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【推しの子】アクア死亡の真相

衝撃の結末を迎えた【推しの子】。何故アクアが死ぬことになったのか、考察してみました。ツクヨミの考察もあります。誰かの考察の一助にしていただければ幸いです。

この考察は、以下の3つに分かれています。

1.物語内での出来事
2.ツクヨミの考察
3.メタ考察

順に解説していきます。

1.物語内での出来事


アクア死亡に関して物語内で何が起こったのか、みていきます。


第百五十五話 ハッピーエンド

15年前のアイからのDVDを観たカミキは「アイの為に自分なりに出来ることをしにいく」と言い残し、その場を去りました。


第百五十七話 なんにもない日、すてきな日

カミキはニノに電話をかけ、「警察に行くよう」伝えます。
※つまり、カミキは犯行を止める方向に動いています。


157話 なんにもない日、すてきな日

ニノは警察に行く(犯行を止める)ことを拒否します
(ディスコミュニケーション)

カミキは「アイの為に自分なりに出来ることをしにいく」と言い、実際に出来ることとして、警察に自首するように、つまりこれ以上犯罪を犯さないように、ニノへ伝えています

これを殺人の教唆と見るか、殺人をやめるように促したと見るのか、解釈の違いは出ます。ただしどちらにせよ、カミキがニノに対して警察に自首するように伝えたのは事実です

①殺人教唆の場合
恐らくこちらが一般的な解釈になります。今後の展開は物語の通りです。

②殺人を止める意思があった場合
カミキはアイからのDVDの内容が心に刺さり、実は(多少は)改心していたということになります。
※例えばカミキからアクアへ「ニノに自首するように伝えたが拒絶された。ルビーが危ないので気をつけろ」と電話でもすれば、その後の展開は全く別です。


第百五十九話 共振

ニノはルビーの殺害に失敗します。
※あかねがニノから「カミキから自首するように言われた」と聞き出し、アクアに伝えていれば展開は変わりました。


第百六十話 eye

海岸でカミキは、結局のところ「誰かを害するつもりなんて無かった」と伝えます。これはニノへの言葉が教唆でも、そうでなくとも会話は繋がります。
※ここでのカミキの話が嘘なのか本当なのかは分かりません。問題はアクアの返しです。


第百六十話 eye

以下のようにアクアは返します。

1.「それも嘘なんだろ」

アクアはカミキの話に耳を貸さず、決めつけます。※典型的なディスコミュニケーション。カミキの表情も示唆的です

2.「俺にとってはお前が娘を守らなかったことが全てだ」

①ニノへの電話が殺人教唆の場合
アクアの指摘通りです。

②ニノへの電話が殺人教唆でない場合
「守らなかった」のではなく「守れなかった」が事実です。

3.「ニノの精神状況を理解していながら 何も対策を取らず傍観していた事が全てなんだよ」

これはアクアが完全に間違えています。カミキはニノに警察にいくよう伝えています。これは殺人の教唆であるなしに関わらず事実です。正しくは、「ニノの精神状態を理解していながら、対策を間違えた上、何のフォローもしなかった」です。少なくとも傍観はしていません。

作中では、「何の対策も取らず傍観していた事」だけが「・」で強調されています。つまり、アクアはここで判断を誤ったことが強調されています。

(ここまでのまとめ)

カミキの本心がどうであるかに関わらず、もう少しコミュニケーションを成立させて、「ニノには警察に行くよう伝えた。少なくとも傍観はしていない」とカミキから聞きだせていれば、少なくとも殺人は踏みとどまれたのではないか、というのが私の考察です。


第百六十話 eye

(補足)
海岸でのコミュニケーションは、初めからアクアの決めつけにより完全に破綻しています(ディスコミュニケーション)。カミキの口元だけのアップのコマは2回あります。これはカミキの「言っても信じないだろうから黙った」の示唆ではないかと考察しています。

※初めのコマでカミキの眼の色が確認できないのも、意図的に隠している(ミキの眼は白の星だった)と考察しています。

第壱五九話 共振

実のところカミキはアイからのDVDで多少改心しており、ルビーを殺す気はなくなっていて、まじめにニノを止めた。しかしアクアからの決めつけ(ディスコミュニケーション)で悪い部分(嘘をついて切り抜ける)が再現してしまい、3回目の口元のコマでアイドル姿のルビーを思い出し、再び狂気に飲まれた。と私は考察しています。


