【同居離婚】沈む夕日を見ながら感謝の気持ちが芽生えた
こんにちは。しゆう@同居離婚実践中です。
勤労感謝の日、年内最後の祝祭日だったようです。
そんな勤労感謝の日もあと数時間後には終わりを迎えようとしています。
元夫が転職し今の職業に就職して以降、我が家の休日は基本水曜日のみになりました。(と書くと業界がわかりそうですねw)
ですので、土日祝は基本私と子供達だけで日中を過ごすのですが
長男はまだ小さいので近所の公園で走り回りたっぷり遊ぶことで満足してくれるのでとてもありがたい限りです。
公園に放つことを我が家では放牧と表現しています。(笑)
長男が公園でたくさん遊びさぁそろそろ帰ろうとなった時、疲れたと言ったので気分を変えてバスで帰ることにしました。
帰りのバスに乗り、出発時刻まで車内で待機していたのですが、沈みゆく夕日を車窓から眺めていた際、
「長男が元気に楽しそうに公園で遊ぶことができるのも、家族が機能しているからなのかもな」と考えました。
もし私が同居離婚を実践してなくて完全一人親でいたら
子供達を養うため休みの日も仕事に出ているかもしれないし
子供達と過ごす時間が今より減っているのは確実です。
実家の両親は頼っていたかもしれないですが、行政の力は借りつつそれでも日々疲弊はしているでしょう。
長男は、仕事から帰る父親をいつも笑顔でおかえりー!と言って出迎えています。
元夫も長男のお出迎えはとても嬉しいようです。
父親が家に帰ってくるということが長男にとっては当たり前で、元夫と私と次男がいる、家族という組織でいることこそが
長男が健やかに過ごすことができる軸のようなものなのかも、と考えたわけなのです。
ほんの数ヶ月前の私は、
元夫に対して嫌悪感と拒絶と否定と疑いと、負の感情全開で接していました。
子供のことを考え時、夫婦としては終了するがせめて家族という組織は頑張って成り立たせるという決断をしたのに
やはりどうしても元夫の不貞行為がまとわりついてしまい、自分自身も苦しかったのです。
負の感情をぶつけまくっていたら家族としては成り立たないじゃないか、と自分に決着をつけることができたのも
日々を元気に健やかに過ごしている長男の姿を見ているからかな、と感じることができるようになりました。
家族は家族
夫婦は夫婦
他人は他人
恋愛や人間関係などで「割り切ることも大切」とよく言いますが、私の同居離婚という選択は究極の割り切りだなと感じる日々です。
今は元夫に負の感情をぶつけまくることは無くなっていて
私自身、自分と向き合う時間も自主的に増やしたため、自分自身にも割り切ることができました。
皆様、良い週末は過ごせましたでしょうか。
寒い日々が続いていますが、どうかご自愛くださいますように。