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ギャンブルに溺れてクズと化すのではない。君がクズだからギャンブルに溺れるのだ。

▫️世間からギャンブラーが疎まれる理由のひとつが、これだ▫️

私、毎日チャリで出勤してるんですよ。

片道30分くらいかけてひたすらバイパスを真っ直ぐ進むんですけど、途中にいくつもパチ屋があるんですよね。中にはパチンコ・パチスロ合わせて1,000台以上設置されてる大きめの店もあります。デカいから嫌でも目につくんですよね。

このルートで出勤しだしてもうすぐ2年になるんですけどね、これまで2回くらい、このデカい店の前で事故りかけてます。
私が店の駐車場前を自転車で通る時間が抽選の締め切り時間とかぶるらしいんですね。で、よっぽど焦っているのか左後方見ずに左折してくる、ものすごい速さで駐車場に入ってくる車に巻き込まれそうになりました。
流石に2回目でこちらも悟って、以降はこの駐車場を横切る際は徐行するようにしてるので危なっかしい目には遭ってません。こちらが徐行してるから無事なわけで、そうじゃなければワンチャン事故ってるんですけどね。

新しくパチ屋が建設される土地で周辺住民の方が反発するのは、一部の客らのこういった素行が理由かもしれないですね。抽選を受けるという、打たない人間から見たら「たったそれだけの理由」のために盲目的になって駐車場に凸する、その危うさ。それは健常者からはとても理解できないもの。

ただ私、怒りが湧くとかはなくて、むしろ「急いでるんだから仕方ないよね」感があるんですよ。多分、私自身が元スロッカスだから。


▫️仕事を中抜けしてパチスロを打ちまくった過去▫️

前の記事でも触れた通り20代後半はすこぶるギャンブル三昧の日々でした。

休みの日に1人で、もしくは同僚と朝から並ぶのはもちろん、会社終わりはほぼ毎日ハーデス・ピエロの顔を拝みに行く毎日でした。

そのうち借金してまでやり始めるんですよね。まだ若いし大丈夫とか自分に暗示かけながら。もちろんそれはなんの得にもならんから同僚には黙ってました。

もともとピエロ(ジャグラー)は学生時代からちょくちょく打ってたんですが、同僚から「やばい機種がある」と言われて軽い気持ちでハーデスに手を出しました。ものの1時間で2万円を吸う鬼畜台です。でも1回の当たりで万枚(20万円)も夢ではない。当時は休みのたびに5−20万円が財布から移動していました。

今でこそ「変な時間の使い方したな」と思う反面、当時は店に入る前の準備含めてパチスロライフをめちゃくちゃ楽しんでました。

朝の抽選前から店近くの喫茶店に同僚と入ってモーニングをしばくあの感覚。台のデータを見つつ今日はここに(高・中設定を)入れるんじゃないかとかダベる時間。どこか「これからやばいことをする」「世間一般の良識とはかけ離れたことをする」と、うっすらと感じていた背徳感と緊張感。それを感じながら食べるジャムトースト。それは甘美な味でした。

当時連れ立っていた同僚は1人ではなく複数いました。

みんな職場(コールセンター)で同じ職位で、仕事終わりにはよく4人で店に行ってました。ほぼ毎日閉店まで打ち続けました。ギャンブルで芽生えた団結は強く、結束するのはギャンブルだけに限りません。仕事上で発生した問題(顧客のハードクレーム・スタッフの素行問題)もギャンブラー同士で助け合い(部署を跨いで対処)、もう我々このセンターで無敵なんじゃないかと天狗になっていました。

しかし当時は私含む同僚それぞれがいろんな問題を抱えていました。家庭の問題、仕事の問題、色々抱えていました。例えば親が重めの認知症になった、精神的に滅茶滅茶不安定になった(あげく家庭が崩壊寸前)とか、ひょんなきっかけで性癖が尾鰭つけて職場に流布されたとか、パワハラ上司がついてスタッフの前で恫喝・吊し上げされるんが日常になったとか。