次に、海岸で少しでもコミュニケーションが成立し、アクアが殺人を踏みとどまった場合、どうなったかを考えていきます。

第百六十二話 星野アクア

カミキは、ルビーを殺害したいという意思を持ったまま生き延びます。
悪い方(カミキは改心していなかった)に倒して考えます


百六十四話 終幕

ニノの自供により、事件の全容がだいぶが明らかになります。
容疑者は殺人の裏取りがされ次第、逮捕されます。つまり殺人の実行役が(完全かは保証できませんが)いなくなります


第百六十五話 そして

映画『15年の嘘』が公開されます。
アクアは亡くなっていないので、凄くヒットはしなくとも、かなりヒットはするでしょう。


第百五十三話 フィクション

映画『15年の嘘』により、カミキが社会的に抹殺されます。

ニノの自供により実行犯らが逮捕されていれば、ルビーの安全は大分確保されます。また、『15年の嘘』で社会的に抹殺されていれば、カリスマ性の低下により、新たに殺人の実行役を確保するのは難しいでしょう。

つまり、ニノがルビーの殺害に失敗した時点で、実行犯は芋づる式に逮捕され、カミキは『15年の嘘』で社会的に抹殺され、状況はかなり好転していた。というのが私の解釈です。これは決して悪い状況ではないはずです。

そもそも、日本のトップランクのアイドルであれば一定程度以上、身の危険には晒されていると思います。カミキを物理的に殺したところで絶対の安全が確保されるわけではありません。もう少し言えば、これは普通の女性であっても同じです。変質者は必ず存在するので、日常生活において女性の完全な安全というのはあり得ません。

※仮にカミキが改心していた場合は、ルビーに問題はなくなります。


ここで視点を少し広げてみます。注目するのは斎藤壱護、黒川あかねです。

斎藤壱護

第九五話 盲目

斎藤壱護は、カミキ(この時点では誰か不明)に対して、明確な殺意と動機を持っています。


第百五十五話 ハッピーエンド

この時の心情は、壱護もアクアも同じです。「今でも殺してやりたい」でしょう。


第百五十五話 ハッピーエンド

壱護の心情としては、アイの夢を引き継いだルビーに全力を注ぐ、あたりでしょうか。壱護がルビーにアイの面影を見ているのは間違いありません。こんな状況でニノによるルビーへの殺人未遂が起こった場合、壱護はカミキを許すでしょうか。

ルビーはアイの忘れ形見であり、斎藤夫妻の養女であり、夢でもあります。壱護がカミキを許したのは、大前提としてこれ以上過ちを繰り返さない、というのもあったはずです。

もし、カミキが生き残っていた場合、カミキは壱護によって高い確率で殺されていたと考察しています。壱護がカミキに危害を加える動機は十分あります。

もし、このケースで壱護がカミキを殺害した場合、壱護の単独犯になるのでアクアは逮捕されません壱護は恐らく警察に捕まるでしょう。ワイドショーでは取り上げられるでしょうが、『15年の嘘』も相まって、世論は壱護に対して同情的なものになりそうな気もします。


黒川あかね

第九十七話 一緒に

黒川あかねは、カミキヒカルに対して明確な殺意と動機を持っています。


第九七話 一緒に

しかし、アクアはあかねを拒絶します。

ここであかねを巻き込んで完全犯罪を計画してもらい、実行役に壱護にすれば、最悪のケースで壱護が警察に捕まるにしても、壱護は絶対に口は割らないでしょう。もし仮に、あかねまで捕まったとしても、あかねはアクアのために絶対に口を割らないでしょう。

