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価値あるギターの何たるかを愛ゆえの暴力的な文字量で語らせておくれ
※Martin・Gibsonファンの方は読まない方が良いかもしれないです
年々ビンテージと呼ばれるギターの価格が上昇している。
特に海外のブランド、GibsonやMartinが顕著に思う。人気が加熱していると思う。13年前、僕はGibsonのJ45というアコースティックギターが欲しかった。J45で1950年代に製造されたものは50万円前後だったと記憶している。それが今や100万円を優に超える値がついているのだ。
理由は様々だろうが、1番はあらゆる国がお金を刷りすぎたからではないかと素人ながら思っている。これが一因となって物価が高騰し続けていて現金は相対的に価値がなくなっている。だとしたら現金はゴミに思えてくる。なので今のうちに物に変えておけ!と皆考えているのではないか。
手持ちの現金を貴重品に変えるのは立派な資産防衛術なのだ。ことインフレの時代には。
果たして今、ビンテージ楽器を買う人の何人に1人が純粋に弾きたいと思って買うのだろうか。そう考えると何だか複雑な気持ちになる。
こちとら演者である。
純粋に弾きたいから買いたかったギターが守銭奴たちのせいでお値段爆上がり中なのだ。こっちは弾きたいのだ。なのに何だこの暴騰ぶりは。
それはさておき…
この弱小ブログにもいつかは「良い演奏をしたい。良いギターを買いたい」という欲求を持った人が訪れるかもしれない。
それなりの数のギターを触って購入してきた者として、時には高額なギターを買って後悔した過去を持つ者として、色々伝えられることがあるのではないかと思った。
良いギターを買って良い演奏をしたいという未来のキッズに、殊勝な人のために記事を書くというのも、なんかロマンあるじゃん…
あとハッシュタグには敢えて「投資」と付けた。これは釣りではない。
先述した通り有名ブランドの楽器の値段が殊更上がっているのが現状だが、行き過ぎていると思うからだ。その理由を伝えたい。
この波に乗って「稼げる」とか思っちゃってビンテージギター買おうか検討中の方にも何かしら伝えられるのではないかと思った。ファンダメンタルやら基礎的要因から乖離して価格が釣り上がることをバブルって言いますよねぇ?えぇ?投資家諸君?と、こちらとしても少しドヤってみたいのだ。
大体ねぇ、みなさんのように邪(よこしま)な考えでギターを買いあさってくれてる方々のおかげで我々演者はぁっ…!
…おそらく聡明な方々なので、時代とともに人の価値観が変わることを熟知されていて、今の価値観が変わらず今後も同じように価格が上昇しつづけるとは考えていないと思う。
今のブランド至上主義が一転して別の価値観が台頭しはじめるのはあり得る。そう考えれば、主流から外れている、曲がりなりにも演者である奴の価値観もバカにできないと思っている。
これからアコースティックギターについて、僕の知っていることと感じていることを書いていこうと思う。
本題に入る前に前提から考えたい。
そもそも価値のある、良いギターとは何だろうか?
人によって考え方って違うよね、と言えばそうなるしこの話は終わってしまう。
だが演者として考えてみると大分絞られてくると思う。
まず、演者にとってギターの資産価値(露骨に言うといくらで転売できるか)はほとんど無意味だと思う。そりゃ万が一の場合にお金になることに越したことはないが、それがギターを購入する第一の目的ではない。
だから資産価値は良いギターの定義から外そう。
憧れの誰か、それこそアーティストを模倣するために同じギターを買う人もいる。となれば良いギターとは自分にとっての憧れ(=モデル)が持っているギターだろうか。
実際それが理由でギターを買う人が大半だと思っているし、この考えは大事だと思う。それによって練習のモチベーションが上がるなら大きな意味があるからだ。それに満足感を得るなら立派な買い物だ。
が、時の流れは無常だとも思う。この満足感もモデルと同じものを所有したという高揚感も年月とともに萎んでいく。
仮にギターが何十万〜100万円を優に越す場合や何年も払ってようやく完済するローンを組んで購入した場合、果たして良い買い物だったのかという疑問が残る。
何より憧れの人に似合うギター=自分に似合うギターとは限らない。
僕は以前Gibsonのハミングバードというギターを持っていた。これはSyrup16gというバンドのボーカルが使用していた。彼は僕の憧れだった。だから買ったのだが…
ハミングバードは一際大きなギターだった。それが仇になった。
僕は身長が高い方ではない。そして練習やギター教室の発表会では基本的に座ってギターを弾く。ハミングバードは座って抱え込むには大きすぎた。写真で見たその様は不格好で、無理して弾いているのは静止画でもわかった。ギターを弾いているというよりギターに弾かれているようだった。こういったことも購入後に気づくことがある。
こちらの場合も、やはり数年単位のローンを組んだ後では災難だ。
ということで、模倣性という考えも良いギターの定義から外してしまおう。模倣性を良いギターの定義として組み込むと後に後悔することがあると思っている。
ケチつけてばかりになってしまった。改めて考える。
価値のあるギターとは、良いギターとは何か?
