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遺産相続

人生において、他人の遺産が転がり込む事など、漫画かコメディー映画でしかありえないと思っていた。
いや、正確に言えばそんな事は考えた事も無かったのだが・・・

家庭の事情により(noteの初投稿の記事にも書きましたが)、15歳で否が応にも働かざるを得ない状況に追い込まれ、お世話になった縫製店。
そこは今思うと建物の造りが非常に複雑だった。
一見したところ2階建ての大きな一軒家といった外観で、主要な玄関が4つあり、一つは我が縫製店。
その隣には小さなドアがあり、開けると直ぐに2階へと続く階段があり、上がり切った先には麻雀荘があった。
更にその隣は焼肉店で、麻雀荘の経営者がどちらも営んでいた。
この3店舗が実は2階で全て繋がっており、共同トイレに共同流しの古い造りではあったが、そんな造りも当時は珍しくはなかったと思う。
2階で作業をしていたお針子達が、いつもその共同スペースを掃除していた。
そして、建物の裏手にひっそりと4つ目のドアがあり、そこには建物の所有者であった「大家」の楠さんという年配女性が住んでいた。
楠さんの居住スペースは1階のフロアのみで、洗面所が縫製店との共有という、これまたなんとも複雑極まりなかった。
ある時鍵を忘れて出勤した私は、慌てて大家の楠さんのところへ駆け込んだが、大家宅と縫製店を繋ぐ唯一のドアは店主が来なければ鍵が開かないのだということだった。
焼肉店からならば2階の共有部分へは入ることが出来ると聞かされた私は、止む無く焼き肉店へ。
大旦那さんに入らせてもらったは良いが、二階で迷子になっているうちに見知らぬ暗い部屋に迷い込み、何かに躓いて転んでしまった。
焼肉店の若旦那が床に転がって大いびきをかいていたのだ。
突然入り込んで蹴とばしてしまったことを深く詫び、自分の仕事場へ到着するのに10分は掛った。
そこでかくれんぼなどしようものなら、一生身を隠していられそうだと思ったものだ。