その後、アクアが自首するかどうかですが、自首するとルビーの夢に影響が出るので自首できずに罪悪感に苦しむ、といった展開になったと考察しています。

復讐に他人を巻き込んでいいかどうか議論が残りますが、仲間を信じて協力を求めていれば、まだまだ違う展開もあり得ました。

(まとめ)
物語内の状況を見ると、あの日あの時、アクアがカミキを殺害しなくても、それほど問題がなかった。もしカミキとのコミュニケーションが成立すれば、殺人まではいかなかった。というのが結論です。仲間を信じて犯罪に巻き込んでいれば、もっと別の展開もありえたでしょう。

では、少し視点を変えて、ツクヨミを交えてアクアの死の真相を考えていきます。


2.ツクヨミの考察

ここではツクヨミの正体について考えていきます。

前提を揃えるために、物語をハッピーエンドに導くための方法を共有します。これはとても重要な説明です。

物事というのは、まぁ総じて放っておけば悪い方向に転がっていく。どう転んだところで宇宙が冷めていくことは止められない。“理に敵った展開”だけを積み上げて構築された世界は、どうあってもエントロビーの支配から逃れられないのである。故に、物語にハッピーエンドをもたらすという行為は、条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って、宇宙の法則に逆行する途方もない力を要求されるのだ。そこまでして人間賛歌を謳い上げる高潔な魂があってこそ、はじめて物語を救済できる。ハッピーエンドへの誘導は、それほどの力業と体力勝負を作者に要求するのである」

Fate/Zero あとがき 虚淵玄

この文章はFate/Zeroのあとがきです。小説家(脚本家)の虚淵玄さんは「心温まる話を書きたい」と思いつつも、自分の制作する物語がバットエンドになってしまい、筆を折るかまで悩んだそうです。ですが、Fate/Zeroの執筆で持ち直しました。

「どう転んだところで宇宙が冷めていくことは止められない」これは恐らく宇宙の熱的死を指しています。ある学説によると、本当に途方もない未来、全宇宙は熱的死を迎え、人類の住める環境ではなくなります。その時人類はどう転んでも絶滅します。つまり最終的に人類は「BAD END」が決まっている、そう解釈しています。

「そもそもそんな未来まで生きてない」というのであれば、人間に例えてみると分かりやすいです。人は必ず死ぬわけですから、どんなに幸福な人生を送ったとしても、最後は必ず「DEAD END」です。

物事は放っておけば悪い方向へ転がる状況(人類は最終的に「BAD END」個人では「DEAD END」)ですから、『物語にハッピーエンドをもたらすという行為は、条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って、はじめて物語を救済できる』。という話と私は解釈しています。

例を挙げてみます。

魔法少女まどか☆マギカ (脚本:虚淵玄

1話から11話(最終話の手前)まで、この物語は「物事はまぁ総じて放っておけば悪い方向に転がっていく」に沿って進みます。最終話で「条理をねじ曲げ、宇宙の法則に逆行する途方もない力を発揮し」、物語は救済されました。ハッピーエンドではないにしても、メリーバットエンドにはなっています。

STEINS;GATE

最終話、牧瀬紅莉栖は岡部倫太郎と出会いました。ここでは牧瀬紅莉栖が知らないはずの世界線の記憶(岡部倫太郎との出来事)を持っていることが示唆されます。これは『条理をねじ曲げ、黒をちょっぴり白を言い張って』物語をハッピーエンドに導いています。

Fate/stay night[Realta Nua]

最終シナリオで、衛宮士郎はセイバーと再会します。これが如何に途方もない奇跡なのか、それは物語で語られているの通りです。『条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って、宇宙の法則に逆行する途方もない奇跡』が起こり、物語はハッピーエンドに導かれました。

(例を挙げすぎると脱線してしまうのでこの辺で)

ここではこれから、作者が物語をハッピーエンドに導く力を〈奇跡の力〉と呼称します。〈奇跡の力〉を発揮できるのは(当たり前ですが)作者だけです。〈奇跡の力〉の使用回数に制限はありませんが、無暗に使いすぎると物語が嘘っぽくなり、読者に違和感を与えます

では、【推しの子】で〈奇跡の力〉がどのように使われたのかを見ていきます。


第一話 母と子

物語の冒頭、作者は〈奇跡の力〉を使い「条理をねじ曲げ」、「DEAD END」した天童寺さりなと雨宮吾郎を転生させます。


第百四十四話 原作ファン

さりなの転生には、ツクヨミが関与していることが匂わされます。明言されていませんが、転生させたのはツクヨミ、もしくはツクヨミの関係者です。(読者側はそう解釈せざるを得ません)

