尖っているとは
よくお笑いの文脈で「尖っている」と「センス」がよく使われる。
自分は46歳手前にして、一般的な、協調と和と妥協と退屈を愛する人びとが多い日本人という存在の中で、自分が「尖ったセンスで生きてる人」という事に今更ながら気づいた。
Noteで目にするワーホリやその他日本人の海外経験談はゴミみたいなもんだが、その中で多摩美のグラフィック出身でワイン好きという人間のNoteが目に留まったのでたまに冷やかしに覗いてみるが尖りもセンスもゼロでビックリした。
ウェリントンで糞みたいな画廊でクソみたいな規模のクソみたいなオナニー展覧会をやってた藝大油科出身の女の恥ずかしさしかないクソ展覧会場の脇をなるだけ目に入ってこないように職場から家に戻るときは大変に不快で10cm平方サイズしかないどっかのオシャレイラストの物真似みたいな、やまだないとのパクリみたいな、そんなクズ満載の個人展覧会(小規模)は「海外だったら何やってもいいだろ」と思っている恥知らずの藝大生の偏差値の低さを目の当たりにした胸糞な瞬間で、30年位前に比べると藝ムサタマのレベルって確実に落ちてるんだな、そもそも勉強できない奴が行く美大という地獄なのに、海外でやまだないとのパクリで恥知らずな個人展覧会とかやっちゃう藝大油彩科卒の女を目の当たりにした時、この3美大のレベルが30年前に比べると本当に落ちているろいう自分なりの仮説をに物凄く狭い観察から導き出した。
私の高校は普通科と数学科と美術科があり、その美術科は浪人しながらも藝大ムサビ多摩美に学生をコンスタントに送り込んでいる美術科で、一方我が高校の中では「バカが行く科」扱いを受けていた。実際美術科の生徒の学力は低いし、同じ筑波と言っても美術科は推薦で入れるので「美術科内で」成績が良ければ、推薦で筑波に入れてしまうのである。それは普通科の一般的なレベルからもだいぶ落ちるが、内申書とはそういうもんである。ちなみに高校が大嫌いだった私は校内試験では一切勉強しなかったので推薦すら貰う気もなく、文化祭にも体育祭にも参加せず、直ぐに早引きして、県立図書館でスタジオボイスを読みふけり宝島を隔週で買い隅から隅まで読むような生活をしていた。友達は一人もおらず週末は私立図書館に行き、三島由紀夫全集と向田邦子全集を読破しライ麦畑でつかまえてを読んで、荒れる生活をする主人公きどりで家に帰り、おかあさんがハンバーグに大嫌いなピーマンを入れたと大激怒するような有様だったのだった。
私からするとバカが馬鹿のまま大学に行くだけなのでパイセンに1名推薦で行った人がいるけど内心はその人物の事が偏差値48-50位のバカだと思っているし今はぬいぐるみ作家などという趣味に毛が生えたような「作品」を作っている。夫に生活費の多くを依存している作家様である。
前述の多摩美ワイン氏には一切シャープな批判的視野や感性みたいなものは全くなく、ただ「ここちのよいおしゃれなもの」を「センス」と思っている節があり、多摩美のグラフィックってこの程度なんだと改めてそのレベルの低さに瞠目している所である。
美術大学に行く人間は30年前だと尖りまくったアウトロー集団だった。
精神的に病んでる青森の美人とか、2丁目でマジックマッシュルームを入手してくるゲイに、アホみたいなCGを作って後輩としか遊ばないダメパイセン、作業中指2本持ってかれたパイセン、バイクで転んで体半分かさぶたになって挙句バイク事故で小指もってかれた同級生w(のちにパーソンズの院に入学し現在はロンドン在住らしいが)、マリファナあるからおいでよと連絡してくる奴、筑波でもこんな感じだったので藝大とかは滅茶苦茶だったんだろうと思う(しらんけど)。自分はイエローによなよな軽自動車でつくばから遊びに行って徹夜明けでまた戻ってくるみたいな事をしていた。とにかくカネはないけど時間はあり、若くでバカだったからギラギラしていて、何より自分はDV家庭出身なので他の同級生に比べカネもなく精神もアレで周りにはとんと迷惑をかけた。それでも今でも友達でいてくれる奴は心が広いなあ、、などと感心したりもする。
都内の学生のように合コンもカラオケも美大生は遊ばない。
なにかアングラで尖ったことをしないといけないと思っていた。
