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方向・運動音痴によるE帰寮のすゝめ

エクストリーム帰寮運営の方々と三人のおじ様に捧げます。

※トラがウマって急速に忘却しつつあるエクストリーム帰寮記録ですので、読み難いところもあるかと思いますがご了承下さい。

総括

 まず総括をば。
「元囲碁将棋部都道府県不可記憶系の僕でも、エクストリーム帰寮に理解のある三人のおじ様に助けられ、素敵にエクストリーム帰寮できました」
 いえーい! 楽しかった!!という所になります。

教訓

 そして教訓。数多の靴擦れと鈍い筋肉痛を通して以下の天啓を得ましたので、僕と同じような方向音痴、運動が苦手な方の参考になればと思います。
・自分がまっすぐに道を歩けると錯覚するな 
・京都市に入ってからが本番(長距離は特に)
・予定距離の倍歩くことは覚悟しろ
・むやみやたらと川を渡るな
・厚い靴下をはけ
・人に頼れ
・休め
・眠れ

エクストリーム帰寮詳述

 さて、僕のエクストリーム帰寮の詳述です。折角なので色々とありのままに残そうかと思います。

動機とその結末について

 幼稚園時代から十四年間ひたぶるに文化系であり続けた僕がエクストリーム帰寮に参加した原因は、Z世代もやしでありながら遺伝によって微妙にスタミナを持っていたことでした。僕の体力は囲碁将棋部で上位に君臨しつつも運動部には決して敵わない程度でありました。例えば、体力テストの持久走はオタク仲間への勝利による仄かな優越感と、陽気な体育会系の「今回〇〇しかいけんかったわ~めっちゃ衰えた笑」への圧倒的敗北によるやるせない憤懣を同時に僕に抱かせるものでした。自らの属するヒエラルキー内において上位に君臨できたことに小人的喜びを覚えながらも、客観的に一寸法師の背比べに過ぎないことを痛感していました。このような経験により育まれた我が体育会系コンプレックスが、ベッドでTwitter周遊をしている最中に突如活性化し僕に囁いたのでした。
「フルマラソン、歩いちゃえば?」
 フルマラソンを……歩く……。左翼とギークに溢れたTLに毒されていた僕は、この悪魔的発想によりマラソンという競技とそれに関わる漠然とした体育会系を虚仮にしたようで、何やら酔ったように得意な気分となりました。長く抱えてきたコンプレックスの一つを、この歳にして何らかの爽やかなものに昇華できるかもしれない、という浅はかな期待もあったのやもしれません。結局のところ、フルマラソンの距離を歩くという行いは否定したいはずの「体育会系」なるものの型を利用しなければ何もなせぬ自身の独創性の無さを露呈するものに過ぎなかった訳ですが……
 かくして僕は「42.195kmでお願いします」と申込フォームに認め、結果としてたった75km程度の悪路を苦心惨憺歩むこととなったのでした。

帰寮開始直後の感想について

 街灯一つない畦道をぽつねんと歩き始めた開始五分後、将棋ウォーズ(日本将棋連盟公認アプリ)初段の先見性でもって\(^o^)/オワタと確信しました。
 あっという間の詰みで、待ったをかける暇もありません。えげつなく困った状況でしたが、盤面ごとひっくり返そうとするような稚気(時に勇気とも呼ばれるもの。ex ──の切断)を恥ずかしく思う僕は歩く他無いのでした。

 トバされている途上、つまらなくも面白くもないラヂオを子守歌に一時間程度の睡眠をとってみれば、何やらドライバーの方たちが声を潜め談笑していました。
「あー、これは、山だね。いや、すごい山道だ」
「これ、すれ違えないんじゃないの。険しいねえ」
 このような会話を聞いても、豪胆に二度寝できる人間でありたかったものです。傲岸な小心者である僕はこの段になってようやく、もしかすると不味いのではないか、という不安を抱き体がぶるりと震えました。具体性のある恐怖ではなく、所謂ホラー映画で主人公たちが幽霊屋敷に入るのを観ているような、どうにかなってしまうようなことが必ず起こると確信できてしまう慄きがありました。
 僕が起きたことに気付いたのか、助手席の方が事も無げに言いました。
「あと三十分くらい。別に見ても何にもならないから、軽く見ていいよ。」
 はたして周囲に見えたのは、鬱蒼とした林でした。ヘッドライトで照らされた径は細く、光の絶えた先はひたすらに闇が広がっていました。
「……山、ですね。」
 馬鹿正直で阿呆な言葉を漏らしてしまいました。なにしろ僕は、エクストリーム帰寮をついでにして、当時公開されたばかりの映画「ザ・メニュー」を観て、三津田信三先生の最新作「みみそぎ」を買って帰ろうか、などとルンルンで考えていたものですから。数十分後に自らが居るであろう圧倒的大自然を想像できてしまい、ひどく肝を冷やしていました。
 僕とドライバーの方がこのように話している時ですら、音も立てずに寝入っていた同乗者のお仲間を少し羨ましく思いながら、しばしの逡巡の後僕は再び目を瞑り、しかしすぐに起こされてしまったのでした。
 さて、降ろされたのは和束天満宮でした。
 今もって反省も後悔もしていませんが、それでもミスしていたことは認めます。「和束天満宮」を、僕は全くもって一欠けらも知らなかったのです。
 ドライバーや同乗者の方たちと軽く挨拶を交わして別れてすぐに、
「和束天満宮だって!? 僕のデータにないぞ!」
 と真っ暗な境内で一人で言って少し笑いました。
 闇と自棄は人を狂わせるのだと思います。
 とりあえず下る径に沿って歩き、山中からの脱出には成功しました。しかし山を出て見えるのは分かりやすい田園風景であり、街灯もなく舗装の剥げた道を、一人歩まざるをえないことが理解されました。
 何はともあれ、僕は畦道をただのCo「ミサイルキラー」なんかを唄いながら、ひっそりと歩いて行ったのです。

