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「安藤昌益ー自然真営道」を読む ❷
「良演哲論巻」の部(2)
前後してしまったが、この「良演哲論巻」は安藤昌益と少数の門人たちとの討論集会の記録とされている。前回はその冒頭、仙確による開会の辞そして昌益の紹介である。これ以後は、短く区切って昌益の講演内容と、これに対する門人たちのコメントを添える形で記述が続いている。
これ以降は、ぼちぼちよ読み進め、特に気にかかったところがあればこれを抜き書きし、しばしその内容について考えてみたい。さっそく〔1〕の番号が付されているところを見てみる。
〔1〕○ 良曰ク、「無始無終ナル活真・転定・人物ノ備道ハ、外ニ向ヒテ尋ネ工夫スル者ニ非ズ。己レガ面部ノ八門・互性ノ妙道ニ具ハレリ。是レヲ以テ悉ク極尽ノタメニ備ハレリ。」
これは昌益の常套句と言ってよい言葉である。これまでにも何度も目にしてきた。
こういう言葉からは、真理というものは書物を読んだり学問を通じて会得するもんじゃない、という昌益の心の声も伝わってくる。それは、はじめから自己の内側に潜んでいるものであり、自分の身体や精神を深く掘り起こすことで見えてくるんだと言っているようにも聞こえる。
学校に行かなくたって、勉強なんかしなくたって、真実を見抜き、真理に到達することは可能だ。また、それを可能にしたからといって得意げになる必要もないし、公表する必要もない。昌益のように著述して残すこともなく、生涯寡黙の中に没していった無数の昌益が生活者大衆の中に存在したかも知れない。本当に偉い人たちというのは、そんなふうに、一見すると何でもない人のように見える人たちの間に紛れ、見分けがつかないようにして存在するのだ。誰もその存在に気づくことが出来ない。逆に言えば、だからこそ偉大なのだとも言える。
〔12〕○ 良曰ク、「木金・華実・互性ハ活真ノ生道ナリ。之レヲ知ラズ、『春秋』、賞罰ト為ル者ハ、永ク后世ノ殺業、偏惑ノ甚ダシキナリ」。
「良曰ク」の「良」は「良中」、つまり昌益のことだ。木気の春には花が咲き、金気の秋には実を結ぶという春と秋との互性、つまり相互転化は活真の生成活動である。このことを知らずに『春秋』という書物を書き、善悪で賞罰の基準を定めた孔子は後世に殺人をはびこらせる原因を作った。偏ったあやまりもはなはだしい。
ほとんど現代語訳そのままを記述してみたが、ぱっと見ると前後の文章の関連がはっきりしないかのように感じるかも知れない。
前段は季節の春秋の関係について、間に孔子の『春秋』の書名を置き、後段では『春秋』の中に弁じられた善悪を基準に賞罰が定められたことなどに言及している。安藤がここで言いたかったのは、春と秋の相互転化は善と悪との場合にも通じるもので、よって善悪でもって賞罰の基準としたのは甚だしく誤っている、ということだと思う。つまりもう少し分かりやすく言えば、善と悪というのは春と秋くらいの関係でしかないんだよということである。花の季節として春があり、実りの季節として秋があるように、善がなければ悪はなく、悪がなければ善もない。善と悪とでもって一つという考え方である。善だけということも、悪だけということもあり得ない。善悪は人間にしか通用しない狭く窮屈な概念で、自然や宇宙では通用しない。自然や宇宙規模で善とか悪のことを考えたら、人間の行う善悪など、まったく問題にすらならない。それを重箱の隅を突くようにして、善や悪だのといちいちに付箋を貼り付けるなどまったく馬鹿らしいことだ。善だけで生きられる人もなければ、悪だけで生きられる人間もない。賞罰を設けたことも、その基準に善悪の概念を取り入れたこともはなはだしいあやまりである。安藤の短い言葉には、そういう大きな問題も含まれていると感じる。
最後の「后世ノ殺業」の言葉だが、公的に是とされた罰としての死刑が仮に頻繁に行われたとすればそれも一つの殺業であり、かつまたそのことが人を殺すことへの躊躇、不安、抵抗を少なくしていったことは否定できない。さらにこの罰を恐れるあまり、それから逃れようとしてやむなく殺人まで犯してしまうということにつながった可能性もある。いずれにしても、後の世に殺人行為が頻繁に行われるようになったのは、遠く孔子の時代に起因すると安藤は考えた。
昌益の時代、朱子学、陽明学、古学など、儒学を大本とする学問は相変わらず栄えていた。そんな中で、孔子と同等か、あるいは孔子を見下すようにして批判を展開する昌益は、今ではちょっと考えようもない途方もないことをしている。遠慮、謙遜などのひとかけらも見られない。これがまた謎であり魅力でもある。