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「安藤昌益ー自然真営道」を読む ⓮
「良演哲論巻」の部(14)
個人を迷わせ社会を混乱させてしまうもの。安藤は執拗にその一つ一つを洗い出し、否定し、耕作に立ち返ることを説いていく。
○寺僧ハ、其ノ法ヲ止メテ、田地ヲ与ヒテ耕サシム。暁シテ曰ク、「直耕ハ転真ノ妙道ナリ。成仏ト云フハ、転真ニ至ルノ名ナリ。故ニ直耕スル則ハ、乃チ生仏」ト暁シテ、之レニ耕サシム。宗旨ハ別別ト雖モ、至ル所ハ成仏ノ一ツ、成仏ハ直耕ノ転真ナリ。「否」ト言フコト能ハズ。禅・教、宗宗モ本一ツノ仏法、取ル所ハ一成仏ナリ。
成仏とは死んで天地自然に帰すること。言い換えれば天地自然と一体になることであり、直耕は生きて天地自然と一体、生きながら成仏するようなものだ。だったら求めるところの成仏の先取りのようにして、耕作に汗すればそれが適うだろう。不耕貪食して特権階級に居座る寺僧、教えと称する仏法などは必要ないのだ。すでに農民一般は直耕して天地自然に一体、成仏を遂げている。
こんな論理、思考の筋道を唯一の武器として、安藤は強大な伽藍に立ち向かう。安藤の記述の矛先は、信仰の対象として形成された諸々の仏神、仏法の説く主要な概念、語彙にも向かっていく。
○地蔵トハ、地ハ田畑ナリ。蔵ハ田畑ノ実リヲ蔵ム。乃チ直耕ナリ。之レヲ暁シテ耕サシムルハ地蔵ナリ。
○観音トハ、直耕ハ転真ノ自リ感クコトヲ観ル。音ハ転真ノ息気ノ感ナリ。故ニ観音ハ、転真・直耕ノ名ナリ。之レヲ暁シテ耕サシム。
○薬師ハ、瑠璃光・春木ノ青色、転真・直耕ノ初時ノ名ナリ。之レヲ暁シテ耕サシム。 ○不動ハ、中央土、動カズシテ田畑ト成リ耕サシム、転真ノ妙体、耕道ノ太本ナリ。 ○大日如来ハ、日神ノ名、直耕ノ生生無極ノ主神ナリ。
○阿弥陀ハ、阿ハ春種蒔キ、弥ハ夏芸リ、穀弥々盛ンニ、陀ハ秋ノ実リ、冬ノ蔵メ陀キナリ。四十八願ハ、四時・八節、耕ス穀ノ実リ、成就ノ名ナリ。故ニ、乃チ直耕ノ名ナリ。
○禅録・教経・三世ノ諸仏・極楽、凡テ皆直耕シテ安食・安衣・安心シ、生死ハ活真ノ進退ニ任ス。是レ仏法ノ極ト、之レヲ示シテ耕サシム。
○修験ハ、口ニ仏経ヲ誦ミ、行ヒニ祈祷・神事ヲ為ス。是レ仏トハ直耕スル転真ノ名、神ハ日輪、直耕ノ主ナリ。両部習合ハ直耕ノ名ト、之レヲ暁シテ耕サシム。
○巫者ハ、天神・地神・万物ノ神・人身ノ神、八百万神ハ、転ノ日神、四時・八節・運回・生生・直耕ノ妙道ナリ。故ニ社人ハ直耕ノ太本ト之レヲ暁シテ耕サシム。
いずれにも語尾に「耕サシム」の言葉が付され、単なる説得ではなく、強制を伴う条例や法令を意識した記述のように見える。
仏教全体に対しては、信仰そのものを止めよとは言っていないようである。教え広めること、あるいは勧誘のようなことは止め、諸々の修法、教法に代えて、ただ同じ趣旨でもって耕作に勤しむべきと訴えている。
上下・貴賤の差別ある社会から実質上の差別を抜き、自然発生的社会への組み替えの唯一の道標を直耕として、安藤は不耕貪食のシステムを撃つことに懸命である。
ただし、安藤の本業である医者については例外的に「耕サシム」が抜かれている。
