ロックバンドとは何かが分かった日
ロックバンドとは何か。
僕はあの日、人によって定義が違うこの問いの”自分なりの”答えを聴けた気がする。
10月9日(水)ハンブレッダーズの武道館公演『放課後Bタイム』にて、Vo.&Gt.ムツムロ アキラのMCでの一幕。
ロックバンドって、なんなんでしょうか?
俺はベース、ドラム、ギターをやってその体制のことをロックバンドというんじゃないんだと思います。奇抜な見た目をして破天荒な物言いをするのってそれがロックだって言われたら、俺は全然違うと思います。
ロックバンドっていうのは”声を出せない人の声を代弁すること”、”声なき声の人の声を代弁する”っていうのが、俺はロックバンドの資格だと思います。
このMCは痺れた。
ああ、だから自分はロックバンドが好きで、こういう定義を掲げている彼らが歌うからハンブレッダーズの曲が好きなんだと凄い腑に落ちた瞬間だった。
ロックバンドが響かせるあのギターやドラムのリフ、あのフレーズを聴くと体の内側から湧き出るエネルギー、暴れたい・叫びたくなるような気持ちは決して間違いなんかじゃなくて、自分の”本能”なんだと言われている気がした。
どこか素直になれない自分がいて、周りのバカをやっている奴らとは一緒にされたくなかったひとりの登下校。
あの曲を聴いているときだけが、不信感や寂しさを紛らわしてくれて、肯定してくれた。
これといった不満はないけれど、なんだかテンションが上がらないルーティーン化されている憂鬱な日々。
好きなバンドが新曲をリリースしただけで毎日頑張れた。ライブに行く費用を貯めようと面倒なバイトを頑張れた。
君以外の女子なんてみんな同じに見えるほど、夢の中でもドギマギするほど愛していても見向きもしてくれない現実。
あの曲を聴くとそんな自分もひっくるめて愛おしくなり、このもどかしい気持ちから解放してくれた。
そもそも音楽って所詮娯楽でしかないし、生活に絶対的に必要なものではない。なくても生きていけるし、困ることはない。
けれど、生活というか人生を圧倒的に豊かにするものだと思っている。
そういう意味ではなくてはならない存在だし、僕自身何度救われたことか。
楽しいことがあったなら、それをさらに助長させることができる。
落ち込むことがあったなら、気分を上げてくれる。
悲しいことがあったなら、感傷に浸らせてくれる。
同じ境遇同士を時代、世代、国境関係なく繋げてくれる。
あの頃に戻してくれる。道を示してくれる。寄り添ってくれる。
その中でも特に「ロック」というジャンルはメッセージ性が強い気がしていて、結局このロックが持つ力を一言で言うとムツムロさんがMCで放った”(聞き手の)代弁”というのに繋がってくるような気がする。
誰かに打ち明けたりするほどの大したことがない悩みも、誰にも言い出せず自分の中で押し殺している悩みも誰しもが絶対にある訳で、どんな些細なことでも本人にとっては真剣。
言語化をする能力もないし、共感されないだろうし、人によっては自慢と思われるかもしれないし、心配をかけるかもしれないし。
だから人は音楽(ロック)に逃げるんだと思う。
ロックを聴くことで悩みが完全に解決される訳ではない。しかし、これほどまでにロックというジャンルが多くの人たちの間で長く聞かれているのは、ロックバンドが僕らの代弁者に思えたからではないだろうか。
勇気づけてくれて、励ましてくれて、全部まとめて愛してくれる。イヤホンから聴こえてくるこの曲を聴くと悩みもマシになる。
マシでいいんだ。
けれど近年、世界的に見ると”ロック”という音楽ジャンルはDTMの進歩や他ジャンルの台頭により全盛期に比べて大きく衰退しているのが現実。
しかし、今回掲げた定義でいうと”ロック”というのは、社会に対しての反抗だったり、誰かを愛おしく思う気持ちを歌っている曲も当てはまる訳で、そういう意味で言うとラップやEDM、演歌といった音楽ジャンルも大きく分けたときにロックに属するのかもしれない。
今後も時代の流れとともにロックというジャンルは形を変えて後世に受け継がれていくのかもしれないが、「存在や意思を世界に訴えたい気持ち」や「自己表現したい気持ち」は時代に関わらず誰もが絶対に持っていて、そこの根底部分は時代がいくら過ぎようとも一生変わらないと思う。それはバンドを見てカッコいいと思う気持ちも。
だからロックバンドは途絶えない。ロックは終わらない。
ロックの文化が途絶えた時こそ、時代が音楽に助けを求めなくなったことを意味していると思う。
昔ながらのロックを愛している人や見てきた人は否定するのかもしれないけれども、僕はロックの定義をこう考えた。
人によって信じる定義や意味合いが変わるロックって本当に奥が深い。