三人のおじ様について

 三人の見ず知らずのおじ様方に助けられ、僕は何とかエクストリーム帰寮を踏破することができました。
 一人目のおじ様は消防署で夜勤をしている方でした。深夜二時から三時を回った辺りにのこのこと現れ、「京都に行きたいんですが」と道を訊ねる、見るからに阿呆な大学生によくぞご丁寧に対応して下さったものです。
 ほとんど自棄っぱちで当てもなく歩いていた頃でしたので、まず人の灯りが有難かった。ご親切に大きな道沿いの行き方を教えて下さり、本当に心強かったです。大変お世話になりました。
 ただ、この方には少しばかり申し訳ない事をしました。折角夜分に道を伺ったというのに、僕という奴はZ世代の頼りない本能の赴くまま、「なんとなく川を渡った方が近そうだな」とルート変更。結果として京都と真逆の方向へと数時間歩き続ける羽目になりました。しかも渡った川が曲者で、方角を間違えたことに気付き再び渡ろうとしても、歩行者の渡る橋が無い事といったら……。数時間が川沿いを歩くことに費やされ、渡れたのは夕方頃になってようやくのことでした。結果として、わざわざ教えて頂いたのに逆張り精神によりアドバイスを無駄にしてしました。ご本人は知る由もないでしょうが、僕個人として後ろめたく思います。申し訳ありませんでした。
 二人目のおじ様には、奈良のあるバス停で出会いました。僕がバスの路線図を見て必死に京都方面を探そうとしていたのを見兼ねて、親切にも声を掛けてくださいました。
 実のところ、僕が川を渡ってしまったことの過ちに気付けたのは、この方のお蔭です。北に向かおうとして南に邁進していた僕を呆れながらも確りとした忠告で止めて下さったのがこの方でした。感謝しかありません。
 三人目のおじ様には、川沿いを歩いている際にお声掛けして助けてもらいました。サイクリング中であったのに快く道を教えていただき、心の支えになりました。この川沿いというのは、まさしく過って渡ってしまった川のことであって、再び渡ろうという意志を持ち、先に渡った数時間後に垂直に河川にぶち当たりました。その時には二人目のおじ様の忠告で線路沿いを歩いてきていたために、線路上をスタンドバイミーよろしく歩くという手もなくはなかったのですが、疲弊して消えかけの理性が何とか固辞しました。しかし見渡す限り橋梁の一本も無く、東西のどちらに向かって川沿いを行けば良いかも分からず、川を突っ切るという手段が現実味を帯びていたまさにその時、おじ様は通りがかってくれました。京都を目指している旨を伝えると、それにより適した橋がどちらにあるかを教えてくれ、本当に希望が湧きました。こうしてようやく逸れた脇道から戻ってこれた僕は、京都への道を歩みだしたのでした。
 まとめてみると、川を渡ったミスが致命的過ぎたことがよく分かります。恐らくこのミスのせいで、十数キロは無駄に歩かされたと思います。
 二度と本能なんか信じない!

その後について

 というのも、正直な話まともに意識があったのがこの川を渡るまでであったというか……。正直渡った達成感でハイになって以降半死半生だったというか……。
 とまれかくまれ、この後も無事、二度道を間違ったり、気づいて戻ったり、側溝で疲れのあまり寝たり、靴擦れが酷くなったからカロリーメイトの空箱を潰して靴に入れてクッション代わりにしたり、京都市内に入ってからは殆ど寝ながら歩いたりして、熊野寮まで戻ってこれたわけです! 

来年への意気込みについて

絶対地理が得意な人とリベンジします!


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