蟻んこの魔法
小学6年生の時だったと思う。
同じクラスの西本君、木戸君、美紀子、私、悪ガキ4人組が放課後の教室で顔を突き合わせ、次なる計画を立てていた。
「何して遊ぶ?」
「この前テレビでどこかの原住民が蟻んこ食べてるの見たんだ」
「うわっ」
「ほんと?」
こんな会話だったと記憶しているが、「蟻」の話題を持ち出したのは果たして誰であったか定かではない。
気が付くと全員が普段は人気のない神社の境内に集合していた。
足元にはうじゃうじゃと巨大な蟻が蠢いている。そして各々の手にはビニール袋。
皆の目的はただ一つ、原住民になって蟻んこを食べる事だ。
それ!と一斉に蟻を袋に入れ始めた。
境内にはじゃりじゃりと地面を踏む子供達の足音が響き、それに負けじとミーンミーンと蝉がにぎやかに羽音を立てていた。
みんな玉の汗をかいて夢中で蟻をかき集めた。
それを持って次の場所へと移動。行った先は西本家。
台所の窓から差し込む西日を浴びながら、西本君がフライパンを持って立っていた姿が蘇る。
けれど不思議な事に、その後の記憶が完全に消えている。
皆「原住民」になりきって、捕まえてきた蟻をフライパンで炒めたのか、それを口にしたのか、そしてその味がどうであったのか、一切の記憶が欠けている。
あまりのおぞましさに記憶が勝手に抜けたのか、不思議な事にその部分だけが欠けているのだ。
しかしその後皆でかくれんぼをしている記憶は明確にある。
西本家の二階、一度目は私が鬼だった。
勝手の分からぬ他人の家で、どこかに手を触れる事さえ憚られる窮屈なかくれんぼ。
2度目は木戸君が鬼だった。
美紀子と一緒にカーテンの後ろに隠れた時だ、「さっき木戸と一緒に押し入れに隠れてキスしちゃった」と、美紀子が囁くように言った。
キス・・・キスってなんだ?その時初めて知った、子供の世界には無かった怪しいムード。
「木戸なんて気持ち悪い!西本君だったら良かったのに!」美紀子が続けるも、私の中では先ほどの二人の叫び声がこだましていた。
数分前に鬼であった私が二階の1室の押し入れの戸を開けた際、二人が並んで座っており、彼らは私の顔を見て「ぎゃっ」と同時に声を上げた。
あの叫び声は単に鬼に見つけられたという無念の声ではなかったことを知り、「大人」のような美紀子の口ぶりに私は一人赤面した。
それから中学に入り、この仲間たちの誰とも同じクラスにはならなかった。
その頃から私の家庭環境が徐々におかしくなっていき、私は皆が青春を存分に謳歌していた15歳の時に慌ただしく社会人となり給与を得るという「大人の世界」に飛び込んだ。
それからは本当に大人になるのが早かった。
初めての恋愛で付き合った男性と結婚するも、それすら早々に破綻してしまった。
30代で離婚をした私は偶然見つけた曰く付きの一軒家に子供達を連れて引っ越しをした。
お隣りへご挨拶に行くと、なんと応対に出てきたのは木戸君だった。
「あれ?!木戸君?」
「あ!ヤマグチさん?!」と、二人で互いに指を差し、懐かしがった。
だが、木戸君が普通の状態ではないことを彼の外見が示していた。
ガリガリにやせ細り、顔には生気が感じられない。訪ねた時間帯から考えて、働いている様子もないようだ。
「俺、こんな状態だからさ。親に悪くてさ」
それ以後も、ゴミ捨てや庭先の掃除などで出会う度に彼が口にする言葉は全てネガティブだった。
彼の両親はどちらも優しい人柄で、その地域では新人の私になにかと良くしてくれた。
私はそのお返しにと、山菜などを採ってくるたびに彼の家を訪ね、彼の両親にそれを強引にお裾分けした。
そんなある日彼の母親が突然私を訪ねてきた。
何事かと思っていると、「ヤマグチさん、うちの子と結婚してもらえないだろうか?」と驚く様な事を言いだした。
表情は至って真面目で、決してふざけているようには見えない。
「おかあさん、申し訳ないけど、木戸君本人がそう思っている訳じゃないでしょう?」
私がそういうも、母親はすがるように私を見て「息子をこのままにして私は死ねないの」と懇願する。
「私は子供が3人もいて、こんな状態で木戸家に入るなんて絶対にご迷惑でしょうから」と丁重にお断りをした。
息子を案ずる母心、二人の息子を持つ私にも痛い程分かる。しかしこればかりは本人がそう望まない限りどうにも発展しない。
それからほどなくして、彼の病気がもっと酷くなった。
骨と皮のようにやつれた彼を訪ねると、「もういつ死んでも良い」と言う。
「ねえ、昔よく一緒に遊んだよね?覚えてる?」と私が聞くと、「うん覚えてる」と言う。
「美紀ちゃんや西本君と一緒に、4人で神社に行って蟻んこを捕まえたよね?」
次の私の質問に、木戸君が考え込んだ。
「蟻?」
「そう、ものすごく大きくて、小指の先程も大きい黒い蟻をいっぱい捕まえて西本君ちに行ったの」
「・・・?覚えてないな・・・」
「やっぱり覚えてない?!」
私の目がきらりと輝いた。
彼も覚えていないことになぜか妙に安心した。
「西本君の家で、私達多分蟻ん子を炒めて食べたと思うんだけど、その記憶が一切ないの」
私の言葉に木戸君が吹き出した。
「だって、おかしいと思わない?西本君はフライパンを持ってたんだよ、なのに炒めたのかどうか、食べたのか食べて無いのかもわからないなんて」
「きっと蟻に毒があったんだな。蟻の魔法だよ」
そう言って木戸君が笑った。
「もしかして全部私だけの妄想だったのかな?」
「どうかな、俺は記憶がない」
「でも、西本君ちでかくれんぼはしたよ」
私の言葉に「あ」と木戸君が小さく反応した。
「覚えてる?」
「覚えてる・・・」
私は「木戸君、美紀ちゃんとキスしたでしょ?」と聞こうとしたが、敢えてそれを口にはしなかった。
「あの頃楽しかったね。何をしても面白くて夢中になれたし・・・」
「うん、そうだな・・・」
「生きていればまた楽しい事もあるよ」
「楽しい事って、どんなことだろう?」
適当な励ましだと思ったのだろうか、木戸君が私に聞き返した。
「一緒に蟻んこ炒め作るとかさ」
私が言った言葉に木戸君が笑った。
笑っているだけで良いよ、一瞬でも幸せならそれでいいじゃない?そう思った。
完璧な人生なんてないんだからさ。