赦しの部屋の記憶〜人生のギフトを探す旅・12
小さな頃は
父方が
カトリック教徒だった影響もあって
日曜日の朝は
教会へミサに出かけていた。
教会に入ったら
赤い絨毯の
バージンロードの先に
イエス・キリスト様の
処刑時の像が大きく
飾られてあった。
幼い私は、どうして
手や足を釘で十字架に打ちつけられ
血を流すイエス・キリスト像を
礼拝するのか
意味はわかっていなかったが、
その場所に行くと
自分でもよくわからないけれど
とても厳粛な気持ちになった。
今の私が思うに
神様を処刑したのは人間だから
その罪を忘れないため・・・
そして、そんな人間のために
自分の命を捧げたキリストを祀るため
なのかな。
人間は罪深きもの。
けれど、神様はそんな人間でさえ
許してくれる。
そんな考えが如実に現れているのが
告解室(こっかいしつ)という場所。
告解室とは、教会にある
小さな部屋のことで
神父様がいつもわたしたちの話を聞いてくれた。
自分の中で
「悪いことをしたなぁ」
「いけなかったなぁ。」
と思うことを話せばいいんだよと教えられた
幼かった私は、
友だちと喧嘩してしまったことや
忘れ物をしてしまったことや
そんな小さな自分のミスを
話していたような気がする。
もう、内容までは覚えてないけれど
その告解室に入って
そこで神父様に自分の罪を話すと、
神様の赦し(ゆるし)が得られる場所・・・。
幼い私は、
その部屋の静寂さと
神父様と2人きりの空間とに
とてもドキドキしたものだ。
でも、自分の思いの丈を話して
赦されるということは
なんとも言えない解放感をもたらした。
告解室では
どんな秘密も悪事も許されるなんて・・
そんなことがあるなんて幼いながらに
疑問もあった。
大人はどんなことを話すのだろう。
あの人は、どんな罪を許してもらうのだろう。
そんなことが気になる
秘密めいたその部屋は
私の記憶に今でも
鮮明に焼き付いている。
大人になった今の私は
告解室で話したいことがいっぱいあるな(笑)。
自分に対して今もある
「無価値観」や「無意味感」
そんなことを
誰かに話したら楽になれるのかな。
神父さんは、いつも
何も言わず
話を聞いてくれたっけな。
そして、最後に
「神の赦しが訪れますように」と
いつも一緒に祈ってくれた。
まるでカウンセラーの仕事だな。
ここにもギフトがあったんだ。
私たちはどんな時も
赦されている。
「父と子と精霊のみなによりて、アーメン」
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