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咆哮


中学〜高校時代にバンプにハマった。BUMP OF CHICKENに。

部活の友人が「やばい曲がある」って騒いで半ば強引にCDを貸してきた。それが「天体観測」だった。演奏も詩も超絶ロマンチックに思えた。思春期特有の何か悶々とした気持ちを抱えていたあの頃、それは刺さった。もうドンピシャにハマった。

どれくらいハマったかというと、片道40分かけて自転車で通学していた当時、その道中ずっと「天体観測」を聴いてたくらい。それを2週間ほど続けたくらい。学校はウォークマン持ち込み禁止なので教員に見つかったらやばいけど、そんなの関係なかった。

BUMPのアルバム「Jupiter」も同じような感じで聴きこんだし、高校になって彼らが次のアルバムを出しても追いかけた。

奪われたのは何だ
奪い取ったのは何だ
繰り返して少しずつ忘れたんだろうか

その場しのぎで笑って
鏡の前で泣いて
当たり前だろう
隠してるから気づかれないんだよ

BUMP OF CHICKEN「ギルド」より

君を失ったこの世界を
愛せたときは会いにいくよ
間違った旅路の果てに正しさを祈りながら
再会を祈りながら

BUMP OF CHICKEN「ロストマン」より


こう言う繊細な詩を書くわりに、当時雑誌のインタビューでボーカルの藤原は尖ってた。「俺」とか言うし「俺ら、全然いけるぜ」みたいな感じだし、自己肯定感凄くて持論も凄いし、妙に説教くさい。ロキノンのインタビューを読んで、正直に言うと詩とのギャップに引いた。それでも詩や彼らの音楽は大好きだった。

いつからか彼らに関連したネットの掲示板を覗くのが日常になった。

そこには同じように、何だか説教くさい人、持論すごい人がいた。あと、論破したい人、なんかキザな言葉を発する人がわんさかいた。何人かは藤原になりたそうだったし、誰かと口論したい、打ち負かしたい、認められたいと思っているような人たちもいた。
僕はどさくさに紛れて彼らを冷やかすのが好きだった。

そんな混沌とした掲示板だったが、一際異彩を放つ書き込みがあった。

「お前らみたいなモヤシは、黙ってミッシェル聴けよ」

確かこんな書き込みだったと思う。
で、既に荒れに荒れていた掲示板はこの書き込みで拍車がかかった。

「ミッシェルとバンプ、どっちが良い?」
「比べんな、カ●。ミッシェルは測れるバンドじゃない」

「モヤシはバンプ聴くし、不良はミッシェル聴く」
「はぁ?別に不良じゃねえし。まぁモヤシには同意」

「お前らにしても藤原にしても、ミッシェル知らん奴らがロック語るな」

…なんか、ミッシェルってバンドがあるらしいことがわかった。
そして彼らのファンの一部はバンプをヘイトしていることもわかった。
ミッシェルのファンはめちゃくちゃ尖っていることもわかった。

当時僕は厨二病だったので「自分も尖りたい」と思っていた。
だからミッシェルのファンになろうと思ったし、書き込みを見たその週に彼らのアルバムを2枚レンタルした。

冒頭、それまで聴いたことのないような轟々しいギターが鳴り始め、退廃感全開の言葉の羅列が、どこかやさぐれてヒビ割れた声に乗って聞こえてきた。

白いタイル貼りのトンネルを抜けてゆく
北極よりも寒い12月の有針鉄線のような
口笛を鳴らす 
72.5メガヘルツ
流れっぱなしの

グラウンド・テイラード・バス
その車の中で
綺麗な緑に染めたカーリーヘアーの
穴の空いた男が独りで喋ってる
穴の空いた男が独りで喋ってる

Thee Michelle Gun Elephant
「シトロエンの孤独」より


それまでどっぷりバンプに浸かって音楽=応援歌、讃歌と考えていた高校生にとって、これは異次元の何かだった。

ミッドナイトクラブヘヴン
サーカスが見たいらしい
曲乗りが俺の仕事
キャットフードぶちまけた気分

甲高い叫び声が楽しげに響いて
ピエロは首吊って
それでも笑ってたんだ

Thee Michelle Gun Elephant
「Deadman’s Galaxy Days」より


一緒に借りたのは彼らのラストツアーが収録されたライブアルバムだった。
一際惹きつけられたのがこの曲だった。

何に惹きつけられたのか、当時はよくわからなかった。
でも、荒々しくもタイトなビートと聴く者を圧倒する咆哮…ミッシェルは何かに怒っていたし、何かを壊そうとしていたように感じた。