それは僕やこれを読む人にとっての「良い演奏家」と密接に関係していると思う。
僕にとっての良い演奏家はBig Bill Broonzyだ。
アコースティックブルースの名手で、もうとっくに亡くなっている人。音源も1950年代〜60年代などの古いものが多いのだが、今聴いてもとんでもない演奏をしているように感じる。
初めて聴いた時はギター2本で演奏していると思ったし、とても豪快な演奏に度肝を抜かれた。が、実はアコギ1本だった。それに、全部の音を力の限り強く弾いていたわけではなかった。
この力加減はブルーンジーの演奏をコピーしようとした時に気づいた。何ヶ月かかけて譜面通りに演奏することができだしたのだが、強烈な違和感があった。常に力一杯、指が攣りそうな勢いで弾いても何かが違う。弾いてる分には気持ちが良いのだが録音を聴いたらゲンナリして恥ずかしくなる。
ブルーンジーは所々弦に僅かに触れる程度で発生する小さな音も出していたのだ。これはゴーストノートと呼ばれる。聞こえるか聞こえないかくらいの小さな音だ。それを多用していた。
つまり音の強弱の付け方が、緩急の付け方がやばかったのだ。
もうちょっとざっくり言うと僕がやっていたのは「強強強強」の演奏で、ブルーンジーは「強弱強弱」だった。
聴く側にとって強の部分は耳に残りやすい。それはメロディとして認識されるしリズムとしても認識される。同じ曲でも強の部分を裏拍で弾くと疾走感が出る。表拍で弾くとゆったりとした印象に、例えるなら盆踊りになる。
だから強く弾くばかりの演奏にはメロディとリズムが乏しい。強弱を巧みに使い分けるとメロディとリズムは明確になる。
大事なことは、譜面には表れない
心を動かされる演奏は色々あるけど、上の文に要約されている気がする。
この譜面には現れない力を何と言うのだろう。表現力と呼べば近いのかもしれない。
良いギターというのは表現力を支えてくれるギターなのかもしれない。
今まで書いてきたことを吟味していけば答えも出る。
価値のあるギター、良いギターとは…
・音量の幅(レンジと呼ばれる)が広い楽器
・弾きやすい楽器
…と言うことでどうだろうか。
ひとつ目についてはブルーンジーの例からだが、わかりにくいかもしれない。
そりゃ強く弾いたらそのぶん大きな音が鳴るがな…という気にもなると思う。それはそうなのだがギターによってその幅は大きく異なるのだ。
例えばめちゃくちゃ弱く弾いて5くらいの音量を出すギターもあれば1くらいの音量のギターもある。力の限り強く弾いて70くらいの音量が出るギターもあれば100を優に超える音量を出すギターもある。
音量の幅が演者の表現力にめちゃくちゃ影響すると思っている。
…ただ、この定義はパッとこない人もいると思う。僕も説明が上手い方ではないし。
だから語弊を感じるものの「デカい音が出るギター=至高」「良く鳴るギター=最高」と解釈しても大丈夫。
それでも、、、音のデカさってそんなに重要か?的な考えもありだと思う。「デカい音のギターを買ったら後々後悔することも減るかもな」くらいに思って貰えば本望だ。今は気にならなくても、ギターを買って練習していくうちに音の出し方を意識し始める時が来るかもしれないのだから。
2つ目も少し解説する。
弾きやすくなければ、そもそも音の強弱もつけずらい。自分にとって不相応な大きさのギターであれば力が入りづらくなる。
せっかく身につけたリズム感覚や音の切り方も満足に披露できない。利き手を十分に動かせないからだ。これはハミングバードのくだりで書いたことから。
さて、上述した2つの価値観のうち、前者を念頭に話を進めていく。つまり、すごく小さい音もすごくデカい音も出る楽器=至高の楽器という価値観だ。
もうひとつの「弾きやすいかどうか」は僕があれこれ言ったところで個人で大きく見解が分かれると思うから触れないでおこうと思う。手の大きさや体格、筋力は人によって大分違うのだ。
ここまでをまとめると「音のレンジが広いギター=至高」だと思っている。
あまりスッと入って来なかったら、語弊があるが「デカい音が出るギター」「良く鳴るギター」と解釈してもらって大丈夫。僕自身も音のレンジが広いギターといちいち書いてたらくどくなりそうだから、今後は「鳴るギター」と記載していく。