年度初めに会社は経費を削減したがるもので、それまで月に30時間程度だった残業時間を、4月からは8時間に抑えるようお達しが来ました。

私たち4人全員が無茶だと思いました。
だって朝9時と夜8時、絶対にやらなきゃいけない仕事があるのだもの。それはクライアントとの折衝であり、私たちより下のレイヤーに権限を落とすことは許可されていなかったのです。残業絞るんで権限落とさせてくださいと言ったところで許可は降りず、どうしようか考えた結果、1日2−3時間中抜けすることを選びました。
つまり朝9時から夜8時まで働くと2時間15分の残業になるのですが、そのうち昼3時から5時の2時間、職場から離れると15分の残業で済むのですよ。

4人全員で、ということは難しかったのですが、大体2、3人で中抜けしまくりました。
最初は映画館行ったりスーパー銭湯行ったり。その時間もちろん給料は出ません。すごく意識して羽を伸ばしてました。そしてだんだん気づいてきます。「全然休んだ気にならん」と。

中抜け中でも報告書の期限も迫ってるし、どうしてもそっちに意識いくし、提出した後でも「本当にあれでよかったのか」って色々考えるし、夕方の会議で報告する内容まとめな駄目だし、クライアントから不評買ったらパワハラ上司からの吊し上げが怖いし。

全員スーツ着ててどこか仕事モードです。
こう言ったモヤモヤは決して2−3時間で拭えるものではなく、なので映画のセリフも入ってこないし、登場人物に感情移入できない。寝湯に入ってもどこか緊張しているから寝られない。だからモヤモヤを忘れさせてくれる強烈な刺激を求めました。

そう、それはパチスロでした。

大当たり1発で脳汁ブシャー!
ついでに、煩悩もブシャー!

▫️夢の終焉▫️

そんな欲望と快楽(という名の逃避)に塗れた日々はあっけなく終わりを迎えます。

まず、中抜け中にパチスロに興じている様が何者かによって激写され、職場ならまだしも、クライアントにタレ込まれました。繰り返しになりますが職場じゃなくてクライアントに。もうこれは完全に悪意。

その日は3人で横並びでハーデスと対峙していました。バッチリ横顔が激写されてました。幸運にも激写されなかった1人も「お前らそうなら、あいつもそうやろ」的な感じで上司から呼び出されてあっさり自白。4人全員干されました。人生で初めて始末書書きました。当然私たちだけではなくセンター内で中抜けが禁止されました。

夢の途中、思わぬタイミングで冷や水を浴びせられた形でした。が、そもそも4人中、私を含めた3人が借金してまでパチスロに興じていた時点でとっくに破綻していたのですよ。夢のような日々は。

激写事件から2ヶ月後、私が異動することになりました。
そして時を同じくして1人の家庭が壊れました。具体的には奥さんが出ていきました。

私が異動したと言っても近場のセンターに異動とかじゃなく、関西から関東に異動をしました。なので3人とは会えなくなりました。4人の中からまず私が抜けて、次いで奥さんとの関係を修復すべくもう1人が抜けて、残り2人はしばらく打っていたのですが、親の介護で色々あった1人が抜けました。正確に言うと職場からも飛びました。最後の1人は私と一緒にパワハラに耐えていた1人でしたが、こちらは今も熱心に打ち続けています。


▫️夢の残穢▫️

関東に異動して知り合いは0人になりました。休みの日に連れ立って趣味に興じることもありません。1人では行ってたんですけどね。借金を任意整理してからも、しばらくはズルズルと行きました。あと、たまに関西に戻った際はかつてのメンツと興じました。
打つペースも週1、隔週に1回となり、本格的に辞めようと思って、先の記事で書いた通り書店に駆け込んでからは2か月に1回、半年に1回、年に1回と減っていきました。

1年、2年、3年、4年と過ぎ、やがてまた関西に戻る日が来て色々思うことがあり、いっそ転職してしまえと思って転職しました。
関西の田舎に移り住んで、その頃にはもう他の3人とはほとんど連絡をとっておらず、ギャンブルに興じた狂騒の日々を忘れつつあった頃、久しぶりに関東の上司に会いにいきました。そしてかつて4年を過ごした場所、そこの駅前で異様な光景を見ました。