(強引なように見えるかもしれませんが)ツクヨミ≒作者 というのが私の見立てです。作者とイコールではないにしても、作者と近い能力を持っている存在、というところです。

ツクヨミ≒作者が何をしたのかを見ていきます。(発言は後々追います)


第七十七話 再開

クソカラス(=ツクヨミ≒作者)は〈奇跡の力〉を使い、ルビーを雨宮吾郎の遺体へ導きます。

作中では宿泊先のカギをカラスが咥えてしまい、ルビーが偶然遺体を発見しているように描写されています。ちなみにアクアは、(探偵役の)あかねと一緒に能動的に探して、遺体を見つけることは出来ませんでした。

対してルビーは、遺体を探していたわけではなく、夜に活動する不自然なカラスを追いかけて、偶然遺体を発見します。当然ながら、これは都合がよすぎる話です。展開に無理がありすぎます(よね?)。

つまりこれは、カラス(=ツクヨミ≒作者)が『条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って』、ルビーを遺体に導いています。ルビーは遺体からアイのグッズを手にします。これは後々、精神的に追い詰められたルビーが復活するための重要なアイテムです。

ツクヨミ≒作者は〈奇跡の力〉を使い、ルビーがアイドルとして成功する事を助けています


第八十四話 売り込み

カラス(=ツクヨミ≒作者)が、ルビーを壱護へ導いている(〈奇跡の力〉を使った)ことが示唆されます。ルビーは壱護から重要なアドバイスを受けています。

ここでもツクヨミ≒作者は〈奇跡の力〉を使い、ルビーがアイドルとして成功する事を助けています

他にもツクヨミは、ルビー、アクアと会話をしている箇所はあります。ですが、ツクヨミとの会話はなくとも物語は成立しています。
ツクヨミ≒作者が物語の展開に影響を与えているのはこの2カ所だけです。


第百二十七話 ガールスカウト

ツクヨミ≒作者は自分の行動が「正しい運命に導いてあげている」と言っています。誰を導いているのか、これはルビーが対象です。ツクヨミ≒作者はルビーを正しい運命(トップアイドル)へ導いています。

では視点を変えて、ツクヨミがアクアに対して投げかけている言葉から、重要な部分を見ていきます。


第百二十三話 悪手

アクアはパンク寸前だったルビーに自分が雨宮五郎だと明かし、ルビーを立ち直らせます。それに対しツクヨミ≒作者は、「悪手」であると断言します。また「嫌われていた方が楽だったはず」と言います。

何故悪手なのか。それは【推しの子】の世界は、以下のようなルールがあり、ツクヨミ≒作者はそれが分かっているからです。

ルールX:星野ルビーはアイを越えるアイドルを目指す
(付帯事項)
・ツクヨミ≒作者は、ルビーがトップアイドルになる手助けをする

ルールY
:カミキヒカルは、アイを越え得るものを殺害する。
(付帯事項)
・カミキヒカルを法で裁くことは不可能(殺人教唆の怪物)
・カミキヒカルの存在を追っているのはアクアのみ

アクアがルビーを助けると、ルビーはトップアイドルに近づきます。カミキはアイを越え得るものを殺害しようとします。ルビーを生き残らせるためには、カミキを殺すか、ルビーにアイドルを諦めさせるしかありません。ルビーがアイドルを諦めない場合、カミキの排除にはアクアの命が必要になります。

つまり、ルビーがトップアイドルに近づくほど、アクアの首が締まるようになってるのです。アクアがルビーを助けるということは、アクアが生き残るうえで悪手になる。ということです。

また、ツクヨミ≒作者はアクアの行動に対して「それは悪手だよ」といっています。これは、行動を選んでいるのはアクアであり、ツクヨミ≒作者はアクアを導くようなことはしていない。という事です。

