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「安藤昌益」を読む⑤⑥

安藤昌益を読む ⑤⑥


 安藤昌益は、自身の言葉で、宇宙の生成から太陽や月や地球の陸と海、そして人間や鳥獣虫魚に至るまで、どのように生みだされたものであるかを語ってみせた。安藤の言葉では、それは万物の元基としての根源的な物質である、「土活真」の自己運動が生みだしたもので、元々はそれから派生したものとされる。だから同一でありながら異なっており、異なっているが同一であるという性質を内包しているのだという。
 安藤の主張には、多分に、日本列島在来住民の自然観の継承や仏教の宇宙観などが潜在しているだろうが、それに自分の生活体験、生活感覚が加味されて構成されていると思う。つまり、そうして、誰でもが抱くぼんやりとした世界認識を、言葉を駆使して一つの世界観へと結晶してみせた。
 常識的に見れば、安藤の方法は、蓄積されてきた知の体系をがらがらと突き崩し、一から積み上げるといった半ば原始的な手法だ。こういう方法を、小利口な知識人達は取らない。また取れないと思う。
 安藤が「師もなく弟子もない」という時、自分の思想が先人のそれを継承する意図の元にするのではなく、また後世に継承されていくものでもないことをよく知っていたと思う。言ってみれば安藤の教科書は地域社会であり、家族生活であり、自分の身体であり、感覚でありというように出来ていた。それに無意識となった歴史的知の蓄積とが、内側で自己問答する形で思想が形成されていった。そういうものがそう簡単に理解出来たり、されたりするものではない。
 がしかし、異なるものでありながら、共通のものということはありうる。仮にだが、ここに深さという考えをもってきて、字面の違いは歴然とありながら、深度において共通するということは言えるのではないかと思う。思想の深さ、あるいは言葉一つとってもそこに込められた言葉以前の精神の深さというようなもの。安藤の著述には意味内容とは別の、そうした背後の精神の深さが、主張として込められているように感じられる。
 だから、表層の意味されてあるところとは別の、ほんとうに意味しようとするものの読み取りが、安藤の著作では必要とされる気がするのだ。そういうものをぼくはこれまで、太宰や島尾や吉本の文章からも受け取ってきた。


『自然真営道』「大序巻」第一段の終わり部分は、以下のようである。


 故ニ活真自行シテ転定ヲ為リ、転定ヲ以テ四体・四肢・府蔵・神霊・情行ト為シ、常ニ通回転・横回定・逆回央土ト一極シテ、逆発穀・通開男女・横回四類・逆立草木ト、生生直耕シテ止ムコト無シ。 故ニ人・物・各各悉ク活真ノ分体ナリ。是レヲ営道ト謂フ。
 故ニ八気互性ハ自然、活真ハ無二活・不住一ノ自行、人・物生生ハ営道ナリ。
 此ノ故ニ転定・人・物、所有事・理、微塵ニ至ルマデ、語・黙・動・止、只此ノ自然・活真 ノ営道ニ尽極ス。故ニ予ガ自発ノ書号『自然真営道』ト為ルハ、是レノミ。


 前回引用する時に、漢字にふりがなをつけてみたが、表示したら括弧書きになってしまったので、今回はつけなかった。また、結びに『自然真営道』と書かれてあるように、全巻の書名、あるいは表紙、総目次等はすべて『自然真営道』となっているが、最晩期の論考として付されたこの「大序」では、題名として『自然活真営道』の文字が書かれている。解説では「真」は「活真」の略とされ、だからこの1段では、「自然」「活真」「営道」と区切られてそれぞれに説明がなされているとみられる。この不統一の理由はよくわからないが、「真」がもともと「活真」の意であることを強調しておきたかったのかと思う。
 ところで、冒頭引用部は最後の「営道」の説明であり、これを受けて結びにこれらを要約して、


 故ニ八気互性ハ自然、活真ハ無二活・不住一ノ自行、人・物生生ハ営道ナリ。


 とまとめられ、さらに、


 此ノ故ニ転定・人・物、所有事・理、微塵ニ至ルマデ、語・黙・動・止、只此ノ自然・活真ノ営道ニ尽極ス。


と書かれている。そして、このことをもって題名を『自然真営道』としたんだ、ということである。
 要するに安藤昌益は、「自然活真営道」、これを略した「自然真営道」、の言葉を持ってこの世界を言い尽くせる、あるいは言い尽くせたと考えたのだろう。
 砕けた言い方をすれば、天地、万物、人、あるいはあらゆることがらやことわり、それらのごく微細、微小に至るまで、語るも黙るも動くも止まるも、そうした「世界」の一切は、「自然活真営道」または「自然真営道」の語に、収斂、集約、させることが出来る、そう言っているのだ。
 安藤の初源への立ち還り、遡及の仕方はとても魅力的であり、見事なものだ。
 この世界、この宇宙から、人間と人間社会とを取り除いて考えれば、すべてはそうなるべくしてなってきた世界、こうなるしかあり得なかった世界、なるようにしかなり得なかった世界のように見える。だが人間社会だけはそれらから隔絶している。安藤の言葉で言えば、「自然活真営道」の道を踏み外している。唯一「不耕貪食」がまかり通る社会を形成してしまった。宇宙広しといえども、それを為したのは人間だけなのだ。安藤はそれを誤りと見たが、このことはもう少し先に進んで考えなければならない。


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