独り身の楠さんはその当時70代前半。小柄で色白、若かりし頃はさぞかし美しい女性であっただろうと思わせる容姿だった。
真っ白い髪をいつも柔らかなスカーフで覆い、清潔感のある品の良いご婦人だった。
酷いリウマチを患っていた楠さんは、その変形した手先の為に生活上様々な困難を抱えていた。
だが、若干15歳という年齢の「小間使い」の登場により、楠さんの生活が大きく変わったのだ。
彼女は毎日のように縫製店に顔を出し、ビタちゃん、ビタちゃんと私を呼び、それまで年配のお針子達には頼み辛かったであろう用事を言いつけた。
やれ病院に付き添えだの、やれ部屋の家具を移動してほしいだの、やれ買い物に行けだの、挙句の果てには大根をおろせと、大根とおろし器を差し出して来た。
そうして細細と手伝う私へのご褒美は、菓子や飴といった、仏壇から下ろしたお供物だった。
それも、個包装の内部まで線香の匂いがどっぷりと染み込んだ、若い身としては滅多に味わう事の出来ぬ珠玉の一品。
私の雇い主であった縫製店の店主は、最初は私を大家の為に提供していたが、時には「図々しい」と怒っていた。
「ビタちゃんは私が雇って、私がお給金を払っているんですよ!楠さんはどういうつもりでビタちゃんを使うのかしら?」と、小間使い争奪合戦になるほど私の人気は高かったようだ。
この楠さんは数々の武勇伝を持つ人だった。
長年ボランティア等をして社会貢献をした結果、ナントカ勲章を国から頂いたと、何度も何度も自慢げに語り、艶やかな色のリボンのついた、煌めく勲章を私に見せてくれたりもした。
美しかった若い時分にはモデルの真似事をしたものだとか、何よりも驚かされたのは、単に独り身だと思っていた彼女には長年慕っていた男性がおり、楠さんは2号さんだったという事であった。
その妻子が夫を返せと乗り込んで来た時には、身なりも振る舞いも美しくないオマエが何を言う?と、本妻を追い返してやったのだと、華々しい(?)伝説をご自身自らが語り、15歳の私に、めくるめく大人の諸事情を話して聞かせた。
楠さんの身の回りのお世話の為にお邪魔した時などは、「これ、私の大事なオトウサン」と言い、本妻から奪い取ったという、例の方の写真を見せられた。
いつも私に与えてくれる、実に線香くさい仏菓子は、そのオトウサンのためのお供物だったようだ。
楠さんが体を悪くして入院した時などは、毎日のように用事を言いつけられたが、その指示の細かさに驚かされた。
楠さんはいつも便せん一枚を使いびっしりと書き込むのだ。
「先ず、縫製店の共用ドアから入り・・・」と、入り方を指示、「途中右手に見えるドアは開かないので無視してください」と、これまた、何度もお邪魔した事のある私がとっくに知っている情報を与える始末。
最終的に「寝室の箪笥の上から2段目にタオル類が入っているから1枚持ってこい」というフレーズに行きつくまでに延々と要らぬ情報を書き込むのだ。
なんと、そんな楠さんとの付き合いはその後15年間、15歳だった私が30歳に至るまで続いた。
その間私は結婚、出産などでブランクはあったが、楠さんは私の子供達にまで年賀状をくれる心の優しい人だった。
結婚後も同じ縫製店でずっと「小間使い」に徹した私は、身寄りのなかった楠さんの最期を看取ることになった。
私が30歳になったある日の事、楠さんは肺炎を患って入院した。
それからは急激に弱り、起き上がることが出来なくなると、「オトウサン」の仏壇が待つ家に帰りたいとこぼすようになった。
ある日楠さんの顔を見に伺うと、「ビタちゃん、今日は黒い蝶が沢山部屋にいるのよ。嫌でしょう?私も嫌なんだけど、何度追い払っても入って来ちゃう」と、呼吸が苦しかったのだろう、息も絶え絶えに言った。
私はそれを聞き、涙が溢れた。
黒い蝶など部屋のどこにもいないのだから。
そうして80歳半ばで華麗な生涯を終えた楠さんであったが、身寄りがいなかったと思われた彼女に、たった一人だけ遠縁の親戚という女性がいた事が判明した。
義理の姪と名乗る、楠さんとほぼ同じ年齢の女性が楠さん所有の不動産などの整理にやってきた。
そこで彼女が発見したものは、「遺言状」であった。
遺言状の枚数は、なんと便せんに40枚以上。
自分自身の葬儀の段取りに始まり、葬儀の際に読み上げて欲しかったのだろう、自身の生涯における輝かしい功績を綴ったプロフィール文が、やはり長々としたためられていたが、その紹介部分だけでも20枚もあったという。
それはそうだろう、タオルを持って来いと指示するだけで便せんにびっしりと書き込む人だったのだ。
その生涯を書き記すのに、たったの20枚で収めたというのはむしろ快挙ではないかと思った。
勲章を頂いた経緯などを葬儀の際に紹介してくれとあったようだが、気の毒ではあったが、あまりに長いプロフィールは葬儀で読まれることは無かった。
その中に「ビタちゃんへ」と、私に関する記述があると言うではないか。
「ビタちゃんにはお世話になった。心からお礼をしたい」と、やはり2枚ほど使われていると言うのだ。
遺言状に記された「お礼」と聞き、真っ先に思い浮かんだことは「遺産分け」であった。
これには私の雇い主も大興奮。「びたちゃん!良かったわね!」と大はしゃぎ。
私は「そんな、とんでもない。そんなつもりでは・・・」と謙虚を装うも、内心は「やった!報われた!」という思いでいっぱいになってしまった。
「楠が書いてあった通りに、ご用意させて頂きました」と言い、高齢の義理の姪は私に30センチ四方程の、平たい箱を手渡した。
それは御丁寧に綺麗な柄の風呂敷に包まれていた。
「いえいえ、頂けません!」
更に遠慮をするも、「それは困ります、楠の遺言ですから!」と姪が食い下がる。
「ビタちゃん、ここは頂いておきましょう」
私、義理の姪、縫製店の店主の3人で、2対一の対決となり、私は言われるがまま箱を受け取ることに。
(お、おや・・・軽い・・・)
受け取った瞬間に私の心がざわめく、なんだろうこれは?現金かな?
もしくは、小切手と形見の品?
はっ!ま、まさかあの自慢の勲章を私に授与する気では?
楠さんに対するあれやこれやの功績を称えたいという事だろうか?
私の思いは勝手に物凄い方向へと突き進む。
義理の姪がいなくなると、すかさず雇い主は私を急かした。
「ビタちゃん、開けてごらんなさい!」
これまでに楠さんの為に費やした時間を考えると、何かを受け取るのは当然と言わんばかりに、店主は鼻息を荒くしていた。
店主の勢いに押される形で、私は厳かに風呂敷包みを開けた。
なにやら包装紙に丁寧に包まれている。
さらにそれを取り外すと、「不二家」と書かれた箱が現れた。
「ふじや?・・・」私の雇い主が、私よりも先に奇妙な声を出した。
それに答えるように、箱の中央に君臨する不二家の可愛らしいマークがキラリと光る。
開けてみると、ごく普通に不二家の菓子セットであった。
その瞬間の、私と店主の間に流れた奇妙な間を私は忘れる事ができない。
「・・・・・・ああ・・・ええと・・・良かったわね、びたちゃん!」
「え?、あ、はい・・・」
人間とはなんと浅ましく卑しい動物か!遠慮しながらも何を期待していたのだコイツめ!と自らを罰したい気分に陥った。
「ビタちゃんには不二家で何千円の菓子を買い、何色の風呂敷に包み、いつ渡せ」と、延々と書かれていたに違いない。
なんとも楠さんらしいではないか。
ご褒美が飴から箱菓子へとグレードアップし、さらにそれはお線香の匂いが染みついていないのだ。なんと素晴らしい事であろうか。
楠さんの遺言に書かれてあった通りだと言って、義理の姪が添えてくれた手紙には、私の子供達の名前が書かれてあった。
「〇ちゃん、〇君、お母さんの言う事を良く聞いて、勲章を頂くような立派な人になってください」
どうやら、楠さんが私の子供達へ残したかったであろう長々とした「言いつけ」は、義理の姪によって短く簡潔に纏められてしまったらしい。












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