※ツクヨミはアクアに煽られて映画に出演しています。これは別の子役を立てても物語は成立するため、重要な出来事ではありません。

【推しの子】を例文にすると、以下の感じでしょうか。

【推しの子】

物語の冒頭、大病を患った天童寺さりなと担当医の雨宮吾郎を「条理をねじ曲げ」星野アイの元に双子として転生させた。その後、ルビー(さりな)に対して、『条理をねじ曲げ、若干黒を白と言い張って』、アイドルになる手助けをした。その他の事は「物事はまぁ総じて放っておけば悪い方向に転がっていく」ままにした。


では、視点を変えて。

作者は【推しの子】に、ツクヨミ≒作者を登場させて何をやりたかったのでしょうか。【推しの子】は基本的にツクヨミなしでも成立します。

実際、ツクヨミが物語に与えている違和感は凄まじいものです。しかも結局最後までツクヨミがなんなのか、作中で明かされていません。こんな強烈な違和感を作中に登場させた訳は、物語に次のシーンをどうして入れたかったからだと考察しています。


第百六十二話 星野アクア

それはここから

第百六十三話 君

ここまでです。回を跨ぎ25ページもあります。

この間の描写は、以下のような感じです。

1.アクアに自分が生きた理由を見つけさせる
2.さりなが奇跡的に回復し、アイドルになるという優しい夢を見せる
3.星野アクアの生き方を肯定する

この場面は死に際にアクアが見た走馬灯でしょう。作者は走馬灯にツクヨミ≒作者を登場させたかったのだと考えています。何故作者がアクアと会話をしたかったのか。それはツクヨミ≒作者が〈奇跡の力〉を使わない為、哀れに死んでしまうからです。

星野アクアが死んだことで悲しんだ読者はいっぱいいたと思います。誰が1番傷ついたか考えると、これは作者である、赤坂アカさんと横槍メンゴさんだったのではないでしょうか。(だったら何故殺したんだ。というのはさておき)

アクアを非業の運命に閉じ込めたのは作者です。作者はツクヨミを介して、アクアの辿った人生を肯定することで、死んでいくアクアを少しでも慰めたかった、寄り添いたかった。というのをどうしてもやりたかったのではないでしょうか。

もし仮に、私がアクアに〈奇跡の力〉を使うとしたら次のような感じです。

ぴえヨンが心霊系ユーチューバとのコラボ企画『ダイバーを海底に引きずり込む悪霊の住む海岸』の撮影(ナイトダイビング)中に、カミキとアクアが海面から沈んでくる。

第百六十二話 星野アクア

ぴえヨンは悪霊の姿を本当にカメラに収める。カミキは悪霊により海の底に引きずり込まれたため、アクアだけを救出することになった。
ツクヨミには「観測者が増えすぎた。子供もたくさんいる」「君は心中すれば相手を殺してもよい、そんな主張を子供にするつもりなのかい?」とでも喋ってもらいます。

私の案はチープですが、作者がアクアを助けようとするのであれば、いくらでも方法はありました。しかし、作者は敢えて〈奇跡の力〉使わずアクアを見殺しにした。その代わりにアクアの人生に寄り添い、慰めた。という表現と思っています。

これがツクヨミ≒作者視点の出来事です
作中から追える情報は、このぐらいまでが限界だと思います。


3.メタ考察

ここからは視点を変えて、メタ考察になります。

メタ考察とは大雑把に言ってしまうと、作中の世界の外、つまり現実世界にいる者しか知り得ない情報を用いて考察することです。

作者のインタビューから抜粋します。

『【推しの子】』の意義というか、この作品を通して何を表現したいのかは最初から決まっていました。それは「ディスコミュニケーション」。つまり、「人と関わるとは、どういうことなのか」ってことですね。

https://shueisha.online/articles/-/252099?page=2

これらを通して「ああ、人ってこういうときに不快になったり嫌な気持ちになったりするんだな」と知っていくことが、僕の人生を救ってくれたところがあったんですよ。だから、僕はそこで得た経験を読者に返したいというか。「ここに僕が少しでも生きやすくなった方法があるから、同じように困っている人たちの助けになればいいな」と思っていて。

https://shueisha.online/articles/-/252099?page=3

ディスコミュニケーションとは、コミュニケーションが行われていない、または機能していない状態を指します。【推しの子】の作中では、アクアは復讐に人は巻き込めない、という理由で自分からディスコミュニケーション状態になり、命を落としました。