私は新木場であったどちゃくそコアなパーティーに友達を呼びつけ朝8時からコラゾンで大盛り上がりしなぜか全員中指を突き上げて大騒ぎするというノリの最中友達を見たら育ちの良い彼女だけ人差し指をやさしく立てておりなんの迷いもなく両腕で中指立てて飛び跳ねてていた自分を深く恥じた。
美大生という矜持の下、私はとにかくサブカルな事をしなくていけないと思いたった一人で神代辰巳のオールナイト上映を見に小劇場に行き、ポレポレ東中野で若松孝二オールナイトで若松監督と話し本にサインしてもらった。その本はニュージーランドにも持って来てあり、年に一回は読み返す。若松孝二は元々はヤクザである。
美大卒は尖っていて、反社であり、反抗的で、世の中に迎合しない。
心地がいいとか、誰かのぱくりとかは、絶対的にカッコ悪いのでそんなことはしてはいけないと、私は勝手に心に刻んでいたし、こっちで大学に行きなおし分子生物学で大学院に行き、ニュージーランドの政府職についても私のマインドは尖った美大生のままである。
それがワインだのやまだないとのパクリだの、多摩美や藝大の生徒が恥ずかしげもなく普通人間がするようなことを平気でやってるのをみて、
「いまどきの美大生は尖ってないのか!!」
と唖然とした。
尖ってないのに美大に行く奴なんかいるんだ。
しかしよく考えてみると、デザイン科でアングラサブカルなのは自分だけだったし、ファイン系のアングラ女子は尊大かつ学力も低そうだったので全く共感できず、よくよく考えたら自分は大学にも殆ど行っていないような有様で、尖っていたのはもしや自分だけだったのかもしれないと、尖ってない多摩美や藝大の女子を目の当たりにしてハッとしたのだった。
尖ってないなら普通に勉強して普通の大学に行けばいいのに。
私はそう思う。
絵なんか趣味でやるもんでいいのに。
そして結局その仕事にはつかないばかりか、デザイン業は特にAIの出現によりどんどん軽んじられてきている。80年代経済が大勃興し広告費を湯水にように使う時代は終わった。消費動向は全てデータに落とし込まれ「マーケティング」という銭ゲバ戦略によりデザインという価値観はほぼ骨抜きにされている。特に2Dなんか絶対に大学で学ぶもんじゃない。そして美術業界の男尊女子はマジで酷く、自分の同級生をみても出世している人間は男子に比べると女子のその数は圧倒的に少ない。
うちの親が偉かったのは私の美術科進学希望に徹底的に反対した事だと思う。農家の娘である母ととダム技術者というシビルエンジニアリングの塊みたいな理系の父らは、アートと言う言葉やその周辺の、こまっしゃくれた気取った人間が大嫌いだった。
年食ってみて思ったけど、センスのいい生活とか本当にどうでもよく、テーブルは2台のPCに占拠され我々は私が片付け忘れた生理用ナプキンの横で飯食ってたりする。 夫は未だにグラフィックデザイナーなどという全く儲からない仕事をしており、ずっと足を洗おうともがき苦しんでいるが中々できない。美大も首切られた夫の学歴は高卒なのでなんとか夫に学歴をつけてあげたいと性格の良い妻であるNZの大学で修士号を取り、現在は政府職にある私は思う。夫の実家は離婚した義理母が一人住んでいるが自称アーティストの母の家は非常に汚く、実家がアレな自分は夫の実家がもっとアレだった事に安堵したものの、里帰りが苦痛すぎ、またうちの犬も義理母宅が大嫌いらしく、夫も最近になって「あいつの家行くの辛い」と言い始める始末である。義理父の家があるコロマンデルでエアビーに停泊している間だけが我々にホリデーが訪れる瞬間で、義理父に会いに行くと言い張っていた夫もついに「あいつ疲れるし絡みづらい」ととうとう言い出したのだった。
他の在外邦人からみても私は異質で尖っている。
結婚した相手も、その両親も異質すぎて、「やさしいニュージーランド人との心の交流」「キレイで大きな夫の実家」などというニュージーランドに来た日本人が口にする話は私の実生活において全く起こらない夢物語である。
そもそも美大卒なので美大に行くような連中の学力の低さは身に染みて分かっているし、学力の高い自分は内心彼らを心底バカにしていた。
一部優れた人間だけが美術家になって飯が食えるような世界なので、自分は自分が作家様になれるとは思えず、そもそも美大に行けば東大と一緒で自分より優れている奴が五万といることに唖然とし敗北感を味わうのが常で、早めに夢から覚めるのが良い。
自分が芸術や美術を理解する優れた才能や知性、深い洞察力を備えていることは、英語でキュレーターの友人と同レベルで話が出来る事で証明できると思うし、それだけ作品は見てきた。
