対して、たとえば江戸時代は──時代劇などで過酷な刑罰を科すシーンがありますが──「国家」が民衆に対して刑罰を下すタイプの法体系(刑事法)が発展した時代でした。諸説ありますが、江戸幕府が権力を統合した強力な政権だったことが背景にあると言われています。 ところが中世の法体系は、近世法に連なる要素を含みながらも、もう少し性質を異にしていたように思います。と言いますのも、さまざまな領主が一定の自律性を持った支配を行っていた中世には、国家権力と呼べるような強力なまとまりはなく、そのぶん法の中心領域というのは刑罰を定めた法よりも、個人間・私人間で成り立つ私法的な法の領域が発展していたからです。ただ、ここでの個人・私人とは商人や農民なども含めた社会の人々一般ではありません。幕府に所属する御家人や、朝廷に所属する官人、荘園領主やその下にいる荘官などを指します。このような身分の人たちが、自身の所領(土地)をめぐって争う際の裁判規範が発展した点に中世法の特徴があります。ここに江戸時代の法体系との違いがあり、ヨーロッパの法と似た側面が見出せるのです。(一橋大学 法学研究科講師 松園 潤一朗 『前近代の法体系から、現代の法体系をとらえなおす』より。以下も同じ。)
(中略)
 前述しましたように、日本の中世には、個人間・私人間で成り立つ私法のような観念・制度が見られました。領主が、自分の所領を侵奪しようとする相手に対し、自らの権利を保持する手段として、裁判で判例や代々伝わる文書をもとに所領の権利を主張するだけではなく、近代国家では原則として違法行為とされる、実力によって相手の妨害を排除するといった「自力救済行為」が一定の合法性を帯びていました。 ヨーロッパの場合は農民や職人など身分集団ごとの自律性が高く、領主の自律性も認められていました。絶対王政などの集権的な政治体制が敷かれても、身分制議会などを通して権力構造は保たれ、君主は行政権しか持ち得ない……というように、身分の自律性が保たれたうえで国家という集合体ができあがっていきました。くり返しになりますが、日本中世の分権的な秩序は、このヨーロッパの秩序と多少とも近いものがあります。それが戦国時代を経て近世(江戸時代)になると、法の性質が大きく変容したことは、日本法制史上の謎と言えるでしょうか……。
 (中略)
 その問題についての議論は多様です。一つ紹介しましょう。豊臣秀吉にせよ、徳川家康にせよ、統一政権をつくった政治家は天皇を利用しています。天皇を名目上の頂点に置き、その下に大名を配し、「大名のトップ」が将軍であるという上下関係に編成された権力構造をつくりました。そこには、皇帝がトップダウンで指示を出す中国の律令法がベースにありました。その法体系を利用して国制(統治の体制)の転換を行ったがゆえに、ヨーロッパのような議会制的な権力構造が発展しなかった──というのが一つの議論です。 一方で──より民衆支配に焦点を当てた議論として──、そもそも江戸時代の体制はそれほど稠密な、統合された権力としてはとらえられないという議論もあります。民衆の属する村落というものには強い自律性があって、権力はその上に「乗っかって」支配しているだけだ、というものです。専制的なイメージとは裏腹に、実は江戸幕府の体制は、戦国時代までにできた村落などの構造に乗っかっていただけだ、と。


 日本の江戸時代までの法体制について分かりやすい指摘がなされている。ここでは安藤の記述を理解するために、一応こんなことが背景にあるということを頭に入れておきたかったので引用した。
 これまで見てきたように、安藤昌益は当時の世を差別的社会と見て、それが諸悪の根源だからこれのないところまで戻るほかないと考えた。安藤の言葉で言えば、「私法ノ世」から「自然活真ノ世」への回帰である。しかしこれが容易でないことは安藤もよく知っていて、同時に平和主義的であった安藤は、「失リヲ以テ失リヲ止ムル」方法に着目した。つまりは、誤りの私法を止めるのに誤りの私法を以てするという方法である。
当時の法体制は引用文からも感じ取られるように、近・現代のように整備されたものではない。これは安藤の考えた言わば「私法」にも影響し、またそれを規定していたと思われる。具体的ではあるが雑でもあり、それをまたどのようにして法として定着させられるかという見通しも持っていない。ただ前近代法的な記述がなされているだけなのだ。
 前回の「税斂」の法を無くす案の後には次の記述がある。


○諸国ノ不耕貪食ノ遊民ヲ停止シテ、其レ相応ノ田地ヲ与ヒテ耕サシム。今ノ世ノ民ノ如ク、其ノ一族、食衣領ノ外多田ヲ耕スベカラズ。今ノ世ノ民ハ、食衣領ノ外ニ、貯ヒ侈リノ為ニ多田ヲ耕スハ、今ノ上ニ似セテ為ルナリ。故ニ無益ノ費シテ反ツテ貧ナリ。遊色・慰芸ヲ禁ズ。若シ耕ヲ怠リ遊芸ヲ為ス者ヲバ、一族、之レニ食ヲ与フベカラズ。


 職業もなく遊んで暮らしている遊民に田地を与えて耕させる。田地は私有ではないから、開拓して広げることは制限される。耕を怠れば、一切施しなどは無用にして食に困らせ、耕すしかないことを身をもって知らせる。概ねこんなことが書かれている。
 「遊色・慰芸ヲ禁ズ」という言葉もあるが、安藤の考えではこれらは「私法ノ世」になり、社会に迷欲、混乱がもたらされたから生じたもので、「自然活真ノ世」になれば自然消滅したり衰退すると思われているものだ。つまり、理想的な社会、理想的な世の中になれば存在する価値や意義がなくなる、というように。これは本当にそうかどうか分からない。安藤の考えは単純すぎないかと疑問が生じる。こういうところは実に悩ましいところで、今の段階ではその是非に言及しないことにする。とりあえず不問にして、とにかく言うところにだけ耳を傾けていきたい。

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