2000年代前半、当時の音楽シーンは肯定的なメッセージで溢れていたように思う。
応援歌、讃歌、恋愛歌。穿った目で見たら、挫折や失恋を集団で治癒しているようだった。それっぽい詩と美メロを使って。今思えば至る所で傷の舐め合いを見た。

ミッシェルはそんな音楽シーンを鼻で笑っているような気がした。迎合する気なんか甚だなさそうだった。どこかの雑誌の言葉を借りるなら、まるでシーン全体に引導を渡しているようにも思えた。

恐らくそれがどうしようもなくカッコよかったのだ。当時の僕にとって。

ミッシェルを知った時にはもう、彼らは解散していた。
フロントマンのチバさんはその後、ROSSO、The  Birthdayと結成していき、社会人になってからも僕はずっと彼を追いかけた。

年をとるにつれてチバさんの言葉に大きな変化が見え始めた。
ミッシェルの時のような刹那的なものも健在だったが、どこか讃歌的な、叙情的なものが現れ始めた。

空には細長い雲がいて
三日月に照らされ
オーロラ気分でゆっくり流れてた
空気は澄んでた
木枯らし吹き荒れた
冬が来て氷が僕らを遠ざけた

ワルツを
ねえBaby ワルツを

The Birthday 「Waltz」より


それがたまらなく好きだった。
ミッシェルを、チバさんを知って12年が経っていた。僕にもそれなりに色々あったのだ。もう彼らに出会った当時のように尖りたいとは思っていなかった。

刹那的な詩と叙情性を感じさせる言葉と強烈なビートを残し、今から半年前、チバさんが亡くなった。

そこから遡ることさらに半年、チバさんは食道癌を公表して活動を休止していた。
休止直前にリリースされた彼らのEpに「トランペット」という曲が収録されている。冒頭、チバさんが独唱するのだが、声を発するのが苦しそうだった。
Youtubeにアップされている最近のライブを見ても、やっぱり所々苦しそうだし声のピッチは安定しない。今思えばその兆候だったのかもしれないが当時は「やっぱ酒とタバコで無茶が祟ってきたんだろうな。年齢には敵わんなぁ」程度にしか思えなかった。

訃報を知った日は呆然としたし、あまり眠れなかった。気持ちの整理がつかなかった。
その後チバさんが生前録音していた音源が出ると知っても、どう受け止めていいのかわからなかった。

今年の4月、いわゆる遺作と呼ばれるものが出た。
それが全然遺作っぽくなかった。

俺のハートを撃ち抜いてくれよ
君のかわいいピンクの愛で
俺のハートを撃ち抜いてくれよ
君のかわいいピンクの愛で

えげつないくらい
えげつないくらいトバして

The Birthday「S.P.L」より


誤解かもしれないが、全然死ぬ気ないやん、チバさん…って思った。
だってこの曲、過去1キレッキレだったのだ。

そして思った。こんな曲をこれからもずっと聴きたかった。
これからもずっと、詩と、その咆哮を聴きたかった。

星は流れた
見えなくなった
夜は明けたんだろうか
髑髏の森をガシャガシャ進む
そんな毎日があって

The Birthday
「ブラックバードカタルシス」より

乾ききったノイズの奥に俺は何を?
流転の先に答えはあるか?
さらば森よ

The Birthday 「咆哮」より



それは挫折の詩で、奪われた者の詩だった。
それは求道者の詩で、渇望の詩だった。

巷に溢れる安っぽい希望の詩ではなかった。

その詩は誰彼構わず慰めたりはしなかった。
むしろ苦く、泥臭く、こちらを突き放しているようにも思えた。

では、希望とは程遠いネガティブなものだったのだろうか?

なぜ僕は毒にもなるようなものをずっと聴いたのか?
一見毒に思えたが、そうではなかったのだ。
飾らないだけだった。等身大の詩に、咆哮に、僕は何度も何度も鼓舞された。

これを希望ではなく何と言うのだろう。



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