40代中盤くらいのおじさんがギター片手に大きな声で演説をしていました。おそらくその方の母親と思われる方が傍でビラを配っていました。
マイクなしでもはっきり聞こえる大きな声でした。嫌でも耳に入ってきます。こういった内容だったと記憶しています。

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私はかつて大馬鹿でした。
世間を何もわかっておらず、自分の快楽に溺れ、周りには何も与えませんでした。そして母を苦しめ、周りを不幸にしました。本当に大馬鹿でした。馬鹿、馬鹿、大馬鹿で、他人様から石を投げつけられても仕方なかったと思います。そんな私でも…

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何よりも「馬鹿」という単語を強調されていました。そこに怒気をはらんでいました。著しく不快に感じた私は、演奏が始まる前に足早にそこを過ぎました。

まるで博打に興じていた当時の私たちを非難しているような演説とも思えますが、少なくともそれに苛立ちを覚えたわけではありませんでした。その不快感は決して過去の自分に対するものであったり恥ずかしさであったり私の自尊心を傷つけられたことから来るものではなかったと思います。確実にその演説者に対するヘイトであり軽蔑から来るものでした。

▫️未成熟な大人たち▫️

本で読んだことがあるエピソードを書きます。

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10歳の子供がいたとして、彼の父親が重篤な病に伏せて帰らぬ人となった。
彼は数日泣いたのち自分は医者になると言い出した。
医者になって今は治せない病気も治せるようになって国中の悲しみを減らしたいと言い出した。

一方、もう1人、同じ年頃の子供がいると仮定して欲しい。彼の父親もまた重篤な病に伏せて帰らぬ人となった。
彼は数日泣いたのち「自分は墓守になる」と言い出した。
周囲がその理由を問うと、彼は言った。「だって僕は土に埋められるより埋める方になりたいからね」

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どちらの子供が立派に思えるでしょうか?
そう思える理由は何でしょうか?

大体の人は、私でも前者を選ぶと思います。
なぜなら他者に還元するという姿勢を感じるから。対して後者は自己満の域を出ません。だから前者の方が立派に感じるのだと思います。

わかっちゃいるんですよ。そんなこと。
誰かに尽くすことやそれに喜びを感じることが成熟した証であり美徳であることも。それが生きる理由であり、かつての我々は美徳からは逆行して自己満に溺れていたことも。私たちは身の回りの問題を解決するのをブッチして簡単に手に入る快楽に逃げた、未成熟な大人だったことも。

それでも私は過去の自分たちを蔑んだりはしたくないのですよ。
他人様になんと言われようと、家庭の問題、職場の問題、それがどんな小さな問題だと言われようと。逃避しないと、そうでもしないとやってられなかったんですよ。

身を置いた環境を、それなりに精一杯に生き抜こうとして、疲れて、いっときの休息のつもりで浅瀬に立ち入って深みにハマった自分を、それでもどこか必死だった当時の自分を許せないで、どうやって他人を許せるのでしょうか。


▫️性(さが)を受け入れる▫️

私の身の回りも家庭を持つ人が多くなり、ギャンブルを辞めたいという人が多くなりました。たまに相談を受けるんですが、あんまり偉そうなことは言えないんですよ。辞めて日が浅いし、そもそもNISAだって広義のギャンブルだと思ってますし。

かろうじて言えるのは、安直に自分自身の性(さが)を否定しないことでしょうか。要は、油断したらすぐパチスロ打ちますよ、という考えや生態を受け入れること。容易く手に入る快楽に溺れますよ、という性を受け入れることかも知れません。
平たく言うと、自分はクズということを、それを悪いことと断じるのではなく仕方のないことと思うことかもしれません。
性を否定して気持ちを入れ替えるとか突拍子のないことを言うから無理が祟って駄目になると思うのですよ。

クズで何が悪い?くらいに思って欲望をコントロールする方法を探す方が、よっぽど理に適ってると思うのです。

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