「先回りすんなよ」を言いたい
オードリー若林正恭さんの、
「先回りすんなよ、後続のくせに」
という文句が好きだ。
自己啓発本などを読んでいて、
よく「先回りされた」と思うことがある。
何となく自分で感じて、手探りで実践していたことがあったのに、それの答えを、誰かに急に明快に出されてしまった時。
そんな時に思うのである。
それは、自分こそが「後続だった」と気づいた悔しさだ。
自分が見つけたと思って手探りで進んでいた森が、あるところで急に拓けて、そこはオートキャンプ場になっていて、たくさんの人がいた。とっくに誰かが見つけて、馴らされていたフィールドだった。
そんな感覚である。
だから、僕の「先回りすんなよ」は、負け惜しみのようなもので、ただの、トップランナーへの嫉妬である。
自分が見つけたことを説明している途中で他人に気づかれて泥棒される、という、見つけた側のそれではない。
いつか、若林さん側からの、
新しいものを発見した側からの、
「先回りすんなよ」
が言いたい。