【私の過去の話】父・兄弟との出会い
ご覧いただきありがとうございます。あおい夏の雪だるまです。
1月ももう終わろうとしていますが、暖かくなる日が出てきましたね。
何よりもう1月が終わるのか!という感覚ですが、いかがでしょう。
社会人になる日が刻一刻と近づいており、不安が募っています。
さすが、行く1月ですね。
それでは本題に入りましょう。
ある男性とその息子
私が小学2年生ぐらいの頃、ある男性とその息子さんと母の4人で出かける機会が増えました。
正確には、増えていました。気づけば週末は当たり前に会うようになっていました。
初めのうちは、母の会社の人とその息子さんと会うことに何も感じていなかったのですが、いつからか「なんでこの人たちと毎週末会わないといけないんだろう」と思うようになっていました。
そんな違和感に気づき出したタイミングで、その男性も離婚していることを知りました。
そして母も離婚しているということを彼の息子さんにも伝えていました。
初めて会った日からどれぐらい後か覚えていませんが、私たち子供に対して自分たちが離婚しているということを伝える必要のある関係性に変わっていました。私の知らないうちに、だんだんと変化していたそうです。
今でも覚えているのは、母と夜一緒に寝ている時のことでした。
きっとその時、母は私に彼と再婚するつもりだということを私に話していました。正直覚えていませんが。
その理由は、母の言い方はとても周りくどかったので当時の私は母が何の話をしているのかわかっていませんでいた。なので私も適当に答えてしまいましたし、母の恋愛の話を聞くことを当時の私は受け入れられなかったんだと思います。
母と話をした後に、彼らの家に泊まりに行くようになりました。
その男性と息子は、のちに私の父と弟になる人たちでした。
彼らの家での思い出
私が初めて孤独を感じたのは、彼らの家に訪れた時でした。
その男性には息子が二人いて、中学3年生と小学1年生の男の子でした。彼らは私の兄と弟になる人たちでした。
そして彼らは私立の学校に通っている「the お受験を乗り越えた男の子」たちだったので、当時のいろんな子供が通う公立の学校にいた私とは育ってきた環境が180度違っていたので、彼らとうまくコミュニケーションが取ることが難しかったです。
しかし、母やのちに父となる男性は、子供達が仲良くなるようにと一緒にいる時間を作ってくれていました。
むしろ、母たちが自分たちの時間を作るために子供たちだけでいる時間を作っていたのかもしれません。
初めは「この人たちと早く仲良しにならないといけないんだろうな」と焦っていたのだと思います。できるだけ話をするようにしていました。
もしかすると、話をしていないと寂しい思いをすると無意識のうちに感じていたのかもしれませんが。
初めて感じた孤独感
そんなこんなしているうちに時は流れ、週末は彼らの家に泊まりに行くようになっていました。
初めは、お泊まりってワクワクするなあ程度にしか思っていませんでしたが毎週末と言っても過言ではないぐらいの頻度だったので、ストレスを感じていました。
しかし、当時の私はなかなか泊まりに行くことがストレスで、行きたくないという旨を伝えることができず、というか母に言って良いのか分からずただ母についていくことしかできませんでした。
今振り返ると、父がもういない私にとって、母を怒らせたり悲しませたりすると本当に一人ぼっちになってしまうのではないかという不安があったからだと思います。
そして、夜、寝る時間が来ました。
私は彼の息子たちと3人で寝るように言われました。
今思うと、年頃の男の子もいる部屋で女の子一人寝かせるなんて、と思いましたが当時の私は違和感を持つことなく受け入れていました。
強いて言えば、母と一緒が安心するのになあと思っていた程度です。
普段どこでも爆睡できる私でしたが、やはり不安になってしまったのでしょう。夜中に目が覚めてしまいました。
他人の家で寝ることが不安だったこともあり、母と寝たい旨を伝えるために母と男性が寝ている部屋を訪れました。
ドアを開けて母に「怖いから一緒に寝て」というと、
「あっちに行って、こっちに来ないで」
と言われました。
私の中で何かが崩れた感覚がありました。
ああ、私は邪魔な存在なんだ、と子供ながらに感じ取っていました。
その時、今まで感じたことのない悲しみ、寂しさ、孤独感が襲ってきました。
そして、なんで母に行きたくない、泊まりたくないって言わなかったんだろうと思いました。
母の再婚と共同生活の始まり
その後の記憶は曖昧なのですが、大晦日にも彼らの家に泊まりに行くと伝えられた時はさすがに行きたくないと言った記憶がありますが、私の願いは叶わず彼らの家で過ごしました。
そして、私の記憶が正しければ、彼らの家に泊まった次の日(元旦)に彼らの祖母の家に行き、結婚の挨拶をしていたと思います。
この時、私は完全に取り残されていました。
なんであの時母に嫌だって言わなかったんだろう。
なんで何も考えずついて行ったんだろう。
なんで大好きな祖母に相談しなかったんだろう。
そんな、意味のなさない「なんで」が頭の中をぐるぐると回っていました。
そして私の苗字が再び変わり、彼らとの共同生活が始まりました。
つまり、大好きな祖母との暮らしに終わりを告げました。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
私にとってすごく大きな変化だったので、どうしてもしっかり記しておきたくて、非常に長くなってしまいました。
疲れてしまったと思います。ゆっくり休んでください。
ではまた。