「てならいのうた」5日目
「老いてみると」
老いてみると、今の社会の在り方では動けないという気がする。いろいろな仕組みから枠組みまで、一般的な老人は何もすることがない。かと言って悠々自適な隠居生活なんか望むべくもない。この社会で老いても活躍できるのは、政治家や医者や会社役員や天下り官僚、学者や芸能人などごく一部の人たちだ。後はまあ第一次産業従事者とかになる。
学業中に資格を取り、いろんな職業に就けたとしても、たいていの仕事には何歳かで退職という決まりがある。それを越えてみると、実質その資格も無効ということになってしまう。
つまりこの社会は、社会人として働き始める時から退職の間までのことはよく考えてくれているが、それ以後についてはあまり考えてくれていないという気がする。仕事している間に蓄財し、後は勝手にやれと放り投げているようなものだ。
若い人は若い人で、現行社会にずいぶん文句もあるだろうが、それとは別にこうして老いてみると不要物になったようで嫌だ。誰も直接そうとは言わないが、社会の仕組みや作りがそうなっている。「もうあんたにはやれることがない」と、そう言われているような気になる。
勝手にやれということになっているから、勝手にやらせてもらいますと、一応はそういう気持ちになる。でも何をやったらいいのか。せめていろんなことが無料で出来ますと言うことにでもしてくれないと、やれることはごくわずかのことに限られてしまう。
老人たちはとても元気だ。市道や町道、そして団地の中などでは、爺さん婆さんがとにかくウォーキングしたりジョギングしたりであふれている。それに通学時の交通安全に、ボランティアとして参加している人たちもけっこう多い。
何ならこんな老人たちに政治を任せたっていいんじゃないか。大昔の長老会議みたいにしてさ。それを、今みたいな金がかかりすぎる政治なんかじゃないようにして。浮いた金は老人たちの活動の支援ということにしたら、これはけっこう理想の社会に近づくんじゃねぇか。