人生 箇条書き

お父さんと不倫相手のお母さんの間に生まれて、何度も何度も「生まれなきゃ良かった」って言い聞かされて虐待と極度の貧困に苦しんで家でのご飯は3日に2回くらい、お風呂も数日に1回で水とガスが止まった日には銭湯に通って、時々子ども食堂に行きながら給食だけで食い繋いでフードバンクの期限スレスレの食事で凌いでいた日々だった。
どうしても耐えられない日は脱臭炭を舐めて塩分を取って、段ボールを噛んで空腹を誤魔化した。

お金が無くて中学では教材もリコーダーも水着も買えなくてほとんどの授業に参加できなくて、クラスメイトに教科書を借りてばかりいたらいじめの対象になってしまった。
靴も無くなってトイレに行けば水をかけられ、下校時に下駄箱を開けば画鋲が沢山入っていて、登校すれば机に落書きがあって、その時はもう栄養失調かストレスで沢山髪の毛がぬけて頭頂部はハゲていたし体重も身長151センチに対して26-32キロだった。

家に帰れば、統合失調症のお母さんの幻聴とヒステリックで罵詈雑言と暴力を浴びせられて
耐えられなくなって自傷していた。

高校生になって、夜間の高校に通って日中働けるようになったから15の頃から、朝から夕方の学校が始まるまでバイトをした。

入学してすぐ、ひどいお腹の痛みで立てなくなったので救急車を呼ぶことになった。
卵巣に腫瘍があって血の流れが止まっていたから、当日中に手術になった。

メイクを覚えて、りきゅうと出会って箱根に通った。
やっぱりお金は足りなくて、お母さんの借金を返す為に17から水商売をして、お酒で身体を壊しながらりきゅうと同棲していたから家事も頑張った。

昼に起きて課題をして家事をして、学校に行ってからガールズバーに出勤をして朝方帰ってりきゅうの朝ごはんを作ってから寝た。
いつも耳が聞こえなかった。

辛くなって実家のベランダから飛び降りようとしたけれど、お母さんが警察を呼んで引き留めた。
気が動転して手首を思いっきりカッターで切って、そこから意識は無かったけど気づいたら病院のベッドだった。
警察署に行って、精神科にも行って、閉鎖病棟に連れていかれた。
みんな頭がおかしかった。
私もきっとそうだった。
耐えられなくて、1ヶ月もしないうちに出してもらった。

もうすぐ18になる頃にレイプされた。
池袋で、りきゅうとバイバイした後、歩いていたらお花屋さんの前で腕を引かれてカラオケに連れていかれた。道中抵抗はしたけれど、男は180センチ前後の筋肉質な大柄な奴で、私の抵抗ではびくともしなかった。
鎖骨の辺りと顔を強く殴られた。
カラオケで生まれて初めての中出しをされた。
トイレに逃げ込んで、LINEで親友に助けを求めた。その時も男はドアの前まで来ていた。
やっとの思いで逃げ出して駅まで戻ったら警察が私を迎えに来てくれて、パトカーで警察病院に行って検査をされて緊急避妊薬を飲まされて、その後警察署に行った。
現場での状況を再現する為に、男の警察官と何度も嫌な体勢をさせられた。

もう本当に耐えられなくて、病院で貰った睡眠薬を全て一気に飲み干した。
ほんの一晩だけ全てが無くなって自由になれた気がした。

りきゅうとの同棲にも慣れて、耳が聞こえないことにも慣れて、私はガールズバーのNo.3になった。あと4ヶ月くらいで卒業だった。

進路が何も思い浮かばなくて、そういえば国際興業バスの叔父がお母さんに「なんでらびえんぬを生んだんだ」と怒鳴っていたのを思い出して、同じようにバスの運転手になったら認めてもらえるだろうかと、たまたま就職フェアで話をした神奈中バスの養成運転士に応募した。

健康診断で、念の為に発達障害があること、その為に服用している薬の種類を記入した。
営業所に配属されてから改めてその事について話してみたら、本社で面談になった。
本社での面談で、私には養成運転士は難しいことを告げられ、自己都合での退職となった。


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