逆に言うと、作中の芸能に関する問題について、アクアは度々コミュニケーションを円滑にすることで問題を解決しています。これは、問題を解決するには、『相手とのコミュニケーションを円滑にすることが大事、ディスコミュニケーション状態になるとよくないですよ』という作者の表現でしょう。

第184話 早坂愛の友達③

ちなみにこれは、赤坂アカさんの前作「かぐや様は告らせたい」でも同様です。この場面に限らず、「かぐや様は告らせたい」では、問題事は仲間で協力して解決していきます。

メッセージ性があるとすれば、1つはコミュニケーションの大事さ、あたりになると思います。

ここからはかなりの邪推になります。


「かぐや様は告らせたい」では、何度も出てきたフレーズがあります。

第1話 映画に誘わせたい

恋愛関係は『好きになった方が負け』『告白したほうが負け』

これが成立しているのは、「かぐや様は告らせたい」がラブコメだからなのですが、これを読者がメッセージとして受け取ってしまった場合は、大分毒がある(現実とは大きく違う。つまり役に立たないどころか悪影響が出る)と考えてしまったのではないでしょうか。

また、「かぐや様は告らせたい」はラブコメですので、大きな失恋というのは描かれていません(あるにはあります)。作者は「かぐや様は告らせたい」の次の作品では、ラブコメの全く逆を行く「大きな失恋」を描きたかったのではないでしょうか。

【推しの子】では、黒川あかね、星野ルビーはともにアクアにあっさり好意を伝えて、それぞれ2回キスをしています。対して、有馬かなは、好意は微妙にしても、キスはしていません。

第百六十五話 そして

お葬式のシーンは、ラブコメの「かぐや様は告らせたい」の真逆を行く恋愛の終わりを表現したかったのだと思っています。お葬式のシーンは実に9ページもあります。【推しの子】はラブコメの真逆を行っており、ヒロイン3名の恋愛は全員失恋で終わっています。

もし、この邪推があっていたとすると、【推しの子】には以下のようなルールが追加されます。

ルールX:星野ルビーはアイを越えるアイドルを目指す
(付帯事項)
・ツクヨミ≒作者は、ルビーがトップアイドルになる手助けをする

ルールY
:カミキヒカルは、アイを越え得るものを殺害する。
(付帯事項)
・カミキヒカルを法で裁くことは不可能(殺人教唆の怪物)
・カミキヒカルの存在を追っているのはアクアのみ

ルールZ:ヒロイン3名は全員失恋で終わる
(付帯事項)
・有馬かな は最悪の失恋(告白する前に死別)を経験する

(最終的な結論)

つまり、星野アクアが死亡した真相は、【推しの子】が「かぐや様は告らせたい」の次の作品であったから作者は「かぐや様は告らせたい」の次回作では、手痛い失恋を描くと決めていた。というのが私のメタ考察であり、最終的な結論です。

(おまけ)犠牲者は多い方がいい

読者に疑似的な失恋を味わっていただく、犠牲者は多い方がいい、ということでヒロイン3名にそれぞれ属性があります。

私がここで言うまでもないですが、ざっくり上げると

・有馬かな → 同じ年タイプ。一緒にいると楽しい、少し口が悪い
・黒川あかね→ 年上タイプ。(完全な)よき理解者。おとなしめ
・星野ルビー→ 年下タイプ。妹、双子、甘え上手、前世で関係深い

私は実妹がいるので、タイトルに「妹」が入ると生理的に3歩は後ずさりします。ですが、ここまで属性を付与されると流石に脳がバグりますね。よく出来てると思いました。私の推しは「星野ルビー」です。

(作品の感想)

自分の考察はあっていると考えているので、とにかく星野アクアが可哀そうでした。読み直してみると、ツクヨミはとにかく鼻につくキャラで、正直嫌いです。ということで、作品、キャラクターは大変良いと思っているのですが、どうにも作者は苦手のようです。

以上、最後までご覧いただきまして有難うございました。








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