そして前述した2つの定義も、これからさも事実であるかのように伝えるものも、どちらも一個人の意見ということを強調したい。
ここで先に結論を言う。
序文で触れたGibsonとMartinのギターについて伝えたい。
この2つのブランドで、今までで至高と思えるものに出会ったことがない。
誤解しないで欲しいのはどちらも好きなメーカーでありブランドなのだ。
音の個性という意味では他のメーカーにはない何かがあるとも思っている。だがそういった「独自性」はあまり楽器を選ぶ際に鑑みない。
なぜなら、これまで多くの楽曲や演奏家に心を動かされてきたが、GibsonやMartinの音そのものに心を動かされたわけではなかったのだから。
▫️Gibsonについて▫️
製造するアコギ全てブーミーなサウンドと表現されることが多い。
低音〜高音の音量、残響が良い意味で均一でなく、大体は低音が強調されている。サイドバック材はマホガニーのものがほとんどで、これが影響しているのだろうか。
特筆すべきはその見た目だ。
後述するMartinと比べても一際個性を放つ。音ではなくデザインで買いました、という声も良く聞く。僕だってそうだった。
かつて僕が所有していたのはJ50とハミングバード。
それぞれ2013年製と2005年製だった。どちらも見た目とモデルによる影響から購入した。
確かに個性的ではあったものの鳴らなかった。
若いギターは弾き込むほどに育つ、音量が増すと言われて購入したが、そうは思えなかった。先述した通り演奏時の見栄えの問題にも気づいて5年で売ってしまった。持っていた当初はよくリペアに出した。別のメーカーの楽器を持っていった時はその鳴りをベタ褒めしていた職人さんが、この2つに対しては何も言わなかった。
現行モデルは鳴らない。ビンテージは違うという声もたまに聞く。
ビンテージに触れることもあったし聴くこともあった。
そして思った。「変わらん」と。正確には演奏する側としては大いに変わるが、聴く側にすれば微妙なのだ。
わかりづらいだろうから具体的に言おう。
知り合いが1943年製のLG2を所有していた。それを試奏させてもらったことがある。
手始めに僕がハミングバードを弾いて、その後にビンテージのLG2を弾いた。音量の違いにびっくりした。ハミングバードに比べてLG2は小ぶりのギターだが、ここまで大きく鳴るのかと驚いた。
え、変わるやん!やっぱビンテージすごいやん!
ということになるが、大事なのはこの後だ。
試奏が終わった後、知り合いに頼んで2つを弾き比べてもらったのだ。そして僕は真ん前からそれを聴いた(先に断っておくと、この知り合いは超絶演奏が上手い)。
すると先ほどとは逆の結果になった。LG2の音量は小さく、ハミングバードの方が大きかったのだ。
なぜだろうと思った。知り合いから聞いた話だと音の出方が違うとのことだった。
ビンテージ品と現行品とでは恐らくサイドバックの作り方が異なっている。それに、これも推測の域を出ないが、同じマホガニーでも異なる特性を持っているとのことだった。
恐らくビンテージ品のサイドバックは薄い、ないしバック材に関しては音を後ろに伝達する特性があるものを使っている。なので、ギターの後ろにいる弾き手にも明瞭に音が聞こえてくるのだ。
対して現行品はこの逆で、サイドバック材が厚い、ないし音を跳ね返す特性が強い材を使っているのではないか。
そう考えたら合点がいくことが多かった。
ハミングバードの音を真ん前から聞いていて、ガーンと飛び出してくる音に少し辟易したのだ。音がストレートに耳に飛び込んでくる。何か、こちらが攻撃されているような気分になった。聴いていて落ち着くとは思えなかったがLG2は違った。
設計と材の違いが、聴く位置によって感じ方の異なる結果を生んだのだろう。そう思っている(何回も言うが一個人の意見だ)。
もちろんビンテージ品はピンキリであり、鳴るもの鳴らないものも存在すると聞く。リペア有無でもだいぶ音量は変わると聞く。しかし…
それ以降、数点ビンテージ品を試奏したし、その生音を観客として聴いたりもしたが大体同じ感想だ。弾き手としては鳴っているように感じる。聴く側としては…少なくとも、鳴っているとは感じなかったのだ。1番鳴るとされる戦前〜戦後のものに対しても同じだった。
