自分の人生に隠されたギフトを探す旅に出る。〜21日チャレンジ
家族の思い出って言ったら、きっと人それぞれだと思うけど
私にとっての家族の思い出は、4人で居たことを思い出すのも難しくって
40歳になった今でも私は、それに振り回されて揺り戻される。
パートナーとの喧嘩はたいていうちの家族のことで
つい、昨日もそれで喧嘩になりました;
もうそれが日常茶飯事になっているけど、
そんな私が家族の思い出を語るとしたら
なんなんだろうって・・・ちょっと興味が湧いた。
家族について覚えていることをただつらつらと書いてみたい。
お父さんとお母さんは、デフォルトで仲が悪かった。
もう私が物心つく頃には、しっかり仲が悪くて、
本当に些細なことで喧嘩ばかりしていた。
ただの口喧嘩ならまだしも、
時々ちゃぶ台(こたつテーブル)がひっくり返るような
そんな激しい喧嘩もあった。
今でも覚えている最大のちゃぶ台返しの後
お母さんは、荷物をまとめて、家を出て行こうとした。
私は、泣きながらお母さんに
「行かないで」「置いていかないで」
とすがった記憶が蘇る。
お父さんはいつも冗談ばかりで人を笑わせて
野球仲間やトラック仲間が多かった。
トラックと言っても佐川急便のようなやつじゃなくて、
昔あった映画に出てくるような
ピカピカと電飾や絵が描かれて、無線で繋がっている
「トラック野郎」という言葉がぴったりの大きなトラック。
そのトラックに乗っているお父さんはカッコよかった。
でも、私はそんなお父さんが好きで嫌いだった。
私の姉は3つ上でクリスマスの日に生まれた。
私のお父さんの家系は、キリスト教徒のカトリック宗派だったので、
クリスマス=キリストの誕生日と同じ日に生まれた姉は
お父さんにとって特別の存在だったかもしれない。
そして、
お姉ちゃんにとってもお父さんは憧れの特別な存在だった。
お姉ちゃんは、お父さんの血を見事に引き継いで
若い頃からやんちゃで、不良グループの総番長として、
みんなに支持されていた。
なんで支持されていたかというと、
本人曰く、
「絶対に人をいじめなかったから」
「いじめられている子を助けていたから」
だそうだ。
今になってわかる
それが彼女なりの正義で
「正義感まんさい」な不良番長だったようだ。
お姉ちゃんがお父さんに憧れていたことがわかることに
女性で10tダンプを乗り回し、ダンプ業界で起業した。
そして、昼夜かまわず仕事して、とても男前な生き方をしてきた。
それは、お姉ちゃんがお父さんのことを
かっこいいと思っていたからに他ならないような気がする。
去年、ダンプ乗りからからトレーラー乗りに転向したけど、
そういう生き方をきっとカッコイイと思っている。
姉は姉でお父さんの影響を大きく受けているんだな。
私は・・・というと、
お父さんは好きだったけど、苦手だった。
自分はお父さんのように面白いことも言えないし、
お母さんを泣かせるお父さんが嫌いだった。
きっと、お母さんと私は似ていて
お母さんの方が好きだったんだ。
家族の思い出・・・
やっぱり4人で楽しく過ごした記憶はない。
だけど、
数少ない記憶の中から
自分の生い立ちに隠されたギフトを
見つけていきたくて思い出す。
暗く閉ざしてある記憶に
深く深く潜って行きたいと思う。
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