裁判の判決に負けても
2023年 12月30日(土)
今日の景色…
〈気になる記事・後半…〉
「なぜ報道機関が市民に判決を下すんや」書類送検で呼び捨て報道に怒り 新聞社を提訴した男性の戦い
(記事本文抜粋…)
どうして警察の発表だけをもとに報道機関に呼び捨てにされて自分が報じられなければいけないのか。そう憤った一人の男性が1980年代、日本の報道に一石を投じた。
1984(昭和59年)1月、三重県鳥羽市で起きたゴミ収集車の死亡事故。その約3カ月後、鳥羽警察署が清掃会社社長の品野隆史さん(82)を業務上過失致死の疑いで書類送検したと記者会見で発表する。翌日、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞は品野さんを呼び捨てで報じた。この事件に限らず、当時は他の事件でも呼び捨てが当たり前だったという。
これに怒った品野さんはその後、3社と三重県を相手取り慰謝料を求めて提訴。津地裁、名古屋高裁、最高裁のいずれも品野さんの訴えを認めなかったが、多くの報道機関は1989年から、逮捕時に呼び捨てをやめ「●●容疑者」とつけるようになった。
しかし品野さんは、それから40年近く経った今も納得していない。「報道機関は何を偉そうに“容疑者”と言うんですか。裁判所ではなく、なぜ報道機関が市民に判決を下すんや」と。
書類送検は、品野さんにとっては青天の霹靂だった。
「新聞に載る前、どの社からも取材依頼はなかったですよ。朝、新聞を読んで、自分が書類送検されたことを知ったんです。朝日だけは久留米市で同じような事故が起きたことを書いてくれましたけど、どこも警察の言い分ばかりで私の主張すら聞かずに、私を呼び捨てで犯人扱いしてきたわけです。せめて私の言い分は聞かんと。言い分あるやろ? と聞いてくれたら、それでよろしいんや」
周囲には「人の噂も七十五日」と言われたし、小学生から高校生まで4人の子は学校でいじめられることもなかった。取引先も品野さんを信頼して、変わらず契約を続けてくれた。そのまま見過ごすこともできたが、品野さんにはどうしても引き下がることはできなかった。
👉「どこも警察の言い分ばかりで私の主張すら聞かずに、私を呼び捨てで犯人扱いしてきた…」
何も悪いことをしていない潔白な人からしてみたら、とうぜん腹立たしいのは当たり前ですよね…。
警察の疑いが晴れて、警察からの謝罪はもちろんあるのでしょうが、そこで警察に同調してそれを容疑者として、しかもその実名を世間公に報道していたメディアは、その後ちゃんとしっかり謝罪しているのでしょうか…。
それはその本人だけでなく、同じく世間公にも間違いであったことを認め、その謝罪を公表するべきなのではないでしょうか…
わたしたちは…
ただ他人事のように何気なくテレビやネットでニュースを見て聞いていますが、なかなかそんなところの矛盾には気づけないようです…
(記事本文抜粋…)
「それまでも、本人には避けられなかったであろう、どうしようもない事故でも呼び捨てにされていることは気になっていました。でも他人事だったんでしょうね。いざ自分にふりかかって、このままにしてはいかんなと思ったわけです。お金と時間がかかるのもわかったし、裁判で勝つのは難しいのもわかっていた。
でも名誉を傷つけられるのがイヤだったわけです。裁判に負けても、裁判の事実が知られることで私の名誉を回復したいという思いで提訴することを決めました」
👉やっぱり人間って自分の身に何かが起こらない限り、そこにある問題点に気づくことも関心を寄せることもなかなか難しいのかもしれません…
(記事本文抜粋…)
●「実名、呼び捨ての形で表記した点に違法性は認められない」
品野さんは書類送検されたものの、結局は起訴猶予となった。 ついに品野さんは、朝日、毎日、中部読売、警察(被告は三重県)を相手取り、「呼び捨てと犯人扱いはけしからん」として、慰謝料1000万円を求めて津地裁に提訴した。提訴の記者会見には各社集まったが、報じた社は皆無だったという。
裁判は津地裁、名古屋高裁、最高裁ですべて敗訴となる。最高裁小法廷は1999年3月2日、「報道に際し、実名により、かつ呼び捨ての形で表記した点に違法性は認められない、として二審の判断は正当として是認できる」とし、1、2審判決を支持し、上告を棄却した。
品野さんはこの判決について、「裁判官はバカだと思いましたよ。体制に応じた判決でしかない。慣例だからと惰性でやっている報道機関に“間違っているんや”と言って欲しかったですね」と悔しがるが、この裁判とともに報道のあり方に関する議論が活発化していった。
●「国民に判決を下してもらいたいんや」
「裁判の判決では負けても、国民に判決を下してもらいたいんや、と思っていました。裁判を起こしたことで、新聞社やらのシンポジウムに招かれて東京で話をさせてもらったり、いろいろな雑誌や書籍で私の言い分を聞いてもらったり。偉い大学の先生や弁護士さんに、そうだそうだ、品野さんの言っていることが正しいと言ってもらうこともありましたね」
1989年末には、ほとんどの報道機関が呼び捨てをやめ「容疑者」との呼称をつけるようになった。しかし、これにも品野さんは納得していない。
「“容疑者”なんや、と。疑いがあるということやからね。それでなぜ、実名を出すんですか。せめて判決が下りるまでは“●●さん”や“●●氏”と呼べばいいんじゃないですか。無罪推定なんだから逮捕や書類送検時に公表する必要だってない。マスコミだって調べるわけではなくて、ただ警察の発表に基づいて、自分たちの推量で書いてますんや。判決が下りてから報じてもいいのではないですか。
大体、裁判所ではなく報道機関がなんで判決を下すんや。呼び捨てから容疑者と言うようになって変わったと思っているかもしれないですけど、自分たちが偉いという姿勢は変わっていないんじゃないでしょうか。弱い者を叩き、強い者に阿(おもね)って、商売の利益を優先する。それでいいんでしょうか」
現在81歳の品野さんは、今も新聞各紙を読み、社会や政治、報道のあり方に厳しい視線を送っている。
👉「裁判の判決には負けても…」
確かにそうですね…。
ただ裁判に勝つことだけが勝利とは限りませんよね…。
ときには“負け戦”と分かっていたとしても、それを世間一般の多くの国民のみなさんに知って興味をもってもらうことが、その後の『本当の勝利』に繋がる大事な一歩なのかもしれません…。
日本の司法…
警察・検察・裁判・そしてそれに絡むメディア…。
そんなところの古き体制を変えていくのは、やはりわたしたち国民である一般市民なのかもしれません…
〈気になる記事・前半…〉はこちらから…