○医者ハ、人失(あやま―佐藤)ツテ諸病ヲ為ス危命ヲ救フ。人ノ命ハ穀精ナリ。故ニ穀ヲ耕シ食フテ、病者ニモ穀食ヲ勧メ危命ヲ救フ。人身ノ備ハリ、万物ノ具ハリハ、八気互性ノ妙道ナリ。之レヲ知ラザル者ノ治方ハ、悉ク人ヲ殺ス。故ニ堅ク之レヲ停止シテ、互性ノ妙道ヲ知ル者ヲ医者ニ立テ、是レニ危命ヲ救ハシメテ、其ノ一族ハ耕サシム。
全体的にこの論での記述は無作為的で、次にはこんな記述が見える。
○盲人ハ、時ノ不幸、時ノ一族之レヲ養フテ穀粒ヲ引カシメヨ。
細かく規定しようとするかのようだが、他の心身の障害に関しての記述はなく、粗い。以下には様々な職種、あるいは嗜好品などへの具体的な言及があり、「耕サシム」を筆頭に、「禁ズ」「用ユベシ」「用ユベカラズ」などの言葉が並ぶ。
○商人ハ、金銀通用・売買スル故ニ、利欲心盛ンニシテ、上ニ詔ヒ、直耕ノ衆人ヲ誑カシ、親子・兄弟・一族ノ間モ互ヒニ誑カシ、利倍・利欲・妄惑ニシテ、真道ヲ知ラズ。上下ヲ迷ハシ、転下ノ怨ミ、転真ノ直耕ヲ昧マス大敵乱謀ナリ。速ヤカニ之レヲ停止シ、田畑ヲ与ヒテ耕サシム。
○暦家・天文家ハ、転ノ気行ヲ計ル。転真ハ気行ヲ以テ互性妙道ニ万物生生スルハ、直耕ナリ。易・暦・天文・陰陽家ハ、分キテ直耕第一ノ家ナリ。故ニ其ノ書学ヲ止メテ直耕スル則ハ、乃チ易・暦・陰陽ノ通達ナリ。之レヲ暁シテ耕サシム。
○染屋スル者ハ、藍染一品ニシテ、種品ノ美染ヲ止メ、一族ハ耕サシム。
○箱屋スル者ハ、水箱一品ニシテ、賁箱ノ類ヲ禁ズ。一族ニ耕サシム。
○桶屋・椀膳屋ハ、常用ノ一品ニシテ、無益ノ美器ヲ禁ズ。其ノ一族ハ皆耕サシム。此ノ外、諸職人ハ常用ノ一品ノ外、皆之レヲ禁ズ。
○茶ハ、毎家ノ裏ノ畑ニ之レヲ耕シ用ユベシ。
○莨菪ハ、凡テ用ユベカラズ。
○菜種、茄・瓜ノ類、凡テ耕シテ食フベシ。
○庭園ヲ築キ植樹等スルコト、凡テ之レヲ禁ズ。
金銀の通用および商売の停止。易、暦、天文、陰陽を生業とするものは、これを廃止して耕作させる。
染屋は藍染め一品だけ製造し、華美なるものは禁止。製造に携わる当人の分の耕作は一族で負担させる。箱屋(おけや)も同様、装飾は禁止。桶屋、椀膳屋も同様。このほかのさまざまな職人にも、常用品以外の制作は禁止させる。
安藤はさらに、茶は自家製にせよとか、タバコは一切吸うなとか、ナス、キュウリなどの野菜は自分で耕作して食えとか、細々したことまで規制している。ついでに、庭園を築き、庭木を植えることなどの贅沢も禁止するとしている。
こうした主張だけを取り上げたならば、かつての共産主義国の理念、およびこれを現実化しようとする際に必然的に生じた強圧政治を思い浮かべてしまう。そこまでは考えないとしても、当時にあって広く世間が周知するところとなったとしたら、「つまんねえ」世の中が到来すると考えたに違いない。
安藤のこういうところの考えを、どのように判断し、どのように評価するか、とてもとても悩ましく、ぬかるみに足を取られ身動きできなくなった状態と同じで、文章が進まない。正直に言うと、半分投げ出したくなってしまう。
ここでも、何度も何度も気を取り直して書き進めようとし、そのたびにうんざりして、安藤の神髄と思われる部分は一応論じたのだから中断してもいいと考えた。でもさすがに中断は悔しくて、本文の紹介と解釈のみでとにかく過ぎてしまえと思い、そのように進めてみた。多分、中に入りすぎて自分の位置が分からなくなった、そんな状態なのだろう。
幸い咎める者は誰もいない。ここからも好きにやってゆく。あるいは、好きにやってゆくほかにどうすることもできない。