ニュージーランドはアートの街とか言ってる連中は脳みそが腐っている。
ここは芸術美術不毛の地である。
それは移住してから分かった事で本当に辛い。
一流の美術作品に触れる機会は日本の方が圧倒的に多い。
それを日本人がしていないだけである。なんとも勿体ない事だと思う。
まあ有名美大と言われている美大を卒業した人間であれくらいなのだろうから一般人となると美術も芸術も理解する力は全くないかもしれないが、ニュージーランドに移住すると日本が如何に美術館が山ほどあるか奥歯を噛みしめて悔しがる程ある、ということはこの文章を読んでいる奇特な読者様には強調してお伝えしたいところである。
今日本という国は大変に落ち目で、今日刺青が入っていることが確認できたレオニー(有機化学の博士号持ち)に「この前日本行ったけど安くてビックリした」と言われる有様である。
日本は今「安い」国なのだ。そしてこれからも安いままであろう。
そんな落ち目の国に行くのは本当に憂鬱になるし、日本は不機嫌な中高年が幅を利かせており、彼らに1ミリも温情を見せない自分のような人間は「女のくせに生意気だ」と意味不明の理由で嫌がらせを受ける。
敬語を話すのが苦痛だし、日本語を運用するのが本当に辛いので日本語を話さないで済む国に旅行に行く行が心が安定するといった有様である。日本に旅行に行くメリットが自分には1ミリもない。
最近弱気になった独身の同い年友達に「日本に戻ってこないの?」と聞かれ「この人は私が日本に戻ってくると思っていたんだ」と大変驚いた。
高校の卒業アルバムは日本に置いておいてもしょうがないのでニュージーランドに持ってきた。そこで夫に私の二重手術がバレたのだが、それよりもなによりも寄せ書きの少なさに驚き(前述のように宝島読んで電気のオールナイト2部聞いて三島由紀夫全集読破にチャレンジしていたJKだったので)、しかしその中に「○○さん、一回出て行ったら二度と戻ってこないんだろうね」とあまり仲良くもなかった女子に寄せ書きされており、確かにJK ながら30歳位の落ち着きを見せていたその彼女の、私のように尖りに尖りまくり、クソみたいな実家、DVの父それと離婚できない母、捨てられない母の性分のせいで常にゴミゴミした家。全て憎く全て捨ててイエローで遊びまくってやるんだ!とマグマのように怒りをたぎらせてクソみたいなその場を投げ捨てて出て行った。
まあそのあと同じように、2012年に日本もぶん投げて捨ててしまうのだが。彼女の予言は私の高校の卒アルに刻まれているのである。
大学に行くも経済DVで困窮するのでバイトしすぎて大学もおろそかになりそれでも自分のやりたかったことは貫徹できたのでよく頑張ったとは思う。
自分が尖っているのは実父のDNAのせいもある。
占い師に見てもらった所、実父は希代の変人ということだった。
それは自分でもわかる。実父のDNAを感じることが年を重ねるごろに増えてきているからである。そして母も相当変な女だった。
その二人から生まれた3人の子供はそれぞれ独自路線を歩み、長女はレストランオーナーで次女はNZの政府職、弟は霞が関官僚である。全員国立大卒のエリートのように見えるが、マジで姉は相当最近まで不潔のクズだったし自分も尖りに尖りまくったサブカル女で、弟は全盛期自主トレだけで刃牙並みに腹筋が割れていた(顔は柔和なのに拳にタコがある)。
私はカフェもヨガもスピリチュアルもワインも大嫌いである。
なぜならカフェインで腹を下すし、ヨガとストレッチの違いが分からないし、スピリチュアルはバカの極みだし、ワインはそもそもアルコールが飲めないから飲めないし美味いと思ったことが無い。
職場で割と喋る方のリタに今日「週末バー行ったりすんの?」って聞いたらニュージーランド人のくせに酒が飲めないらしく(初めて見た)「金曜日職場終わりで飲みに行くとかマジ無理。速攻で家帰ってノーブラでソファ寝転がって家でゆっくりしたいしビールはノンアルでいい」と言ってて「わ、た、し、も!!」と強く同調しておいた。
リタもオシャレカフェ飯とかどうでもいい類の女とみた。
まあ奴はメディカルバイオ出身なんで理系女はその辺合理的で良い。
実に良い職場に就職したなあ、、と理系女と博士号だらけの我が職場を愛しく思うのである(しかし金曜の飲みには参加しないが)。