あと、現行品を持ち上げるような言い方をしたかもしれないが決してそうは思っていない。鳴らないと思っている。高額なカスタムショップ製のもの含めて鳴るギターに出会ったことがない。
鳴るギターはボディだけでなくネックやヘッドまで振動する。所有していた2つのGibsonも、試奏したものも、どちらも振動しなかった。
ということで結論。
Gibsonの現行品は鳴らない。ビンテージ品は鳴る。
しかし鳴ると言っても自己満の域に留まると思っている。
▫️Martinについて▫️
アコギの元祖と言われるメーカー。
廉価版のギターもあるが大体はGibsonより高額。サスティンが長い、鈴鳴りのような音、上品な音、もとい金持ちの音など色々言われているが、元祖と言われるだけあってGibson同様に歴史は古く、1920年代やそれ以前に製造されたギターもある。
Gibson同様、戦前〜戦後のものはプリウォーと呼ばれており、状態の良いものであれば1000万を超える価格のギターも存在する。他メーカーに比べてべらぼうに高いのだ。
現行品は繊細な音、繊細な作りと言われており、よくトップ板が膨らんで弦高がおかしくなったとか頻繁にリペアするという話を聞く。Gibsonに比べて板が薄いと、かつてお世話になったリペアマンが言っていた。そう考えるとコスパはどうなのだろう。
所有したことはないが近年製造されたものはたまに試奏した。
ビンテージも最近初めて試奏した。今までその金額から無視してきたのだが、ようやくMartinのビンテージに手が届くくらいのお金を蓄えたのだ(蓄えたというか…昨今のゴールド価格と金鉱株上昇の恩恵を受けた)。
1950年代のビンテージ品がどういう鳴りなのか確かめるため関西の数店舗を回ってきた。断っておきたいが、冷やかしではなく、良ければマジで買おうと思っていた。
結果買わなかった。
確かにあれは僕が大好きな1950年代の演奏家の音だった。それだけだった。音のレンジは小さかったように思う。ちなみにお値段は100万円を優に超える。
試奏したのはビンテージ品だけではなかった。
ビンテージマニアの中で評価の高い(と言われている)現行品「authentic」を何本か弾いた。中古でも70万円するぼったく…高級品と言えるものだが、やはり高いだけあってこだわっている。1930年代当時の方法と設計で作り上げ、当時の材に近いものを使ったと言われている。
だが結論は同じだった。店員さんがチューニングしている段階で「…え?」って思ったし、店員さんから「ね?良いでしょう??」と言われても反応に窮してしまった。かろうじて出た言葉が「あはっ…あははは!」だった。
ただプリウォーと呼ばれるものは試奏してない。
前述した通り桁違いのお値段なので試奏したところで…と思ってしまうのだ。マニアの間では「至高」「激鳴り」と言われるのだがどうだろうか。それ1950年代製のものにも言ってませんでした?と言いたくなる。あと、あなたauthenticもベタ褒めしてましたよね?とも言いたくなるが、ほんとどうなんだろう。
プリウォー試奏してないからなぁ…
ということで結論。
Martinも現行品・ビンテージ品ともに鳴っているとは思えなかった。
しかし40年代以前のものは未知数で、音は規格外という声もあり。※お値段も規格外
ただ、そう言ってる人らは現行品の一部にも「鳴るぅ!」と言っているのが気になる…
▫️補遺:2つのブランドの共通点3つ▫️
その1。
新品を物色中に「ギターを育てましょう」というセールストークが炸裂する。
これはまぁまぁの高確率で。店員さん曰く、弾きこめば弾きこむほど音は変わっていくとのこと。音量が増すと言う人もいる。
確かに角が取れたと感じることはあるが、今まで所有してきたギターすべて音が大きくなったと感じたことはない。利き手の使い方を変えたら音量上がったな、音圧出たなと感じることはある。
その2。
ビンテージ品を物色中に「歴史を買いましょう」というセールストークが炸裂する。
これ考えた人天才だと思う。非常にそそられるではないか…
それで、おいくらですのん?えっ!1000万すんの!!?
