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異国の“双子”の姉妹 5 Somos hermanas gemelas(全8話)

 横浜で長男が生まれ、2ヶ月も経たぬうちに、九州へ転勤。そして長男が2歳半の冬に次男が生まれ、私は2児の母となった。

 5階建ての社宅の最上階、玄関を開けると関門海峡が見える。山と海に囲まれたその街で4年余りを過ごした。そして、幼稚園で覚えたての、語尾に「〜っちゃ」がつくカワイイ言葉を盛んに喋る4歳と、無言で悪戯盛りの1歳を連れて再び本州へ戻り、東京へやって来た。

 どうやって引っ越してきたのか、ところどころ覚えていない。私にとっては、子どもの頃から何度も経験して慣れているはずの引っ越しなのに、幼児連れは“てんてこ舞い”を絵に描いたような破茶滅茶ぶりだった。

 荷造りしたはずの段ボールは、中身が全て出されて、4歳と1歳がニッコリ笑って入っていたこともあった。もう、私も笑うしかない。終始バタバタで、挙げ句の果てに捨てるつもりだったゴミまで一緒に積み込んできてしまった。

 2人の息子にせがまれたわけでもなかったが、東京までは新幹線で移動した。駅のホームでお世話になった方々と手を振り合いながら、九州の地を後にした。

 車両は、当時最新だった濃いブルーが鮮やかな500系のぞみ。飼っていたメダカ数匹をペットボトルに入れ、息子たちはその頃ハマっていたウルトラマンや戦隊モノの変身グッズなんかを手に持って。
 ワイワイガヤガヤやっているうちに、東京駅に着いた。新幹線をバックに記念撮影、と思ったら、変身グッズをホームにぶちまけ、慌てて拾ったことを覚えている。


 東京での生活が徐々に軌道に乗り始め、少し余裕ができた頃、私はアナからの手紙を確認しようと、まだそのままになっていた段ボール箱を開け始めた。しかし、どれを開けても、手紙は見つからない。

 おかしい、そんなはずはない。

 最初のうちは落ち着いていたが、終いには躍起になっていた。全ての段ボール箱を開け終えた時、呆然とした。どの箱からもアナの手紙は出て来なかった。一緒にしまっておいた、住所を書き記した手帳もない。そして、残念ながら記憶もない。

 私はアナとの連絡方法を一切失ってしまったのだ。

 何故?どうして?全くわからない。どこで紛失したのか、見当もつかない。まるで狐につままれたみたいだ。
 どうして一番大切な箱だけが無いんだ?どこに行ってしまったんだ?大切にし過ぎてどこかに置き忘れる?そんなことあるはずがない。トラックが途中で落とす?そんなわけない。

 箱という箱をもう一度ひっくり返すようにして探したけれど、やはり手紙は出てこなかった。

 腑に落ちない思いと、ぶつけどころのない悔しさを日々の忙しさで紛らわすしかなかった。

 ただ一つ明らかなことは、もう二度とアナとは連絡が取れなくなってしまった、その事実だけ。そう考えると、愕然としてしまう。

 子どもたちは、幼児から園児、そして児童へと成長する。私個人の気持ちは、ついつい置いてきぼりにしてしまいがちな毎日だ。

 でも頭の片隅にはいつもアナが存在している。不思議なくらい、決して忘れることはない。
 どうにかならないか、
 どうにかならないか、
 とアナとの連絡方法を考え、堂々巡りさせていたからかもしれない。

 私が思いついたのは、あの頃時折り放映されていた、尋ね人をテレビ局が探してくれる、そんな人探しの番組。これしかないと、本気で考えたりしていた。

 しかし、そんな私の気持ちなどお構いなしに、月日はどんどん流れていく。

 インターネットがあっという間に、世界を席巻した。携帯電話が当たり前になり、パソコンも一家に一台という時代が到来した。

 Facebookを知った時、私は、これだ!と飛びついて、直ぐにアナの名前で検索しようとしたが、スペイン人の名前は長い。ファーストネームとミドルネーム?母の苗字と父の苗字?、それらが並んでいるのだが、私の記憶はかなり曖昧になっていて、何度書いてみても、これがアナのフルネームだと確信でない。
 どうしたらいいんだ‥

(6へ続く) 

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