流星
間もなく夏は本番を迎えて、このジメジメした空気感がうだるような暑さに変わる。
花火、海、祭り、風物詩には事欠かない季節がくる。しかし最近、僕はこういったものに疎くなってきている。年をとるごとに情緒が湧いてくると思っていた。実際は逆だった。思春期には心躍った出来事や景色を冷めた目で見ているのだ。転職を機に田舎に移り住んで、都市よりも季節の変化や空気感に触れやすくなった。それなのに何故だろうか。
例えば僕は、この7月に流星群が降るというニュースを見ても何も感じなくなった。
初めて流星群を見たのは高校生の夏だった。実家近くの海の上で見た。
実家は超がつくほどの田舎だ。海と山に囲まれた場所で街灯もまばらな場所だった。最寄りのコンビニまで車で20分かかる。小学校の全校生徒は当時で50人くらいだった。ちなみに今は生徒数の減少により廃校になっている。
その年の夏休みの夜、友人たちと家のイカダの上でひたすらダベっていた。
イカダというとパッとこない人もいるかもしれない。ざっくり言うと海の上に浮かぶ家みたいなものだ。車の代わりに船が備えてある。陸からも離れているため民家の明かりも届きにくい。だからいかだの上では異様なほど星が見えた。
日を跨ぐか跨がないかの頃だった。星が流れ始めた。右から左、左から右へ。それは一瞬、おそらく1秒にも満たない時間だった。それが10秒〜20秒ごとに繰り返された。
その場にいた誰も流星群の到来を知らせるニュースを見ていなかった。だから最初は錯覚だと思ったし、それが何度現れても誰ひとり流星群だとは思わなかった。ただひたすらに戸惑い、驚き、そして綺麗だと思った。星は一晩中流れ続けた。
それからしばらくして実家を離れた。都市での生活が始まった。
最初はひどく居心地が悪かった。広々とした実家に比べて6畳のマンションは狭すぎた。そして金がなければ何もできないと感じた。自転車を止めるにしても料金を取られるのだ。こんなことあるのかと驚いた。
名残からか、都市生活を始めた当初は頻繁に夜空を見上げた。ビルや街灯の影響だろう。あの時と違って空は霞んで見えた。星はほとんど見えなくなった。
1日に接する人の数は格段に多くなった。クラスメート、サークル仲間、バイト仲間、いよいよ働き始めてからは同僚、上司、顧客。やがて部下を持った。
身を置いた環境で少しでも爪痕を残そうと考えていたし、同期より先にレイヤーが上がっても自分はこんなもんじゃないと思っていた。他と差をつけるためにも休日返上で自己研鑽を行なった。上司や顧客からの叱責や吊し上げにも耐えた。あくまで周りからそう言われただけで、当時の僕には耐えたという自覚はなかったが。他人が拒絶する仕事にこそ糧があると考えて苦い水をすすんで啜った。敬遠される案件にとことん首を突っ込んだ。かたや博打を覚えた。
仕事と娯楽、身の回り半径数メートルの出来事に忙殺され続け、溺れて行った。否定され、叱責を受け、小馬鹿にされて苦渋を舐めながら課題を解決して来た。劣等感を拭い去ろうと必死だったのだ。成果が実り称賛を受けることもあった。更なる劣等感を味わうこともあった。そうやって僕は働いた。誰かを目の仇にしながら。誰かと傷を舐め合いながら。束の間の快楽に身を委ねながら。それを良しとしたし望んだのだ。
そして都市に染まった。地上の出来事に夢中になって空を見なくなった。
流星群を初めて見た夜、夏なのにどこか空気は澄んでいた。海は凪いでいた。雲ひとつない空で、月は出ていなかった。4人でイカダの上に座ってひたすらに次の流星を待った。ひとたび流れると僕らは感極まった。流星が降るたびに歓声をあげた。そして僕らはその夜を記憶に焼き付けることにした。奇跡だったと。
流星の出現と同じように、追憶は一瞬で終わる。そして大きな余韻を残す。
どうか今は酔わせてほしい。擦り切れて純朴さを消失した今でも、僕はあの頃のことを忘れたくはないのだ。