映画「14歳の栞」を見て当時の自分と重ねる
2021年3月5日に公開された映画で、今年で3度目の再上映となる今作。
毎年この時期になると再上映され、今年も欠かさず見に行ってきた。
この映画を見ると毎回1週間ほどは虚無感や喪失感に近い余韻が続く。それほどまでにこの映画の破壊力は凄まじい。
この映画の何にそれほどまでに惹かれるのかを、初めてのnoteで言語化してみようと思う。
そもそもこの映画はとある中学校の3学期、2年6組35人に50日間密着したドキュメンタリー映画で、出てくる登場人物は皆実際に実在する人物たち。そのため、映画の冒頭と終わり、そして映画館で配られる便りにも「SNSを通してのプライバシーを侵害する発言や誹謗中傷は控えてください。」との徹底ぶり。
ほぼ同じ尺で生徒35人分のインタビューと学校での様子が続くだけの120分。そこにはアニメやドラマのような特殊能力を持った天才や異世界から転生してきた神童はいない。どこのクラスにでもいるような「いつもうるさいムードメーカー」的な子や「ちょっかいばっかりかけるガキ大将」っぽい子から「いつも教室の隅にいる無口な子」まで、中学2年生の等身大の姿が映しだされる。
表面上は。
仲がいい友達も少し苦手なあいつも何を考えているのか分からない子も知っている顔はクラスにいるときだけ。登下校のときの、部活動のときの。
けど、何も知らなかったのかもしれない。
いつも明るい子はわざとピエロを演じていたり、内向的に見える子も自分を変えたいと思っていたり、いつも笑顔な子は自分を押し殺して生活をしていたり、見えない・見せない顔が生徒1人1人のインタビューを通して見えてくるところにこの映画のおもしろさはあると思う。
35人全員がそれぞれ人間関係や将来の不安といった悩みを抱えていて、正解かも分からない自分なりの答えを導きながら”学校”といった同じ空間に存在していた。その悩みに大小の差はなくて、決して中学2年生だからといって子供っぽい悩みでもない。今の自分と同じような悩みを抱えて生きていた。
今年で22歳になり、14歳の頃からしたら大人になった気がしているけれど、気がしているだけで、まだまだ悩んでも明確な答えが出ないことばっか。「大人になれば分かる」なんて嘘なんだよね。
「いいよなー、お前は気楽で。」
「お前ってなにも考えてなさそうだもんな。」
なんて言葉は存在しなくて、みんな何かに悩んで、考え抜いて生きていた。
楽観的に見える人は隠すのが上手いだけ。
映画を見ていくなかで、自分が14歳だったころと重ねる。
今までは苦い思い出として閉まっていたアルバムもこの映画を通して少しは見返せるようになった。
あいつのあれ嫌いだったけれど、こういう考えがあったのかな。とか
今思えばあの時あの子歩み寄ろうとしてくれていたかも。とか
もっと斜に構えていないで、純粋に楽しんだらよかったな。とか
ほんとに思う。毎年見るたびに当時を振り返っては思いを馳せる。
この映画はプライバシーの観点からサブスク化や円盤化できない作品だと思うから、映画館での上映しか難しいと思うけれど、全国の中学高校の道徳の時間で流してほしい。観終わった後、ちょっと周りを見る目が変わって人にやさしくなれると思う。
大きな大どんでん返しもなく、感動のフィナーレもない。登場人物は見ず知らずの中学生。なのに誰もが共感して、懐かしさを感じる。そして当時の自分と重ねてみる。その人の通ってきた人生で感想が変わってくる映画だと思う。
昼休憩いつも机に突っ伏して寝ていたあの子がこの映画を見たら、なんて言っていたかな。
誰かと語り合いたくなる映画ほどいい映画だと思う。
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