わたしを生きる
みなさんこんにちは!
教育ICTクリエイターのまきんこです。
今日は「わたしを生きる」という、私が大切にしている言葉についてお話ししたいと思います。
みなさんは「私を生きる」という言葉からどんな気持ちになりますか?
「私を生きる?なんじゃそりゃ」な気持ちでしょうか?それとも、「私は私を生きているよ、当たり前じゃない?」という気持ちでしょうか。
なんだか不思議な言葉ですよね。
でも、私の人生にとって、「私を生きる」という言葉は、とても大切です。
なぜなら、私は私の人生を生きられていなかった時期があるからです。
私が私の人生を生きていなかった時期は
ありのままの自分じゃだめだ。
変わらないと、変わりたいと強く思って生きていた日々です。
なぜ私が、ありのままの自分を受け入れられなかったのか?
それは、わたしが感受性が豊かであり、色々なものに影響されやすいから。
そして、敏感な感性のまま社会で“ありのままの自分を受け入れてもらえなかったから”
私が5歳くらいの時でしょうか、
綺麗なペンを前に、タンスにこのペンで色をつけたら
とても綺麗なものになるんじゃないかな?
と思い、タンスに絵を描き、母に喜んでもらいたくて、母を呼んでみせたとき、ものすごく怒られました。(当たり前です笑)
でも、その時の私はパニックでした。
だって、タンスはとても可愛いし。。
そこから、そのペンを持つことができませんでした。
色んな愛を貰って日々生きていきますが、
それと同時に
ありのままの自分ではいけないと思わざるを得ない経験も自分の中に溜まっていきます。
「なんでそんなことしたの?」
「本当に抜けているよね、そんなんじゃいけないよ。」
「あなた、本当にそんなんで家を出れるの?家事なんて家でやっていないのに。そんなんじゃ将来が心配」
「はぁ、、そんなことを考えるなんておかしい」
そして、いじめにも遭います。
「みんなあなたのこと嫌いだよ」
「そんな髪留めつけちゃだめだよ」
大好きな父に買ってもらった、そして自分で選んだ髪留めを床に投げられ壊されます。
必死にパーツを探しますが、
「そういうことする人嫌い〜」という言葉を複数人に投げられます。
あぁ、ありのままの自分なんて受け入れてもらえない
変わらなければと思います。
みんなに受け入れてもらえるよう努力をしました。
勉強も部活もたくさん。
そうしたら友達ができたんです。
だから、ありのままの自分を押さえて、好かれるために行動しました。
だけど…そんな気持ちで取り組んでいる日々は、常にナイフを背中に突きつけられながら生きているようなものです。
必死に勉強はしますが、点数が落ちる時だってあるんです。
そんな時、私は私を許せませんでした。
「どうしてもっと頑張れないの?頑張らないと価値ないよ!!!!自分なんかに」
という気持ちです。
そんな言葉を自分に投げかけていた日々はつらかったです。
でも…間違っているんです。
自分を傷つけるのは。
だって、そんなことをしたら心が痛いから。
そして…私の本当の友達は、私が何かをしなければいけないなんて思っていなかったんです。
ありのままの私も受け入れてくれていたんです。
だから…ありのままの自分を愛することにしました。
だって、他の人からの愛は、急に変わることもあるかもしれないけど、自分から自分への愛は、誰にも踏み込んでくることはできないでしょう?
ありのままの自分じゃ、社会ではやっていけなかったりするけれど、
自分のこころの世界では、自分はありのままでいいんだよ。
おっちょこちょいなところだって、抜けているところだってきゅーとじゃん、自分。
※自分のおっちょこちょいで、ほかの方に迷惑をかける時はとても申し訳ない気持ちになるけれど…それは、次はそうならないように対策を考えればいいだけ!
わたしを生きる、わたしを信じる!
そうやってこれからの人生を歩んでいくぞ〜
トコトコトコ