古墳シスターズの活動日誌その5



さて前回の続きです。


「古墳シスターズの歴史」ということで、前回は僕が初代ベーシストのKくんにバンドやろうよって言ったところまで書きました。

今回は古墳シスターズの現行ギタリスト松本くんが出るか出ないかくらいまではいきたいですね。

僕と並んで唯一のオリジナルメンバーの登場なんでなるべく丁寧に紹介できればと思います。

あと何度も言いますが、ためになる内容は一切ありませんので決して過度な期待はせず、つり革広告でも眺めてるような気もちで読みましょう。たまたま目に入った、そんくらいで大丈夫です。


では早速いってみましょう。




〜主要な登場人物〜


・松山(僕)

・松本←古墳シスターズのギター担当  

・K←古墳シスターズ初代ベース

・T←古墳シスターズ初代ドラム





そんなわけで松山と、彼の突拍子もない「バンドやろう」提案を軽々しく、そして浅はかにも承諾してしまったKのふたりは次にメンバーを探すことになりました。


「ブルーハーツもガガガSPもフジファブリックも四人。HiGEもぎゅっとすれば四人。50回転ズも増やせば四人。バンドは四人がいい」という松山の暴論を果たして当時Kが納得したのかしなかったのかはさておき、彼らが目指したバンドは4人組編成のバンド。残るは「リードギター」と「ドラム」の二人でした。


「ドラムはあいつがいい」


松山が言う「あいつ」というのは、これまた松山とK同様、同じ大学に通う、「ろ過」によって取り残されたTという男でした。Tはまた、松山の高校からの知り合いでもありました。


松山がこうしてTの名を挙げたのには、そういった意味で彼と親しい間柄であったというのももちろんありますが、彼がTを推すのにはそれ以上の理由がありました。

Tはヴィジュアル系だったのです。


当時、松山とK、それからTは大学の同じ軽音サークルに所属しておりました。

とはいっても所詮サークル活動の範囲内でしたので、松山もろくにギターが弾けず、たまに催されるサークルライブではギターを投げて騒ぐだけの留年生でしたし、Kに至ってはベースはおろか楽器もろくにさわったこともなく、こちらもまたボーカルとは名ばかりの、奇声をあげながら床を這うだけの留年生でありました。そしてTもそこで木の棒を持って合成樹脂を叩くだけの留年生でありました。

しかしTの場合は少し具合が違ったのです。



まず第一に彼の顔面にはおびただしいほどの「穴」が空いておりました。そしてそれら大小さまざまの「穴」には鉄製のリングが吊るされたりはめこまれたりしており、立派な「穴」となると鶏卵が容易に通過しうるほどのものまでありました。



また背中いっぱいに刻印されし白銀の両翼は彼が天上より堕天の証として、その身に宿す穢れと共に因果の果てを求めんとした愚者の哀れな羽ばたきそのもので、神羅金(カラコン)を宿した瞳で放った「実家に帰るときはお母さんに見えないようにしてる」という彼の堕天使な告白に松山は腹を抱えて笑っておりました。




このころは同時進行でバンド名も考えていた時期でもありました。


最終的に「古墳シスターズ」という世にも奇妙な名前に着地するこのバンド、他にも候補としては「母」「古墳古墳ふん(発音すると気持ちいい)」「元気」などがありましたが、共通していたのは、『想い』や『意味』など殊勝なものではなく、シンプルに「目立つかどうか」でした。


目立つかどうか。

これは当時の古墳シスターズにおける重要なテーマだったように思います。

意味なんかはなくてよかったですし、むしろなければないほうがずっといい。バンドを始めた当時、彼らにはどこまでも飛んでいける「軽さ」が必要だったのかもしれません。


そんなわけで、そういう精神で始めたバンドのドラマー、もといメンバーが「普通」っていうのはなんだか釈然としない、面白くないなと考えた松山は既知の友人であるTに目を付けたのでした。


そしてTもKと同様、二つ返事でバンドに加入することを了承してくれました。


「バンド名はもう決めてるの?」

「古墳シスターズ」

「……やばない?」


ここに、ドラマーに純度100%のヴィジュアル系を据えた青春パンクバンドが結成されたのです。もっとも、そのときはまだ「青春パンク」なんて言葉は使っておりませんでしたし、そもそも自分たちがどういった音楽をしていこうかなんてことは少しも考えておりませんでした。それでもこのときのワクワクは忘れられません。

誰もが帰ってしまったとばかりに思っていたグラウンドのすみっこに、自分以外にもボールを蹴っていたやつがいたのです。あと一人。あと一人いれば試合ができる……。





季節は春。

松山とKそしてTの三人は来月から大学4回生になります(実際はこのあと3人とも留年しました)。


「ギターは誰にする?」

「そうだなあ」


海沿いの駅、高松駅のすぐ近くに瀬戸内海を見渡せる小さな公園。小さな屋根のあるベンチに座って松山とKは早速曲作りを始めておりました。


今まで曲なんか作ったことのない二人です。彼らがとった作曲方法は、買ってきたガガガSPのスコアブックを眺め、コード進行をそのまんまパクり、アコースティックギターでじゃかじゃか弾き、それに合わせて適当に鼻歌を歌うというやり方でした。10年経った今も、ギターをじゃかじゃか弾きながら歌うという、松山のその曲の作り方は変わっていません。当時の、瀬戸内海から吹く穏やかな海風がとても心地よかったことを今でもはっきりと覚えています。




Tの加入後、そうして着々と準備を重ねる新生バンド「古墳シスターズ」でしたが、ただの一つ、最後のメンバー『ギタリスト』だけがなかなか決まらないでおりました。



それもそのばす、なんせ大学4回生になるという春です。友達を探すと言っても同級生のほとんどは就職やら進学が決まっています。後輩だって多くが優秀なやつばかりでしたから、この時期にもういろいろと決めているやつも少なくはありません。


「息子がこのタイミングでバンドするなんて言ったら、俺が親なら抜刀してるよ」


そういうKは、このときまだ親にバンドを始めたということは言っておりませんでした。それでもKの言うことはもっともで、どんなにダメとされるやつでも「バンドします」とまで言い出す愚者はこの3人をのぞいて当時彼らの周りには一人もいませんでした。


「まあ考えておくよ」


松山そう言って残りのメンバー探しの話が終わる、そんな日々がしばらく続いておりました。



ところがそんな3人に転機が訪れたのは意外にも早く、桜がようやく満開となった翌月のことでした。のちに松山と並んで唯一古墳シスターズを10年間やり続ける男、松本陸弥が入学してくるのです。


つづく


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