その3。
所有してるだけでドヤれる/浸れる。
やっぱブランドの力って凄いなと思う。そして人間って単純だなと思う。以前スタバでiPad使うと悦に浸れると書いたが、それに近い感覚。
もちろんドヤらない誠実な方もいることは理解している。僕みたいな邪(よこしま)な人間もいることも理解してほしい。
…好き勝手書いてしまった。嫌な気持ちになった人がいたら申し訳ない。
前述した通り2つのブランドとも他メーカーには出せない唯一無二の音がすると言われている。これは本当にその通りだと思うし、ことGibsonに関しては激しく同意する。あれ、何なのかなぁ…そりゃ好きな人おるわって思う。
▫️投資としてのギター▫️
最後に今僕が使っているギターについて触れようと思う。
そしてギターを投資品として捉えている方に対しても一言二言ぼやきたい。
僕はHeadwayの81Artistという、ちょっとキザな名前のアコギを使っている。
名前の通り1981年製で、いわゆるジャパンビンテージという部類に入る。先述した2つのメーカーに比べてバチくそ安い。発売当時の価格は10万円。
で、これ、びっくりするくらい鳴る。前方後方にも音が飛び、サイド・バック材が振動しているのが体に伝わってくる。ネックとヘッド含めて全部振動しているのだ。
熱狂的ファンを持つ信濃の名工、百瀬氏が若い頃に作ったもので、彼のファンたちが集うサイトの口コミを見て「聞いたことないけどすごいメーカーなんだなぁ」くらいに思っていた。それが10年くらい前。で、5年前ヤフオクで当時の定価のまま競売にかけられていたのを見つけて「今のドレッドノートは弾いてて肩凝るし、このギターは小ぶりだし丁度いいよな。値段も手の届く範囲やし」程度の軽いノリで落札した。
来た当初は「へぇ…鳴るなぁ」くらいにしか思ってなかったが、リペアに出してブリッジとナットを変えて調整をかけてもらったところ更に鳴った。
Gibson同様リペア職人にも試奏してもらって、それを側から聴いた。すごいギターだと思った。今はこれ1本のみを所有している。独奏をする際は大変重宝している。
高価なギター、希少性の高いギター、人気のギターが自分にとって価値ある楽器とは限らない。むしろ理想から著しく乖離していることなどザラだと思っている。
僕は楽器の価値を考える際、主観だけでなく他者の視点(周りの人が聴いててどうなのか)を鑑みるようになってしまった。良くも悪くも。
正直プロでもないのにそこまで考えるのはイタいと自分自身も思う。そこまでする必要ないやろ、自分が気持ちよければ良いやろと突っ込まれたらそれまでなのだ。
それでも他人から時間をもらって演奏する機会がある限りは妥協したくないのだ。
聴き手がどう感じるかを気にする理由は、かいつまんで言うとこういうことだ。
僕みたいな価値観でギターを選ぶのは少数だと思っている。
なので僕がこれまで伝えてきたことは投資としてギターの購入を考えている人にとって役に立たない情報だとも言える。だが…
10年前20年前に比べて個人が発信する機会は増え続けているし、そのハードルは下がり続けている。表現する手段の民主化は強烈な勢いで進んだ。僕みたいにギター教室の演奏会に参加しなくても、どこかのプロみたいにテレビに出たりライブをしたりして人を巻き込まなくても、気軽にYoutubeにアップできる。
他人からの評価もダイレクトに伝わる。
この記事では再三にわたって「音の強弱の付け方=表現力」と伝えてきた。どんな安いマイクで音を拾っても、どんな安いデバイスで動画を再生しても、程度の差こそあれわかるのだ。演奏家の表現力は。
それはギターそのものが鳴るかどうかにも左右される。それは弾き手の評価に繋がる。そして弾き手は承認欲求に抗えない。
否応なしに他人を意識する環境が整いつつある。
ビンテージ楽器を投資品と考えるなら、これらの変化をどう捉えるかだと思っている。
有名ブランド1点集中ではなく、Headway、Eastmanなどの新興ブランドも意識して良いのかもしれない。こちらとしては微妙な気持ちだが。そもそもみなさまのような投資と投機を履き違えている方々のせいで我々演者はぁっ…!!