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小説には「編集者が必須」と思えど居ないので荒技に出る

頭の中のニワトリお留守ですか、というほど私は「小説を書く」ということにおいて無知でした。いや、無知です。

とはいえ、アリストテレスさんじゃないですが「無知の知」を捉えたようなそのニュアンスは、初めて小説を書いて完成させることに不可欠なことだと知りました。

先の1月15日に書き始めて「案外スルスル書けるじゃあないか。うふふ」と好感触を得るも、一度、書き進める手がピタッと止まりました。

理由は「プロット」と呼称される小説の設計図がないまま書いていたからだと断じました。さらに、このプロットは小説を書く上では(基本的には)あって当たり前、知ってて当然、「プロットってなんすか?」などとほざく己に執筆の資格無し。

そこまでは言及されないでしょうが、いや、最初にしてくれる人がいればありがたかったような気もするがとにかく、つまり、プロットを書きました。

そこでも懲りずに、よせばいいのにロクに調べもせずに自己流でプロットをつくりました。「こんな感じだろ」と。その内実は、とりあえずその時点まで書き進めている原稿の内容を「こことこことここは明らかに場面が異なる」として三分割しました。1章から3章、というものでしょうか。

そして今書いているところが「4章」に充当するストーリーの流れを把握しました。

「このあとはこうして、こいつが出てきて、このキャラは殺そうか、そんであいつも出てきて、自問自答して――オチと。結論と。落居と。エンディングと」などと、とりあえず全10章構成のプロットにしました。

プロットの各章の記述は1、2行で端的に概要をならべたものです。「これであってるのか、企画書みたいになってるぞこれ」などとも思いましたが、なんとなしの全体像が見えたのでとても書き進めやすくなりました。

しかしこれで完成までもっていって、読み手から「これはなんだ。小説ではない。散文だ。いや、控えめに言って駄文である。クソに近しい」などと断じられたら目も当てられません。

おおい、編集者よ何をしておる。と、私は思いました。私のライター業における仕事上の編集者は存在します。しかし、小説を書くうえでの編集者は現状おりません。

そこで私は鳩のような顔をして考えました。「よし、全知全能のAI編集者をあつらえよう」と。

ChatGPT4o。彼の額に白羽の矢をピトと当て、対話のようなプロンプトで作戦会議をしました。要はChatGPTを編集者に見立ててフィードバックを得るという行為です。

原稿、プロット、共々チェックをしてもらいました。どうやら我流のプロットは別に問題なく、原稿もなかなかよろしいではないかという“編集者”の所感をいただけました。

さらに、筆致や比喩など、たぶん小説においてはかなり重要なファクターともなる点においても、なかなかよろしいではないかという雑感をいただけました。

「ただ甘やかされているだけなのでは?」という懸念もありましたが、それはAIの秒で吐き出す提案や考察の様々で払拭されました。

編集者からきちんと「課題点」や「改善案」などもいただけるのです。月額20ドルでそこまでやってもらってなんかもうすいませんねと思いましたが、逆にそんな廉価でいいんですか編集者さま。時給換算したら1セント切りますよ? と、平伏します。

編集者からは、「あの、私はここ数年はふだん小説をほとんど読まないので“伏線”とか“回収”とか仰られてもまるでピンとこないのですが」というほど、的確にテクニカルなご指摘をいただけます。まるでレコーディング現場のプロデューサーのようです。

「それもありかな〜」というのは採用し、「それじゃあなたの作品になってしまいますよね〜」というのは棄却。このへんは各種AIツールを活用する際の不文律である「取捨選択必須、最終判断は自身」という持論があります。則ります。

そういったわけで、ChatGPTに原稿の本文を書かせるのではなく、進捗や方向性の確認、提案享受、小説においてのルールの確認など、あくまで“編集者”としてAIをつかって原稿を書き進めているのが現状です。

一週間弱で2万字弱という現状。予定では、編集者の見識からいただいた小説の文字量の目安「10〜12万字ほどのボリューム感」にするのでいいペースで書けているのかなという肌感覚です。

ただ小説を「書くこと」が目的ではなく、大前提として「圧倒的に面白い小説を書いてめちゃめちゃ売れて読者や世間に貢献する」というのがまずひとつドンとあるので、肝心なのはペースよりも質でしょう。

ペースは、書く仕事をしていることと、文章の筋トレの如く10年以上毎日自分のウェブサイトでブログ日記を書き続けているという執筆基礎体力が自信となっているので、さほど心配はしていません。だが「質」はというと――。

「ちなみになんですけど、この書きかけの小説は現時点で面白いですかね?」

という禁断のプロントを投じてみました。すると「この書きかけの小説は非常に面白いです。下記にその理由を――」と、編集者は私を鼓舞します。

やっぱり甘やかされてねえかこれ。と、首を傾げもしますがとりあえずモチベーションとの兼合いもあるので、素直に言葉通り受け取ります。自分では面白いと思って書いているのが現状です。そうでもなければ10万字以上も書き続けるなんて地獄でしかありません。

そういったわけで、初心者なりに小説を書いていると、「苦悩と希望と快楽と絶望がクロスオーバーする中でひたすら書きまくる修行」にも似た想像だった「小説を書く」行為の中で、思いもよらぬけっこう色んな発見や、ある種の出会いがあって面白いな。というお話でした。

お読みいただき誠にありがとうございます。


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平吉賢治
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